86.西行法師

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なけけとて  つきやはものを  おもはする  かこちかほなる  わかなみたかな
歎けとて 月やは物を おもはする かこちがほなる わがなみだかな
歎けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる 我が涙かな

■友札   歎つゝ

■歌について
西行の歌には他にも秀作が多い。にも拘わらず定家は、月の情けと恋の絡みのこの歌を採った。秀作は
「心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」
「願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」
■出典
千載集恋五
■作者略歴
1118ー1190。俗名佐藤義清。藤原秀郷九代の孫。鳥羽院北面武士に仕えるが、23歳で出家。「桑門に家なし」と唱え、各地を行脚。
【補】
西行は雲林院の満開の桜、後の月も詠っている。
西行が出家する原因を作ったのは待賢門院
西行が出家したのは勝持寺とされている。
西行の歌は多くの人に好まれた。十六夜日記では天竜川渡船小夜の中山越えにも引用されるし、宗達も絵巻を模写(重文)しているし、蕪村西行庵を偲んで発句している。
西行は晩年(文治5年(1189))「河内国弘川寺」に草庵を結び、そこで亡くなった(ことは確かなようです)。この地で詠った和歌が辞世になったようですが、結論は出ていない。