(京都の寺社−今昔−写真比較)
光明寺
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正式名称・宗派
:報国山念仏三昧院光明寺/西山浄土宗総本山(末寺約600)(通称:粟生光明寺)
開基
:建久9年(1198)法力坊蓮生と号した熊谷直実が法然上人ゆかりの地(最初に念仏を説いた「
浄土門根元地
」といわれる)
粟生(あお)
広谷に法然を開基に寺院を創建し「念仏三昧院」の寺号を受けたのが由来。安貞2年(1228)
法然の遺骸
を念仏三昧院で供養し裏山に御廟堂を建て、以降「光明寺」と称するようになった。
住所(昭和40年代の表記)
:乙訓郡長岡町粟生
交通の便:阪急バス20番「光明寺」下車(徒歩10分)
特記
:
幅広い緩やかな敷石の石段に楓
が長い枝を張り出しているのが印象的。境内全般に紅葉の木々が多く紅葉の名所にもなっている。浄土宗の寺らしく、堂宇の拝観はそのまま回廊伝いに自由気ままにさせてくれる。
関連する東山三十六峰
:なし
公式サイト
:
光明寺
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1973−7
2002−11−17
総門から連なる「紅葉の張り出す
幅広い緩やかな敷石参道
」
比較(コメント)
このときは広角レンズだった
今も拝観料なし
(撮影年月日)
1973−7
2007−12−08
回廊から見下ろす「釈迦堂の前庭」
「信楽庭(しんぎょうてい)」と呼ばれている
比較(コメント)
砂文がなくなった
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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女人坂(2002−11−17)
法然上人御火葬跡
(2007−12−8)