てん子山
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★★ | ★★★ | ★★ | ★★★ | 2.8 |
- 山頂の特定(地図)
- 三等三角点(掛橋)のある地点が山頂。
- 三等三角点は、N35度02分57秒847・E135度48分59秒855、標高442.29m(地形図には標高442.5mとある)。
- 比叡山へ向かう東山トレイルから北西に直線距離で200m程入った林の中にある。
- 眺望は利かない。数値地図でもこの辺一帯は標高440mの広い領域のピークになっていて、登頂してもピーク感はない。
- 登頂記録
- H16-3-21初登頂。
- 「登山ルート」に示すとおり登った。その後再び東山トレイルに戻り、「水飲対陣跡」から「修学院山」(標識は「曼殊院へ」)へ下りた。
- 東山トレイル上の「黄色のテープ」を見逃してもすぐに「赤いテープ」があり、そこから西へ入っても登れる。予想以上に親切なテープが貼ってある。
- てん子山
- 一言で言えば音羽川の背後(東)の鉢形の大きな山。
- 街中からは見難いが、一乗寺・修学院あたりからはよく目立つ。
- 修学院山の右(南)に修学院山より高く大きい。
- 山頂にはかつて一乗寺山城があった。
- 「一乗寺山」と名前が紛らわしくなるが、この山(「一乗寺山城跡」)について京都市遺跡地図台帳は「標高440m比叡山の中腹に築かれた渡辺氏の山城。主郭・曲輪が良好に残る」と記載している。
- 残念ながら現在では(私の調査不足か)「主郭・曲輪」は見つけることはできない。
- 城があったほどの広さはないが、上述のとおり一帯は全体として平坦になっていて、城郭を作ったとしても不思議はない。
- この山の名前は明確でない。
- この山はかつて曼殊院背後に聳える「音羽山」と呼ばれた。修学院山との間の谷が「音羽(乙輪)谷」と呼ばれていたことに由来する。この名前は清水・山科の「音羽山」と紛らわしくしている。
- 三角点の点名は「掛橋」である。
- 一方山頂には「てん子山」の標識が掲げられている。
- さらに「東山トレイルの標識」にも「てん子山」と書かれている。
- 東山三十六峰の姿を形成するためにもこの辺に山が欲しい。
- 上述のとおり、三角点もあり山容も立派であり、東山三十六峰に加えるのに不足はない。
- 三角点に敬意を表して「掛橋山」としたいところでもあるが、昨今の呼ばれ方を尊重して(「現地現称主義」を採用して)「てん子山」と名付けて東山三十六峰の一つに加えることにする。
- 「一乗寺池ヶ谷」にある。
- 近くの仏閣神社
- 曼殊院
- 曼殊院は始め比叡山中に創建され、北野、相国寺近くと数回移建されていたものを、明暦2年(1656)桂離宮を造営された智仁親王(八条宮の祖)の子、良尚法親王が書院を造営し、曼殊院をここに移した。このことから竹内門跡(たけのうち)と呼ばれる。天台宗門跡。
- 大書院の月字形欄間、杉戸の引手金具、廊下にある富士の形に七宝の雲を配した釘隠しなどは見逃せない。
- 梟の手水鉢は特に有名。満月の月の輪を室内から感じられるような位置に置かれている。
- 「媚竈」の額、キリスト教の影響を受けたと思われる灯篭(曼殊院灯篭)、霧島つつじ、紅葉も有名。
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曼殊院灯篭 |
書院前山門の紅葉 |
庭園のミヤマキリシマも有名 |
- 雍州府志・東山国有林風致計画での記述
- なし
- 古くは「音羽山」と呼ばれた記録もあるが、雍州府志にも東山国有林風致計画にも「音羽山」の名前は出てこない。