(京都の寺社−今昔−写真比較)
曼殊院
(INDEX:索引へ)
正式名称・宗派
:曼殊院門跡/天台宗
開基
:延暦年間(728-806)伝教大師最澄が創建。天仁年間(1108〜10)寺号を「曼殊院」と改め、明暦2年(1656)二十九代
良尚法親王
が入寺され現在の地に堂宇を造営した。
住所(昭和40年代の表記)
:左京区一乗寺竹ノ内町
現在の交通の便:市バス5番など「一乗寺清水町下車」徒歩20分
特記
:明応4年(1495)伏見貞常親王の息二品慈運大僧正が入室し、以後門跡となる。当時の地名をとって「竹の内御殿」とも称される。
曼殊院型キリシタン灯篭、梟の手水鉢、釘隠し
が有名。5月の初めには
霧島つつじ
が深紅の花を咲かせる。所有の
国宝仏画「黄不動」
は復刻画を見ることができる(本物は時折京都国立博物館で公開される)。
司馬遼太郎
もお気に入りだったようです。
近くの東山三十六峰
:
てん子山
公式サイト
:
曼殊院門跡
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1966−10−9
2007−11−14
庭園にある「
曼殊院型キリシタン灯篭
」
比較(コメント)
拝観料200円
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
このページのトップへ
2002−5−12
5月の初め「
霧島つつじ
」の深紅の花
2007−11−14
「
梟の手水鉢
」
2014−5−3
「
梟の手水鉢
」と「
霧島つつじ
」
2024−9−30
「勅使門」へ向かうアプローチ
2024−9−30、「勅使門」を囲む「石垣」、適度に「苔むし」ています
2024−9−30、拝観に向かう「石畳の坂道」、身が引き締まる思いがします
2024−9−30
「北通用門」、ここを潜って拝観します
2024−9−30、「小書院」の「扁額」、「閑酔亭」とある、松花堂昭乗の筆
2024−9−30、左の「扁額」の下にある「
釘隠し
」、これは「富士山」の形をしている