南禅寺山
(INDEX)
独断評価
発見難易度
登頂体力度
頂上眺望度
山行愉悦度
総合評価
5点満点
★★★
★★★
★
★★★
2.6
山頂の特定(
地図
)
山頂を記述した資料は見当たらない。
南禅寺後方の山の無名の「石標」のある地点
が山頂と思われる。
1万分の1地形図には
標高点(197m)
がある。数値地図には200mとある。
小さなピークになっている。杉などの林の中にあり眺望はまったく利かない。
登頂記録
「東山三十六峰特定」を意識してからの初登頂は、H07-10-22。
このときは「登山ルート」のとおり一旦若王子山頂まで行って『南禅寺』へ抜ける山道(下り切れば南禅寺最勝院へ出る)から登った。
若王子山頂からすぐに南西に抜ける道があり、これを辿って小高いピークを求めても山頂に出られる。道はこの方が整備されている。
南禅寺山
一言で言えば
南禅寺の背後に見えるどっしりとした山
。
南禅寺近くまで来れば大きな山に見える
ので見逃すことはない。
独秀峰の名に相応しく姿の秀でた山
である。
さらに東奥に標高326mの標高点があり、東山トレイルのルートにもなっている。ピーク性はあるが、若干奥まっているか。
「南禅寺南禅寺山町」にではなく、その東の「南禅寺福地町飛地」にある。
江戸時代の
南禅寺山
(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベースから)
左下「南禅寺」
(から東)
の背後に「
南禅寺山
(図では「
独秀峯
」)
」が描かれている
図には「駒ヶ滝」があり「神仙佳境」と書かれている。「南禅院」の傍に
水路閣
が無い以外は、
南禅寺は現在と変わらない
南禅寺
亀山上皇
が現在の南禅院の地に離宮禅林寺殿を造ったが、正応4年(1291)離宮を捨てて禅林禅寺を創建し東福寺大明国師(だいみょう)無関普門を開山とした。正安年間(1299-1302)南禅寺と寺号を改めた。臨済宗南禅寺派大本山(末寺約420)。
当初京洛五山の第一とされたが、足利義満が相国寺を創建したことで京洛六山になったため、南禅寺は「五山の上」に列することになった。
方丈(国宝)、石川五右衛門で知られる三門・勅使門・東照宮・南禅院(重要文化財)、虎の子渡しで知られる小堀遠州作庭の方丈庭園・金地院の鶴亀の庭(特別名勝)などが有名。
南禅寺塔頭の一つ
天授院
の紅葉
南禅寺塔頭の一つ
牧護院
の紅葉
近くにある
野村碧雲荘
の杜若
近くの穴場
水路閣
疏水事業
(明治18年(1885)第3代京都府知事北垣国道の発意により田辺朔郎工学博士(当時学生)が担当)の一環として施工された水路橋。延長93.17メートル、幅4.06メートル、水路幅2.42メートル、煉瓦造、毎秒2トンの水が流れている。
意外と水の流れは速く、水路閣の上に登って一度ご覧になることを薦める。
南禅寺境内の西洋風建造物だが、歴史的な風土に溶け込んだ景観となっている。
藤井有隣館
古代中国の銅器・仏像がところ狭しと並ぶ。六角の楼閣が目を引く。
第1・3日曜のみ
開館。
奥丹
湯豆腐
発祥の地とされる「南禅寺脇の総本家ゆどうふ奥丹」。江戸時代初期に始まる。自前の豆腐を出す。今でもメニューは「ゆどうふ一通り」のみ。
「ゆどうふ一通り」の中で
豆腐田楽
も出てくる。
昭和50年代に
「清水店」
を開業し、そちらが本店のようになったらしいが、こちら「南禅寺店」の方が
歴史を感じさせる
。
水路閣
藤井有隣館
の楼閣
奥丹
(南禅寺店)
雍州府志での記述
独秀峯
南禅寺の上に在る。即ちこの寺の主山。
東山国有林風致計画での記述
獨秀峯
今日の南禅寺山のこと
で、寺の上にある。
南禅寺山頂
若王子山からの山道の分岐(左へ入る)
南禅寺帰雲院の後に見える南禅寺山
南禅寺三門脇の参道奥に見える南禅寺山