(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
不介入主義
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京都に引っ越す前に「京都の町には溶け込めないよ」と言われた。
なるほど完全には溶け込めていないかもしれないが、親しい近所付き合いはしてもらえる程には溶け込めている。
これが京都の不介入主義のなせる業なのかもしれない。
- 【梅棹事典からの一部引用】
- いかにしたしくなっても、招待なしに、となり近所のひとがなかにはいることはない。この基本原則をこころえていないと、京都のひととのつきあいはできない。それは精神においても、まったくおなじである。・・・京都のひとは、相互にオレ・オマエといった関係になることをさけるように心をくばる。この点が、地方のひとには「京都のひとはつめたい」とみえる原因であろう。しかし、この点が都市生活を維持するノウハウなのだ。都市にはさまざまなひとがながれこむ。素性のわからぬひととのつきあいも必然的におおい。そのなかで都市生活をおくるには、京都のように相互不介入をたもったつきあいかたが必然となる。
- 【私説】
- 京都の人は人当たりがいい。
- 東京に住んでいるとき近所付き合いなどはしなかったが、京都では毎日近所の人と声を出しての笑顔での挨拶が素直に行えている。
- これは偏に京都の人が私に会うたびに挨拶をしてくれるからである。東京のときはこんなことはなかった。
- 一方心底親しくしてくれているかと言えば、それはなんとも言えない。
- なかなか挨拶以上の“仲”にはなれていないような気がする。
- 悪く言えば、表面づらの挨拶だけはしてくれる、ということである。
- どうもこれは誰に対してもそうらしい。
- この両面が「不介入主義」のなせる業らしい。
- 1200年の歴史に根付く古い考えは、現代の人には受け入れやすい「主義」のような気もする。
- このせいでかえって京都は住みやすいと考える現代人は多いのではないだろうか。
- 昔からの知恵は現代に通じている。
門の前を掃除することを、京都では「門掃き」と言います。
隣との境はほんの少しだけはみ出してお隣の前も掃除します。決して「少し」を多くしてはいけない。これも「不介入主義」の一環。
「お宅の前は汚い」と言われないように毎日掃除しなければならない。
お陰で「京都の道」はいつも綺麗(ゴミ一つ無く)に保たれています。
- 【川柳】
- おはようさん 季節話は するけれど
- あげ貰い 欠かさぬ義理も 義理どまり
- 若人は 会釈交際 喜んで