(京都の寺社−今昔−写真比較)
南禅寺
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正式名称・宗派
:瑞龍山太平興国南禅禅寺/臨済宗南禅寺派大本山(末寺約420)
開基
:正応4年(1291)
亀山法皇
が、東福寺の大明国師無関普門を開山とした。この地は、亀山が上皇の時に、離宮禅林寺殿を造ったことに始まる。南北朝のきっかけとなる
皇位継承問題
で大覚寺統が敗れ、上皇は正応2年(1289)現在の
南禅院
で落飾出家し、法皇となって南禅寺を開いた。
その後、南院国師が伽藍を整備、後宇多天皇から
「五山之上」
の寺格が与えられた。正中2年(1325)8月29日夢窓疎石が入寺。
住所(昭和40年代の表記)
:左京区南禅寺福地町
現在の交通の便:市バス5番「南禅寺・永観堂前」下車(徒歩10分)、市地下鉄「蹴上」からも歩ける。
特記
:広くは「
金地院
」「
南禅院
」、
紅葉で有名な「
天授庵
」
など多くの塔頭を含める。狭くは
石川五右衛門で有名な「三門」
、「法堂」、「方丈・本坊・龍淵閣」一帯を指す。
方丈は国宝
で、その庭園は「
虎の子渡し
」と呼ばれる。方丈の障壁画(ほとんどが重文)は狩野一派によるものだが、現在本物は収蔵庫に移管された。
「勅使門」「三門」(ともに重文)は拝観料なしで外観できる。近くにはお寺ではないが明治からの遺産
「水路閣」
にも足を伸ばしたい。
近くの東山三十六峰
:
南禅寺山
公式サイト
:
南禅寺
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1966−10−12
2017−8−31
方丈
庭園「
虎の子渡し
」(名勝)
小堀遠州作
比較(コメント)
刈込の枝振りが少し寂しい
参拝客は圧倒的に「外国人」
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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2017−9−17。南禅寺の南にある「
水路閣
(川勝の言う「疏水の分流路」)
」
2017−11−10
紅葉の頃の南禅寺「
三門
」
2025−10−25
南禅寺「方丈の玄関」
(へ至る参道)
◆◆◆ 南禅寺の塔頭の一つに、「南禅院」があります。【川勝】の南禅寺のところに出てくるので、参考までに
「南禅院」の今の写真
もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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正式名称・宗派
:(臨済宗南禅寺塔頭)南禅院
住所
:(南禅寺と同じ)
特記
:【川勝には】「庫裡を出て
(中略)
疏水の分流路
(中略)
のアーチの一つをくぐると、一段高い山裾に、南禅院の一角がある。この南禅院こそ南禅寺の発祥の地」とある。
南禅寺発祥の地であった持仏堂は南禅寺創建後、塔頭となり南禅院と呼ばれた。庭園は
三名勝史跡庭園
の一つに指定されている。現在の建物は元禄16年(1703)
桂昌院
(徳川綱吉の母)
により再建されたもの。御霊殿の亀山法皇坐像は重文。
公式サイト
:
南禅院
2022−9−13
疏水の分流路
を潜って登る「勅使門」
2022−9−13。「
名勝史跡庭園
」だけが拝観できる。建物内部は非公開
2022−9−13
大きな「庫裡」。勿論見せてもらえない
◆ 南禅寺のその他の塔頭 ◆・・・
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塔頭
:南禅寺も公式サイトでは「塔頭」を明確にしていない。
公式サイトで「南禅寺派の寺院」になっていて、かつ「南禅寺周辺にある寺院」を拾ってみた(以下に示す)。
南禅院:
上に記述済み
揣蔔林寺(せんぷくりんじ):
僧堂
。永仁5年(1297)
亀山上皇
の勅で創建、上皇も参禅した。江戸初期、専門道場として再建。
天授庵
:三門の南。康暦2年(1380)
妙心寺
2世授翁宗弼が創建(
東海庵
の北)。本坊庫裏の北を経て、承応2年(1653)現在の地へ移転。明治元年(1868専門道場を設置。
紅葉が美しい
。
帰雲院
:境内の最北東部(若干、
山寄り
)。無関普門(大明国師)の後を継いだ「規庵祖圓(南院国師)」の塔所。
中々大きい
。
金地院:
別途記述済み
聴松院:
奥丹
の西隣。14世紀「清拙正澄」の塔所「瑞松庵」を創建。享徳2年(1453)細川満元により「聴松院」として再建。後期の足利将軍(義教、義晴ら)も戦陣として止宿したとも。「大聖摩利支尊天」も祀られている。
南陽院:金地院の東隣。明治42年(1909)「毒湛禅師」の塔所として創建。本堂に
木島櫻谷
の「山水障壁画」がある。庭園「植治の庭」は7代目
小川治兵衛
の作庭。
新しいが静かな佇まい
。
真乗院:三門の南西。15世紀139世「香林宗簡」が創建。
山名宗全
が深草郷を寄進する、その縁で
墓ができた
。応仁の乱後、現在の地に再建される。
谷崎潤一郎
もここで執筆した。
高徳庵:創建・変遷不詳。一般には「駒ヶ滝最勝院」と呼ばれているが、南禅寺公式サイトには「高徳庵」とある。
正因庵:天授庵の東隣。14世紀「徳叟周佐」の塔所となる。建築家「村野藤吾」の菩提寺でもある。
牧護庵:勅使門の北隣。元応2年(1320)5世「約翁徳検」の没後、塔所として創建。明治21年(1888)廃仏毀釈で「法皇寺」となったが、平成4年(1992)「牧護庵」に復され、
わらべ地蔵の庭
が作庭された。
慈氏院:聴松院の西隣。至徳2年(1385)頃、44世「義堂周信」が創建(根本延寿堂跡)。江戸時代
蜂須賀綱矩
が中興。明治元年(1868)現在の地へ移転。
達磨大師
の石標が目立つ。茶室「看雲席」がある。
正的院:
野村美術館
の西隣。元弘2年(1332)に没した「元翁本元」の塔所(僧堂の北)。大正15年(1926)現在の地へ移転。茶道の「玉川遠州流の本部」が置かれる。今も
静か
です。
「揣蔔林寺(僧堂)」
「帰雲院」の山門
「聴松院」の山門
「南陽院」の山門
「高徳庵」へ至る参道
「正因庵」の山門
「牧護庵」の山門
「慈氏院」の山門
「正的院」の山門