(INDEX:東山三十六峰一覧へ) 更新日: 2021/04/30
【表明】2003年10月15日「図説 歴史で読み解く 京都の地理」(正井泰夫監修、青春出版社)が出版され
そこには本HPの「東山三十六峰」と極めて類似した内容が記載されています。
類似性が見られるのは
出版に先立って出版事務局から「そちら様のHPに掲載されております東山三十六峰についての情報を参考にさせていただきたく
掲載許可いただけますでしょうか」との依頼があり
私が「了解した」ことによります。
本HPの「東山三十六峰」は私が独自の調査で2002年前半にまとめ、同年後半に開設・公開したものです。
上記の本を参考に(引用して)作成したものでないことを、ここに明記しておきます。(2004年2月4日記述)
上空から見た東山三十六峰(from TV prpgram) | カシミールで作成した東山三十六峰の図 |
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上:比叡山の左下に見える「吉田山」〜最南峰「稲荷山」 下:主峰「比叡山」と「大文字山」に挟まれた山々 |
京都の東に緩やかな峰が続き、京都の街の境界の如く見え、京都の街の一つのシンボルになっているのが「東山三十六峰」です。標高は低いが、山の経験のある人から見れば「東山連峰」と感じる。 江戸末期頃からか「東山三十六峰」と呼ばれている。京都の街中から見ると、三十いくつかの峰が見られ、日本人特有の語呂合わせからか、中国の嵩山三十六峰からの擬えからか、「東山三十六峰」と呼ばれたのに相違ない。
そもそも峰の定義すら怪しいのであるから、本当に三十六峰あるのかという問いも愚かであるが、過去に「三十六峰の特定」作業がいろいろなところで行われてきた。
ここでは「三十六峰の特定」は『東山三十六峰を歩く』(京都新聞社、三浦隆夫編、以下「種本」)によることにする。
ところが種本をつぶさに読んでも、「個々の峰の厳密な特定」は必ずしも行われていない。「東山三十六峰」を登ろうと志す人にとっては困った問題である。
京都の街(概ね河原町三条近辺)から峰と見えるあたりが個々の峰になるという仮定の下に、いろいろの人の資料・意見も参考にしながら、私の偏見も多々入れて「個々の峰の特定」作業を行っている。本Webページは、その成果をまとめたものである。
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「三十六峰の特定」作業に関する文献(または記事)を年代順に列挙すると次のようになる。
- 1686年 「雍州府志」(黒川道祐著)
- 京都に風土記の存在しないことを憂えた著者が江戸時代にまとめたもの。
- 多くの峰・山を記載している。その中に「後に東山三十六峰と呼ばれることになる峰名」を記載している貴重な書物。ただし著者は「東山三十六峰」とは呼んでいない。
- 比叡山と稲荷山の間に記載している山の数は“奇しくも”三十六峰である。ただし“未定義山名”があったりする他、明らかな記述間違いも散見される。
- 2002年に訓読文体・現代仮名遣い・活字版が岩波文庫から出版された(上下2冊、各760円、ただし下巻は未発行)。文庫本出版に際し「近世(江戸時代のこと)京都案内」と副題されている。
- 1800年頃 頼山陽
- 東山を愛し、自らを「三十六峯外史」と号して京都に住んだ。
- 1862年 「花洛名勝図会」
- 平塚飄斎(実際の執筆者)の草稿を基に、木村明啓と川喜多真彦が執筆。
- 「東山(ひがしやま)は洛東山々の総名にして、山城国愛宕郡より紀伊郡に係れり。古くから東山三十六峰(または西山七十二峯)ありと謂ふと云えども、何れの峯々を指してその数に宛てたるか詳らかならず」とある。「東山三十六峰」の言葉が出てくる。初出か。
