53.右大将道綱母

上の句順 下の句順 (INDEX)


なけきつつ  ひとりぬるよの  あくるまは  いかにひさしき  ものとかはしる
歎つゝ ひとりぬるよの 明るまは いかに久しき ものとかはしる
歎つゝ 一人寝る夜の 明るまは いかに久しき ものとかは知る

■友札   歎けとて

■歌について
3日程来ない日が続き、嘆きを知ってもらうためにわざと門を開けないで来訪を拒んだ。翌朝、その真意を歌に託して遣った歌。
■出典
拾遺集恋四
■作者略歴
937-995。陸奥守藤原倫寧の娘で、藤原兼家との若い頃からの恋を実らせ、その妻となった。日本三美人の一人。20年にわたる摂政兼家との行き来の歌・話を綴ったのが、この人の手になる「蜻蛉日記」。
【補】
実名は伝わっていない。だから「道綱の母」としか呼びようがない。三枝和子の小説『道綱母・寧子(やすこ)の恋』では名前が出てくるが、寧子は「作者が小説のために作り出した名前」で、実名ではない(小説の「あとがき」に断りがある)。
兼家には正妻がいて(「時姫」と呼ばれる)、道隆・道兼・道長・超子・詮子らは正妻の子供。「道綱の母」の子は、道綱一人。
「左京北辺三坊一町」(現在の西洞院通一条下ル)に兼家が用意してくれた「半町の大きな邸宅」に住んでいた。直ぐ近くに「兼家の正妻(時姫)」の邸宅もあった。「兼家には便利だった」であろう。

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