暦に関する雑学 (「和暦IME変換辞書」のページへ戻る)
紀元の種類 暦の種類 太陽暦の歴史 記数法の種類
- 2000年にはミレニアムで騒いでいました。
- 2001年から新世紀です。
- 西暦だけが紀元ではありません。他の紀元もあります。
- キリスト紀元以前の紀元
- ナボナッサル紀元
- バビロニアの建設者ナボナッサルが即位した西暦前747年を起点としたカルデア人の暦
- スペイン紀元
- ローマ人によるスペイン征服のあった西暦前38年を起点とした暦(1年は復活祭から始まる)
- ディオクレティアヌス紀元
- ローマ皇帝となったディオクレティアヌスが、自分の即位した西暦284年を起点と定めた暦
- 天地創造紀元(Anno Mundi)
- ダブリン生れの大司教アッシャーが1654年に、天地創造は「紀元前4004年10月26日午前9時」に起こったと宣言した。
- この日を1年1月1日とするのが「天地創世紀元」。
- ピョートル大帝時代までのロシア(ギリシア正教)では、西暦1年が天地創世紀元5509年にあたる。
- キリスト紀元(Anno Domini)=西暦
- ローマの僧院長エクシグウス・ディオニュシウスはディオクレティアヌス紀元248年を「キリスト紀元」532年として、復活祭の日取りを決める暦を作った(結果として西暦は西暦532年に定められた)。
- キリスト教を弾圧したディオクレティアヌスの紀元は“悪魔の定めた紀元”であるとして、キリストの生誕をもって紀元とするのが最良であると考えた。
- 西暦年数の場合、西暦1年の前年は0年ではなく、すぐに西暦前1年となる。
- そのため西暦前2年から西暦2年までの年数になると単純に2+2では求められない。
- そこで天文学者の間では、西暦前1年を[0年]、西暦前2年を[-1年]と書く。
- ローマ法王ボニファティウス2世の認可を受け教会で用いられるようになったことで9世紀頃ヨーロッパに普及し、18世紀後半には世界中で使われるようになった。
- しかし中世のヨーロッパの法的な記録や公文書には(日本と同様)、西暦の日付ではなく、国王や教皇や主教などの即位を紀元とした日付が用いられていた。
- A.D. で西暦年数を表わすようになったのは A.D.1219 からである。
- 18世紀以降「キリスト以前」を意味するのに ante Christum(略号 A.C.)が用いられ、イギリスではそれを英語にした before Christ(B.C.)が使用されるようになった。
- しかし B.C. は英語であるため国際的でない。現にフランスではキリスト以前(avant Jesus-Christ)を略して av.J.-C. と書いている。
- (蛇足)イエスの生年月日
- 紀元はわかりましたが暦(Calendar)にもいろいろな種類があります。
- 太陰暦
- 月の運行を中心にした暦法で、1年が354日。
- 原始の人間は「太陽が昇り再度太陽が昇る」をもって1日と考えた。
- 1日がどう繰り返されているかというと「月が満ち再度満つる」をもって1月と考えた。これが太陰暦の起源である。
- 新月は霊的なものであるとの考えからか(日本も同様)新月の日を朔日(1日)とした。暦がない時代には三日月の出た日を認識して2日前が朔日であったと理解したようだ。同様に満月の判定も難しい。
- 回教文化圏では「イスラム暦」として使われている。
- 太陽暦
- 農耕生活が定着してくると気温の周期が重要になり、これが太陽の運行と関係していることに気づき太陽の周期を1年と考えた。
- シリウスと太陽が同時に東の地平線から出てくるのを1年の始めとしていた。
- 1年は「365日と少し」ということまで知っていたようだ。
- この発展形がユリウス暦(とその後継)となる。
- 現在はほとんどの国で太陽暦を採用している。
- 太陽太陰暦(旧暦)
- 太陰暦に太陽の運行を加味した暦。
- 平年を354日、大の月(30日)6回、小の月(29日)6回とする。
- 太陽暦との誤差を調整するために、19年に7回の閏月(大または小)を入れる。
- この方法は前5世紀にアテネの学者メトンが発見した。閏月をどこに入れるのかの日本の規則が置閏法。
- 日本では「旧暦」と呼ばれる。
- 月 の運行:1年が354.36708日(=29.53059*12)
- 太陽の運行:1年が365.2425 日(97/400=0.2425)(グレゴリオ暦)
- 日本での活用の歴史
- 604年(推古朝の12年)1月1日から使われ始めた。
- 暦を作るのは陰陽寮の暦博士の仕事。
- 貞享2年(1685)改暦。これが「貞享暦」。
- 遣唐使廃止(894年)以降改暦の知識が伝わらず、800年の間に太陽暦とは2日の誤差が生じていた。
- したがってこの期間の和暦の月日を西暦の月日に換算するのは厳密には難しい。
- 宝暦4年(1754)、寛政9年(1797)、天保13年(1842)にも改暦。
- 現在旧暦と呼ばれているのは「天保暦」。
- 明治5年の改暦以降日本政府は旧暦の存在を公式には認めていない。ただし毎年官報の2月1日号に「暦要項」という1年間の月の運行を発表する。民間がこれを参考にして旧暦を作っている。
- さらに太陽暦には長い歴史があります
- ユリウス暦
- ユリウス・カエサルはエジプトを征服し現地の暦学者ソシゲネスを連れ帰り、ユリウス暦の名で知られる暦法を前46年に制定した。