- 「詩には六々峰とも作れる事、翰林五鳳集に僧蘭披が[巽亭看雪詩 六々諸峰悉是花]と見えたり」とあり、翰林五鳳集(元和9年(1623)成立)に「六々諸峰」の文字が出てくると指摘している。
- さらに「按ずるに東山と呼ぶ地、北は志賀の山越え、如意が嶽の辺より、南は稲荷三ヶ峯、深草に到る間の諸山を云ふか。そもそもこの東山の形勢たるや優美にして絶えて浚峭の状なく、これを加茂川の西の岸より眺望するに、なかんずく花頂・円山・鷲ヶ嶺・音羽山・阿弥陀ヶ峯等の翠微あたかも笠を列ねしごとく、・・・」と続く。
- (注)「雍州府志」より範囲が狭く(如意ヶ岳より北は含まない)この範囲に三十六峰あるとは思えない(次の「平安通志」も同様)。
- (注)個々の山頂の特定には使えるが、三十六峰の特定には使えない。
- 1979年に平仮名漢字混交文・歴史的仮名遣い・活字版が角川書店から出版されている(「日本名所風俗図会」全18巻の第7巻、各7,500円)。
- 1895年 「平安通志」(京都市参事会編)
- 平安京1100年を記念して京都の「通志」をまとめ明治28年に出版された書物。
- 巻之四十八・第二編・名勝志に「東山」の項があり、そこで「東山とは、北は如意嶽より南は稲荷山に至る一帯の山巒を謂う。比叡の山脈二派に分かれ燕尾をなして南に走り、一は近江に連り、一は蜿蜑起伏して南に下り三十六峰と為り。・・・之を鴨川西岸より望見すれば其最も左に在るを如意嶽、大日山、獨秀峰とし、漸く南して華頂山、清水、阿彌陀峰、三ヶ峯などとす。其間秀で峰となり、延て巒となり、斷て谷となり、窪して溪となる。・・・京都固より佳麗明媚を以て勝れ而して其風光此山を以て第一とす。・・・」と概要を示し代表的な峰名を記載しているのみ。
- 1933年 「東山三十六峰記」(南部調理会)
- 本HP閲覧者の「usanjin」さんから紹介頂いた。昭和8年、南部調理會の「會記」として刊行されたもの(自費出版らしく、価格など記載なし、幹事として、辻重彦、西村久之助、臼井□(ニスイに麦)三の名がある、本文では「東山三十六峯記」)。
- 昭和8年の會合は「東山三十六峰」をテーマに祇園中村樓で開催されたらしく、『東山三十六峰に関する記事』と『東山三十六峰を見立てた献立』が本書に記録されている。
- 趣旨は明らかでないが、序文には「・・・世に東山を稱する者、直ちに三十六峯を口にすれどもその三十六峯の名を知らず、風光の明眉を誇る東山の山容は千年の高たヽえて變わらずと雖も、その六々の峯の名は忘失して探勝の杖をとヾむるに便なし。以て遺憾となし、東山三十六峯記を編して、それを解説す。・・・」とある(記者は「史明識」との号がある)。
- 本書で特定している峰については「東山三十六峰の特定」の比較にまとめた。
- 「東山三十六峰の列挙」は「東山国有林風致計画」より早い。ただし特定が「東山国有林風致計画」と似ており、風致計画の関係者が本會員、または會員のどなたかが風致計画に参加した可能性が高い(全くの推測ですが、刊行時期も近過ぎる)。
- 1936年 「東山国有林風致計画」(大阪営林局)
- 昭和11年大阪営林局が東山国有林の森林景観創造を目的に風致計画を策定した。そのときの計画書である。
- その緒言で「東山三十六峰」の項を設け、北は比叡山に始まり南は稲荷山に終わるすべての山名を記述している。「東山三十六峰の列挙」は初めてか。内容から見て概ね「雍州府志」を踏襲している(「雍州府志」の明らかな間違いすらそのまま記述している部分もある)一方、山名を変更するなど若干の独自性も見られる。
- 1956年 「京都新聞」(藤森庚子郎など)の連載
