(京都の寺社−今昔−写真比較)
祇王寺
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正式名称・宗派
:真言宗大覚寺派/往生院祇王寺(大覚寺塔頭寺院)
開基
:元は法然上人の弟子良鎮の創建した「往生院」の境内にあったが、次第に荒廃し明治初年には廃寺になった。そのとき墓・仏像などは「大覚寺」に保管された。明治28年(1895)、大覚寺門跡の楠玉諦が当時の京都府知事北垣の協力を得て再建した。
墓地には、「平家物語」に出てくる承安2年(1172)没の
「祇王」の墓(石塔)
がある。
住所(昭和40年代の表記)
:右京区嵯峨二尊院門前往生院町
交通の便:京都バス72番など「大覚寺道」下車(徒歩10分)
特記
:茅葺の庵室(明治に再興)前の庭には、楓の林があり、美しく紅葉する。
関連する東山三十六峰
:なし
公式サイト
:
祇王寺
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1974−2−3
2017−9−4
庵室前の「楓林の庭」
比較(コメント)
この頃は訪れる人も無く
庭では犬が遊んでいた
今は祇王に憧れる女性の参拝が多くなり
庭にも柵ができた
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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祇王寺「門越し」に見る「秋の光景」
(撮影:2014−11−23)
祇王寺の「参拝口」
(撮影:2017−9−4、右も)
祇王・祇女・母刀自の「墓」
(右は清盛の供養塔)