(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
磐座(いわくら)
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京都では「磐座」という言葉がしばしば聞かれる。
そもそも「磐座」とはなんのことか。
- 明王院不動寺の「表札」によれば、
- 『平安京造営の時に、桓武天皇は王城鎮護のため平安京の東西南北の4つの磐座(石蔵)に経巻を収めた。』とあり、
- 磐座とは「王城鎮護のために経巻を収めた石蔵」のことである、らしい。
- ただし「4つの磐座がどこにあるか」は書いていない。
- 磐座の風習は「平安京造営の時に始められた」のかと言うと、そうでもない。
- 金蔵寺の「表札」によれば、
- (平城京期にも)『聖武天皇は勅願を賜り経典を書写して埋めた』とある。
- 山住神社の「表札」によれば、
- 『そびえ立つ山を神南備山と仰ぐ巨石を、神々の降臨する場「磐座」と崇めた古代信仰の遺跡である』とある。
- 『立石の後の高く廣い巨石が神々の座「磐座」である』とも補足されている。
磐座の一つがある「金蔵寺」 | 明王院不動寺の「表札」 |
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- 【私説】
- 磐座とは古代信仰としての『神々を崇めるために神々しい巨石の下に経典を埋めたもの』であり
- 京都には桓武天皇が『平安京鎮護のために東西南北に新たに定めた(再設定した)磐座が4つある』ということらしい。
- ここではこの4つの磐座を京都の磐座と呼ぶことにする。
- 「京都の磐座」はどこにあるか
- いろいろ意見があって「確定版」はないのですが、私は東山三十六峰の「大日山」で“私の意見としての「京都の4つの磐座」”を定めた。
- 地図で位置を示すと次のようになる。
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- 東西南北のバランスが悪い。本当に“こんな非対称に”磐座を定めたのか。神々しい巨石はここにしかなかったのか。疑問は残る。
- 西:金蔵寺は、明らかに“西過ぎる”。そもそも“京都市内でない”。
- 南:明王院は、明らかに“北過ぎる”。これより“南は鎮護しなくてよい”のか。
- 現段階では、他に「磐座の痕跡」が見つからないので、分析はここまでにしておくことにする。