(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

空海と京都           (INDEX:索引へ)


空海は、宗教界(もしくは日本)のスーパースター(大天才)でしょう。なにしろ
(1)密教の第八世法王、 (2)字は上手い(三筆)、 (3)唐語も話せる(梵語もか) (4)土木工事、 (5)ひらがな手習い歌作成 など。

空海は中国を始め全国に足跡を残して(伝説も多いですが)いますが、平安時代の人なので京都にも足跡はあります。

そこで空海の年表に合わせて「空海の京都での足跡」について整理した。
(注)空海の足跡については「空海の風景(司馬遼太郎、中公文庫)」に準拠している。


時代時代の期間と空海の年齢主な足跡関連する写真写真の説明
善通寺時代宝亀5年(774)~
(1歳~)
宝亀5年(774)善通寺の境内近くで生誕(6/15、讃岐の佐伯氏)
延暦5年(786)国学に入学(讃岐国府)
周囲が「大学に行かせよう」と思うくらいとびきり優秀であった(に違いない)
大学寮時代延暦7年(788)~

(15歳~)
延暦7年(788)国学を途中でやめて遷都令後の平城京に上京し
長岡新京にいる叔父(母方)阿刀大足の居宅に寄寓して大学受験勉強
延暦10年(791)大学「明経科」(法律・行政)に合格・入学(18歳)
密教に関心を持ち(大学とは関係なくある僧から)虚空蔵求聞持法を授った
わずか1年(退学手続きせずに)出奔
平城京では五条六坊の「佐伯院」(隣が大安寺)に住んだか
明経科では岡田牛養・味酒浄成に習い、規定外の音と書も学んだ
大学寮はまだ奈良にあり、入学後は奈良に戻ったか
山岳修行時代延暦11年(792)~
(19歳~)
(虚空蔵求聞持法を行ずる(実践して身に付ける)ために)
吉野大峰山、四国の石鎚山・室戸崎、阿波大瀧嶽などで修行
修行に入った時期を延暦13年(794)とする説もある
大安寺時代延暦12年(793)~
(20歳~30歳)
延暦12年(793)槇尾山寺で勤操(大安寺)の手で剃髪(20歳)
延暦16年(797)三教指帰を執筆(24歳)
この間万巻の経典を読み、特筆は久米寺所有の大日経を読破
山岳修行(延暦12年(793))から得度(延暦22年(803))の期間は足跡不明
(想像するしかないが)大安寺を中心に活動したか
青龍寺時代延暦22年(803)~

(30歳~)
遣唐使を知り急遽延暦22年(803)4月得度(地名の後の括弧内は「月」)

延暦23年(804)7/31出航、難破してビン江(8)/福州(10)/洛陽/長安(12)着
延暦24年(805)とりあえず西明寺に入り(2)、5月恵果(青龍寺)を訪問
6月に胎蔵界灌頂を受け、7月金剛界灌頂、8月伝法灌頂を受ける(32歳)

延暦25年(806)3月臨時便(順宗慶賀)で長安発、大同元年(806)6月明州/帰国(筑紫)(10)
この後、丸1年筑紫に残留
clickすれば大きな画像西安で唐代を偲べるのは
写真の「大雁塔」くらい
空海も間違いなく立ち寄った

一方、最澄の天台宗
(桓武天皇が崩御寸前に)延暦25年(806)1/26「年分度者を勅許」し成立した
槇尾山寺時代大同2年(807)~
(34歳~)
大同2年(807)秋漸く「上洛令」が出て「槇尾山寺」に入ったこの間(2年弱)に真言密教の理論体系化(両部不二)をした(と考えられる)
高雄山寺時代大同4年(809)~

(36歳~)
嵯峨天皇(4月即位)の命により大同4年(809)7月「高雄山寺」に入った
弘仁元年(810)南都六宗の要望で東大寺別当に就任(東大寺に赴かない)
弘仁2年(811)6月「飛白書」を嵯峨天皇に献上
clickすれば大きな画像最澄のいる延暦寺(洛北、官寺)
とは対照的に「洛西、私寺」

乙訓寺時代弘仁2年(811)~

(38歳~)
弘仁2年(811)11月高雄を降りて「乙訓寺」(別当)に移る
弘仁3年(812)10月最澄、空海を訪問(初めての面会)
弘仁3年(812)10月(1年で)「高雄山寺」に戻る
clickすれば大きな画像この頃嵯峨天皇との蜜月が続く
乙訓寺に呼ばれたのも嵯峨天皇が会いやすくするため

でも仕事には高雄山寺がよい
高雄山寺時代弘仁3年(812)~

(39歳~52歳)
弘仁4年(813)1月「興福寺南円堂」(密教式)建立
弘仁7年(816)7月「高野山開山」の許可を得る
弘仁14年(823)2月東寺に「真言密教の根本道場」設立を命じられる
clickすれば大きな画像この間が密教布教時代(大師堂

高野山・東寺など将来の準備期間でもあった

弘仁13年(822)最澄没

弘仁14年(823)嵯峨天皇譲位
東寺時代天長2年(825)~

(52歳~)
天長2年(825)4月東寺講堂建立に着手
完成後「教王護国寺」と命名し、空海を初代とする真言密教の東寺が発足
天長4年(827)5月大僧都
天長5年(828)「綜芸種智院」創立
天長7年(830)「十住心論」を著す
clickすれば大きな画像必ずしも東寺に居住したわけではない

東寺の仕事が多かったということ
高野山時代天長9年(832)~
(59歳~)
天長9年(832)8月高野山で最初の法会・万灯万華会
承和元年(834)高野山に隠棲
承和2年(835)1/23真言宗成立(年分度者勅許)、3/21入定(62歳)
高野山私寺故、すべて寄進を仰いだ
空海生存中も完成には程遠かった(承和9年(842)嵯峨院没)
延喜21年(921)「弘法大師」贈与