41.壬生忠見

みふの ただみ 上の句順 下の句順 (INDEX)


こひすてふ  わかなはまたき  たちにけり  ひとしれすこそ  おもひそめしか
恋すてふ 我名はまだき 立にけり 人しれずこそ 思ひ初しか
恋すてふ 我が名はまだき 立にけり 人知れずこそ 思ひ初しか

■親族歌人  壬生忠岑の子

■歌について
天暦の歌合という記録もあるが、村上天皇の時という意味で、実際は天徳四年の歌合で、忍恋の題で詠まれた。このときの番えが平兼盛の歌で、接戦で負けた。忠見は即退席し、これが原因で、不食の病になり、死に至った、と言われる。
■出典
拾遺集恋一
■作者略歴
生没年未詳。早くから歌の名が高く、延喜帝のときから禁裏で歌を詠んだ。摂津大目(958)。
【補】
壬生忠岑・壬生忠見父子は左京五条一坊七町(壬生寺周辺)に住んだ。