(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
(南北)両統迭立(前期)の里内裏
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以降、 持明院統(北朝)は赤系統 大覚寺統(南朝)は青系統で表示する 天皇名の前は「代数」 「天皇・上皇」は省略する |
(表の凡例) 持明院統(北朝)系の里内裏・院御所は 赤系統の背景 大覚寺統(南朝)系の里内裏・院御所は 青系統の背景 にした 「丸に炎」は里内裏・院御所が火災焼失したことを示す 「丸に崩」はその地で崩御したことを示す 「新造遷幸」は焼失建物が再建されて戻ったことを示す |
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(図の補足) 「五条院」(五条通大宮の北東角) 「持明院殿」(新町通上立売上ル、京外) は少し遠いので省略した 「押小路殿」=90亀山 「春日殿」=92伏見 「花山院」(幽閉)=96後醍醐 が院御所にしたとの記録もある |
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持明院統 | 持明院(名前の基となった持仏堂) | 長講堂(持明院統の所領の名義) | 冷泉富小路殿 | 常盤井殿(下御霊神社) |
持明院を御所にした「92伏見」がここで崩御(文保元年(1317))した | 「89後深草」が伝領した。往時は「西洞院六条」にあったが、現在は「富小路通六条上ル」にある | 「両統迭立期」は「89後深草」以降持明院統が長く使った。文保元年(1317)鎌倉幕府の再建で「二条富小路殿」となった | 「90亀山」の監理(往時の井戸の名は常盤井)だが、「89後深草・93後伏見」が使った。現在は下御霊神社が遷座している | |
大覚寺統 | 大覚寺(名前の基となった寺) | 八条院(大覚寺統の所領の名義) | 五条院 | 大炊御門殿 |
池の先に「91後宇多」が崩御(元亨4年(1324)6月)した大覚寺「宸殿」が見える | 「90亀山」が「安嘉門院」から強引に伝領した。現在はJR京都駅八条口中央案内所に碑を残すのみ | 88後嵯峨が「90亀山」のために造ってくれた御所。碑(「舊趾」)は「御前通高辻」の角に建っている | 「二条高倉殿」碑は見つからない。この石碑には「大炊御門万里小路殿」(「90亀山」以降大覚寺統が長く使った)とある |
笠置山(京都府相楽郡) | 花山院(東洞院通下立売下ル) |
元弘元年(1331)96後醍醐は京から逃亡して、ここ笠置山に潜幸した | 建武3年(1336)96後醍醐は花山院(往時の藤原忠平邸、左京一条四坊三町、現在は宗像神社)から脱出した |