- 制定時の混乱を避けるため特別に、2カ月67日を置いたためこの年は445日となった。これを乱年と言う。
- 前45年からは平年を365日とし、閏年には1日の閏日を加えて366日とするようになった。
- 閏日は2(Februarius)月の23日をくり返した(23日が2回ある)。
- グレゴリオ暦
- ユリウス暦は1年に11分14秒の誤差があり、16世紀には誤差が10日あまりになっていた。
- グレゴリウス13世は「西暦年が4で割りきれる年を閏年とする。ただし西暦年が100で割りきれても400で割りきれないときは平年とする。閏日は2月28日の翌日2月29日」とする「グレゴリオ暦」を定めた。
- すなわち「400年間に97回閏年を設ける」。1年は365.2425日(0.2425=97/400)。真値にくらべて、約0.0003日長い。
- 1582年2月24日の大勅書により、10月4日の翌日を15日とした。したがって西暦1582年10月5日から14日は存在しない。
- この改暦案には多くの反対があり、新暦をすぐに採用したのはローマンカソリックの国々のみで、全世界的に使用されるまで300年以上の歳月がかかった。
- グレゴリオ暦が採用されたのは、フランス・イタリア・ポルトガル・スペイン:1582年。ドイツのカトリック教国:1583年、連合王国:1752年、スウェーデン:1753年、 プロシア:1774年、 ロシア共和国:1918年。
- (蛇足)明治改暦
- 明治5年11月9日の太政官布告337号
- 急いだあまり間違ってユリウス暦式の太陽暦を採用してしまった。
- 来ル12月3日ヲ以テ、明治6年1月1日ト被定候事(明治5年12月3日から12月31日は存在しない)
- 1ケ年365日12ケ月ニ分チ、4年毎ニ1日の閏ヲ置候事
- 明治31年5月11日勅令第90号
- 正式にグレゴリオ暦を採用した。
- ところがここでも西暦という言葉を用いず「神武天皇即位紀元年数から660を引いたもの」という表現がとられており、現在でも物議を醸すところとなっている。
- 協定世界時(閏秒)
- 「地球の自転に基づかない、もっと一様な時刻のシステム」ということで「国際原子時」が設けられた。
- セシウム133原子の出す特定の電磁波が、91億9263万1770回出るのに要する時間を「原子時の1秒=国際原子時」(1900年の平均太陽時の1秒と同じ長さ)。
- 「平均太陽時を使いながら「1秒」は原子時の1秒を使う」ことにした(1972年1月1日から)。このシステムを「協定世界時」と言う。
- それでもこの原子時秒をずっと使っていると、自転の遅れがあるため1〜2年に1度閏秒が入れられている。
- こうすることで、グレゴリオ暦を維持している。
- 暦にはいろいろな記数法が使われています。
- 10進数(decimal notation)
- 人間の指が10本あることから、数の数え方は10進数になった。
- 始点は「1」、これが自然数。
- (参考)2進数(binary notation):Computer高速化のために、簡単な仕組みにすべく、2進数を採用した。
- 12進数(duodecimal notation)
- 太陽の影が1日で円を1周することは知っていた。
- 日時計はどうやって作るか? (分度器を使わないで)円周を10等分するのは難しいが12等分は簡単にできる。
- 鉛筆に“中点”に印を付けた糸をつけ、糸の端を中央にして鉛筆で円を描く(糸の長さ(r)が半径となる)。
- 円の一点からその糸で円周を切っていく。
- 6回順次円周を切っていくと、最初の点に(必ず)戻る。
- これで円周は6等分できたことになる。
- “中点”にも円の中央から線を引けば、円周を12等分できる。
- このことから太古から、時刻は12進数で数えるのが便利であった。
- 1年を12カ月とすることとも一致しており、好まれた。さらに、12は2, 3, 4, 6 で割れる点からも12はより“合目的的”な数である。
- 60進数(sexagesimal notation)
- 時・分を細分する秒は、60進法である。
- おそらく10と12の最小公倍数から導き出されたもの。
- 中国でも古くから日を数えるのに60干支が使用されており、60進法は決して珍らしいものではない。
- 60進法を最もよく使用したのはバビロニアで、一般の記数法にも広く採用されている。
- 7進数(septal notation)
- 週は7日 なぜ?
- 1月をもう少し短い周期で考えるに、月は新月、上弦、満月、下弦の4つの周期があることに気づき、29日/4で約7日を短い周期の単位とした。
- 七曜(週の呼び名)
- 地球から見て天を一周する周期の長い順に動く星を7つ並べると、土、木、火、日、金、水、月となる。
- これを、24時の各時点に割り振る。1日の第1時から土、木・・・、すると
- 2日の第1時は日、3日の第1時は月、となり、土、日、月、火、水、木、金が得られる(この割り振りは“和算”でよく使われる)。
- (蛇足)六曜
- 何進数になったか・・・には必然がある。このような必然性にいつも気を配って欲しい。
- 昔から <10>は「人間的に自然な」数であり、改革が強行される日が来ないとは限らない。現に秒以下の数え方は10進法である。