- 「東山三十六峰図」を掲載し三十六峰を特定している。
- 「京都市の地名」(平凡社)「京都大事典」(淡交社)などはこれを引用している。
- 種本も含め昨今の刊行物はこの三十六峰を「東山三十六峰」としていることが多い。
「三十六峰の特定」を行っているわけではないが、私の特定作業に利用している文献(または記事)を列挙すると次のようになる。
- 1958年 「新撰京都名所圖會」(竹村俊則著)
- 篤学の京都研究家である著者が戦後(昭和33年)になってまとめたもの。
- 自筆の鳥瞰図が特定作業に役に立っている。
- 全七巻。京都新聞文化賞を受賞した名著(現在絶版)。
- 再刊要望に応えて、新たに書き改めた「昭和京都名所圖會」(全七巻)が1980年に発刊されている。
参考までに「東山国有林風致計画」における「東山」「東山三十六峰」に関する記述を引用する(表現は平明に直した)。
1.1 東山の名称
- 東山と云われるのは、京都市の東方に連互する一帯の山嶺のことで、西山や北山に相対する名称である。
- その文字は、最も古くは、平安時代弘仁9年(818)の文華秀麗集(「和光法師遊東山之作」(嵯峨天皇))に見られる。
- ただしその後鎌倉時代までは東山の名はほとんど文献に現れていない。
- 室町時代以降の書にはしばしば用いられ、庶民にも意識されるようになった。
1.2 東山の範囲(沿革)
- 平安時代は、粟田山、花頂山、清水山、歌の中山、霊山一帯が東山として指称されていたと思われる。
- 室町時代になると、銀閣寺山が東山の範囲に取り入れられた(足利義政の東山殿、東山文化)。泉涌寺山門の「東山」扁額が永禄年間(1558-1570)の作で、この頃(室町時代末期)から背後の泉山も東山の範囲に取り入れられたと思われる(注:「東山」扁額の製作時期は鎌倉なのか室町時代なのか明確でない。泉涌寺を参照)。
- 比叡山、稲荷山が東山の範囲に取り入れられたのは、「雍州府志」の発刊に関係あり、江戸時代中期以降と推定される(注:「雍州府志」には「東山」を規定した記載はなく、大阪営林局の推定根拠は危ういと思う)。
- 現在京都市にて一般に東山と呼ばれている区域は、北は大文字山から南は稲荷山に至る延長約7Kmの山地の内、京都盆地に臨む西側斜面を云う(注:この定義はいかにも「大阪営林局」的で林業の立場での定義に見える)。
1.3 東山三十六峰
- 「雍州府志」に略この記載があるから、この(東山三十六峰)名称の起源は江戸時代中期以降と思われる(注:再度、「雍州府志」には「東山三十六峰」の記載はなく、大阪営林局の推定根拠は危ういと思う)。
1.3 東山国有林の位置面積
- 所謂「東山」の区域に分布し、銀閣寺山、若王子山、花頂山、阿弥陀ヶ峰、稲荷山の5団地に分けられる。
3.1 森林景観−大文字山方面
- 一帯は落葉樹の林で埋められている。山麓はヒシ林。
- 銀閣寺、法然院の前方はマダケ、法然院の裏山はアカマツ。
- 大文字山南西斜面鹿ヶ谷はクヌギ、コナラ。
3.2 森林景観−若王子山
- 一帯は落葉樹の林で埋められている。山麓はヒシ林。
- 大日山方面はアカマツ。
- 谷の一部にスギ、ヒノキの人工林。
3.3 森林景観−粟田山
- 清水山方面は老大のヒノキが主体、山麓は常緑落葉樹。
- 青蓮院、知恩院裏山は山稜までヒシ林。
- 高台寺裏山も老大なヒシ林。
- 東大谷から菊谷は樹高の高いスギの人工林。
3.4 森林景観−阿弥陀ヶ峰方面
3.5 森林景観−泉山方面
- 良く整理されたアカマツ林で蔽われる。
- 谷間にはスギの人工林、クヌギ、コナラも見られる。
3.6 森林景観−稲荷山方面
- 山地部分はアカマツ林。
- 周囲の谷々はヒシ、アラカシ、クヌギ、コナラ。
- 山麓台地はマウソウ竹(孟宗竹)。