(京都の寺社−今昔−写真比較)
金地院
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正式名称・宗派
:(臨済宗南禅寺塔頭)金地院
開基
:応永年間(1394〜)大業徳基禅師が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺に始まる。その後、慶長5年(1600)頃、江戸幕府の
黒衣の宰相
以心崇伝(すうでん)和尚(後に円照本光国師)が、南禅寺の塔頭として移建して、現在に至る。
崇伝は家康の恩寵に報いるため家康の死後寛永5年(1628)(日光東照宮に先立って)金地院内に
東照宮
(重文)を建立した。
住所(昭和40年代の表記)
:左京区南禅寺福地町
現在の交通の便:市バス5番「南禅寺・永観堂前」下車(徒歩10分)、市地下鉄「蹴上」からも歩ける。
特記
:方丈(重文)は伏見桃山城の遺構を移建したものと伝えられるが、もっと有名なのがその庭園
「鶴亀の庭」
。寛永7年(1630)小堀遠州の作で、その気宇の大きさは目を引く。
方丈にはこれまた小堀遠州作の茶室
八窓席
(三畳台目、重文)があり、陽が差すと
窓障子が虹色に輝く
。さらに長谷川等伯の
猿猴捉月図
(重文)の描かれた襖もあり、見どころ一杯である。
関連する東山三十六峰
:なし
公式サイト
:なし
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1966−10−12
2017−8−31
「弁天池」
比較(コメント)
拝観口から入ってすぐ目につく
蓮の花が咲くとこんな風に
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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「
猿猴捉月図
」(えんこうそくげつず)」
撮影禁止ですので「特別拝観券」から
2017−8−31
「方丈」前の「
鶴亀の庭
」
2017−8−31
大門(拝観門、昔とまったく変わらない)