(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

長講堂           (INDEX:索引へ)


五条の南を歩いていたら「長講堂」と刻された石標を見つけた。どこかで聞いた名前のような気がした。
後で調べてみたら、歴史の授業で聞いた「院政時の長講堂領」に関係があるらしい。

京都の町にはこうした『歴史の跡』が残っている。これらを見つけ・考える散策は楽しい。
ということでこのページでは“不勉強で”間違いも多いでしょうが、『経済的観点からの院政』について私説を述べる。


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京都市の資料によれば

  長講堂は後白河上皇(1127〜92)の持仏堂で、もともとは西洞院六条の六条院(六条御所)に所在していた。
長講堂には膨大な荘園が附属しており、上皇の没後も王家(持明院統)の経済基盤として重視されたが、
火災などによりたびたび移転し、天正年間(1573〜92)に豊臣秀吉(1536〜98)が寺町を整備した際に現在地に移転した。
この石標は、元は六条院に所在していた長講堂を示している。

とある。   


白河天皇/成菩提院陵鳥羽天皇/安楽寿院陵近衛天皇/安楽寿院南陵
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鳥羽離宮に最も近い天皇陵名前の通り安楽寿院の近く天皇陵としては珍しい優美な多宝塔陵