(京都の寺社−今昔−写真比較)
落柿舎
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正式名称・宗派
:(−−−−)落柿舎
開基
:元禄年間(1688頃)俳人向井去来がこの地に古家を買い求めて閑居した。この屋敷の柿の木40本を売る契約をしたが、一夜の嵐ですっかり柿の実が落ちたため契約が破棄されたことから「落柿舎」と名付けた。師匠芭蕉の「
嵯峨日記
」に、元禄4年(1691)4月18日から17日間滞在したとの記録がある。北側の竹藪の中に「去来」と刻まれただけの小さな墓がある。現在の建物は明治の俳人井上重厚による再建。
寺社ではないが、川勝政太郎の「京都古寺巡礼」(社会思想社)に記載されているので取り上げた。
住所(昭和40年代の表記)
:右京区嵯峨小倉山緋明神町
交通の便:京福電鉄嵐山本線(「嵐電」)「嵐山」またはJR嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車【徒歩20分】
特記
:嵯峨野らしい風景の中にポツンと置かれたような
茅葺屋根の建屋、去来らしい小さな墓
、入口に掛けられた主人の在宅を知らせる蓑と笠、一輪ざしに挿された季節の花などが俳人らしい風流の趣を感じさせる。嵯峨野にはなくてはならない一つの風景になっている。
関連する東山三十六峰
:なし
公式サイト
:
落柿舎
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1974−2−4
2007−10−10
嵯峨野にポツンと浮かぶ「
落柿舎
」全景
比較(コメント)
拝観料50円
木が欝蒼として
柿の木
がわからなくなった
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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2007−10−10(右も)
少し北側にある「
去来の墓
」
昔と同じ角度で撮ろうとすると
建屋が見えなくなる
2017−9−4
再度「
去来の墓
」(10年ぶり)