(京都の寺社−今昔−写真比較)
南禅寺
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正式名称・宗派
:瑞龍山太平興国南禅禅寺/臨済宗南禅寺派大本山(末寺約420)
開基
:正応4年(1291)
亀山法皇
が、東福寺の大明国師無関普門を開山とした。この地は、亀山が上皇の時に、離宮禅林寺殿を造ったことに始まる。南北朝のきっかけとなる
皇位継承問題
で大覚寺統が敗れ、上皇は正応2年(1289)現在の
南禅院
で落飾出家し、法皇となって南禅寺を開いた。
その後、南院国師が伽藍を整備、後宇多天皇から
「五山之上」
の寺格が与えられた。
住所(昭和40年代の表記)
:左京区南禅寺福地町
現在の交通の便:市バス5番「南禅寺・永観堂前」下車(徒歩10分)、市地下鉄「蹴上」からも歩ける。
特記
:広くは「
金地院
」「
南禅院
」、
紅葉で有名な「
天授庵
」
など多くの塔頭を含める。狭くは
石川五右衛門で有名な「三門」
、「法堂」、「方丈・本坊・龍淵閣」一帯を指す。
方丈は国宝
で、その庭園は「
虎の子渡し
」と呼ばれる。方丈の障壁画(ほとんどが重文)は狩野一派によるものだが、現在本物は収蔵庫に移管された。
「勅使門」「三門」(ともに重文)は拝観料なしで外観できる。近くにはお寺ではないが明治からの遺産
「水路閣」
にも足を伸ばしたい。
近くの東山三十六峰
:
南禅寺山
公式サイト
:
南禅寺
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1966−10−12
2017−8−31
方丈
庭園「
虎の子渡し
」(名勝)
小堀遠州作
比較(コメント)
刈込の枝振りが少し寂しい
参拝客は圧倒的に「外国人」
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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2017−9−17。南禅寺の南にある「
水路閣
(川勝の言う「疏水の分流路」)
」
2017−11−10
紅葉の頃の南禅寺「
三門
」
2002−2−24
南禅寺塔頭の一つ「最勝院」
◆◆◆ 南禅寺の塔頭の一つに、「南禅院」があります。【川勝】の南禅寺のところに出てくるので、参考までに
「南禅院」の今の写真
もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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正式名称・宗派
:(臨済宗南禅寺塔頭)南禅院
住所
:(南禅寺と同じ)
特記
:【川勝には】「庫裡を出て
(中略)
疏水の分流路
(中略)
のアーチの一つをくぐると、一段高い山裾に、南禅院の一角がある。この南禅院こそ南禅寺の発祥の地」とある。
南禅寺発祥の地であった持仏堂は南禅寺創建後、塔頭となり南禅院と呼ばれた。庭園は
三名勝史跡庭園
の一つに指定されている。現在の建物は元禄16年(1703)
桂昌院
(徳川綱吉の母)
により再建されたもの。御霊殿の亀山法皇坐像は重文。
公式サイト
:
南禅院
2022−9−13
疏水の分流路
を潜って登る「勅使門」
2022−9−13。「
名勝史跡庭園
」だけが拝観できる。建物内部は非公開
2022−9−13
大きな「庫裡」。勿論見せてもらえない