(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
後西天皇
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後西(ごさい)天皇という呼び方は悩ましい
。
この名の謎をとく鍵は「追号の仕組み」と「淳和天皇」にある。呼び方を追求することで歴史の勉強ができる。
【梅棹事典からの一部引用】
歴代天皇の名まえは、ひじょうにたくさん京都の地名からとられている。・・・歴代天皇の名まえをならべると、京都の地名一覧をみるおもいがするほどだ。第百十一代後西天皇というかたがおられる。後西天皇というからには、西天皇というかたがおられないとおかしい。しかし歴代天皇表にはその御名はみあたらない。第百十一代天皇は、もともとは後西院天皇であった。
京都には西院という地名があり、これを「サイ」とよぶ。
【私説】
この名の謎をとく鍵は、「追号の仕組み」と「53代淳和(じゅんな)天皇」にある。
天皇の崩御後に贈られる名前には「諡号
(しごう)
」と「追号
(ついごう)
」の2種類がある。
初代神武天皇から50代桓武天皇までは、崩御後「諡号」が贈られた。
蛇足すれば、初代神武天皇から41代持統天皇、43代元明・44代元正天皇には、淡海三船
(奈良時代の人)
がまとめて諡号を贈った
(この経緯は省略)
。
51代平城天皇
が譲位したとき
(崩御していない)
「追号」が贈られた
。以降、一部の例外を除き原則的に
(崩御したときも含めて)
天皇は「○○院」と追号された
(一時期これと異なる時期もあったがその説明も省略)
。
追号は、在位時に住んでいた場所や譲位後に住んだ場所に因んでつけられたり、歴代の天皇との相似性から「後○○」とつけられりした。
そして譲位後
(崩御後も含めて)
は追号で呼ばれた(例:三条院、四条院、白河院、後白河院)。
「淳和院」
(四条通西大路)は
「西院」
とも
(住所:右京区西院高山寺町)
53代天皇は、譲位後に住んだ場所に因んで「淳和院」と追号された。
その場所は、右京四条二坊十一町〜十四町で、皇太弟時代に南池院と呼んでいた離宮を譲位後
「淳和院」
と改称したところである。
この離宮は「西(さい)院」とも呼ばれたことから
「淳和院」と追号された53代天皇は「西院」とも呼ばれるようになった
。
111代天皇は、53代淳和天皇と境遇が似ていることから、淳和天皇の別称「西院」を受けて、
111代天皇は貞享2年(1685)「後西院」と追号された
。
53代天皇は、兄52代嵯峨天皇から受禅、在位10年で「兄52代嵯峨天皇の子」仁明天皇に譲位した。
111代天皇は、兄110代後光明天皇から受禅、在位7年で「兄110代後光明天皇の猶子
(養子)
」霊元天皇に譲位した。
このときはこれで問題なかったが、歴史的に見れば、ここに問題が内在したことになる。
この後、
大正13年
(1924)宮内省に設置された
御歴代史実考査委員会で
、天皇の尊号の呼び方を決めた
(明確にすることにした)
。
これ以前は、尊号で呼ぶとき例で言えば、三条帝、白河帝、後白河帝、淳和帝、後西院帝と呼ばれていた。
これ以降は、すべて○○院という
『追号の院の字を省き、○○天皇と呼ぶ』ように決定された
。
その結果、
これまで「後西院帝」と呼ばれていた111代天皇は「後西天皇」と呼ぶように決定された
。
蛇足すれば、これ以降『天皇は「○○天皇」と追号される』ということになり、124代天皇は「昭和天皇」と追号された。
さらに皇后にも追号はあるようで、昭和天皇の皇后は「香淳
(こうじゅん)
皇后」と追号されている
(宮内庁による)
。
【地名の不思議】
淳和帝の離宮「淳和院」はなぜ「西院」と呼ばれるようになったか。
いろいろな説があって、明確でない。
この時代には珍しく、朱雀大路を挟んで西の方
(右京)
に後院を構えたため、「西院」と通称されるようになった。
右京の
「道祖(さい)大路」
に接していたので「西(さい)院」と呼ばれるようになった。
この「道祖」を(さい)と読むのもわからない。
この大路に沿って「佐比(さい)川」が流れていたという説もある。
因みに「道祖(さい)大路」は現在の「佐井通」である。
京福電鉄嵐山本線(「嵐電」)の
西院駅はなぜ「さい」
と読まれるのか。
「後西院帝」=「後西(ごさい)天皇」から、「西院」を「さい」と読んだのではないか。
「淳和院」跡
は
嵐電「西院(
さい
)」駅の近く
阪急「西院(
さいいん
)」駅の近く。
これが嵐電「西院」駅
はっきり
さい
とある。
こちらが阪急「西院」駅
こちらは
さいいん
になっている。
同じ漢字表記
なのに。
【蛇足】
歴代で「後○○」と追号された天皇は
(北朝を含めて)
28代。
後一条、後朱雀、後冷泉、後三条、後白河、後鳥羽、後堀河、後嵯峨、後深草、後宇多、後伏見、後二条、後醍醐、後村上、後亀山、後光厳、後円融、後小松、後花園、後土御門、後柏原、後奈良、後陽成、後水尾、後光明、後西、後桜町、後桃園。
この内「後西院」のように
「前」がないのは6代
。( )内に前天皇の追号を示し、[ ]内にその天皇の別名を示す。
後深草(仁明[深草])、後小松(光孝[小松])、後柏原(桓武[柏原])、後奈良天皇(平城[奈良])、後水尾(清和[水尾])、後西(淳和[西院])。