(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
院政時代「台風の眼」になった3人の女院
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法金剛院 | 三条西殿 | 西行 | 待賢門院堀河 |
創建当初の遺構としては「青女の瀧」が残るのみ。西行の足跡は見当たらない | 三条西殿では、(72)白河・(74)鳥羽と三人で同居した。待賢門院は二条富小路殿、春日殿にも | 文治3年(1187)「御裳濯河歌合」すでに達観 | 待賢門院の周りには、和歌の上手い女房達もいた |
(74)鳥羽の夫人は3人のみ記載 (皇后泰子、中宮璋子、皇后得子) (75)崇徳 保元の乱で讃岐に流され 陵は讃岐「白峯陵」 (77)後白河の夫人は4人のみ記載 (女御滋子、源懿子(よしこ)、高階栄子、高倉成子(しげこ)) |
「院政時代」の八条・九条あたり 平頼盛「池殿」 この位置に「美福門院御所」があった (74)鳥羽は足繁く通った 元々は藤原顕隆の「八条町尻第」 美福門院没後、平頼盛へ 東八条殿 「八条院御所」 周囲に「八条院領」も多い 西八条第 西の方には「大きな平家の屋敷」ができた |