(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

(平安時代の)賜姓源氏           (INDEX:索引へ)


平安時代には姓を持つ人が多い。多くは天皇家の周りを固める人たちである。
「武士」が出現してくると彼らはまた姓を名乗る。これらの関係をまとめてみた。
以下天皇名については、誤解を招かない個所では「天皇・上皇」を省略し「代数(2桁の数字)」を接頭させる。

    52嵯峨    54仁明    55文徳    56清和    57陽成    58光孝    59宇多    60醍醐    61朱雀    62村上    63冷泉以降
主な「賜姓源氏」の流れ(絶対数の少ない賜姓源氏は省略)源氏名の括弧内の数字は

議政官(大臣・大納言・中納言・参議)の数



(1)「嵯峨源氏」以降、臣籍降下は「源」姓が圧倒的になった


(2)有名な「清和源氏」は数が少なく、
  早くから「武家源氏」になったことがわかる。
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議政官(大臣・大納言・中納言・参議)任命人数の推移(10年ごと)≒賜姓源氏はどのくらい公卿になったか延暦20年(801)=50桓武
  〜永保元年(1081)=72白河(この後、院政)

倉本一宏「公家源氏」(中公新書)記載の情報から作成

横軸見出しは、その年の「天皇(年齢)/摂政関白」


(1)元慶5年(881)57陽成(13)・寛平3年(891)59宇多(25)と
  天暦5年(951)62村上(26)のときが
  源氏が藤原氏に人数的に拮抗していた

(2)天禄2年(971)64円融(13)/伊尹以降は「摂関政治」
  藤原氏が急増する

(3)正暦2年(991)66一条(12)道隆以降は「藤原氏と源氏」で
  ほぼ寡占する(偏る)
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源信の「北辺第」のあたり源融源等
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中立売通小川あたり百人一首かるたの絵札
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源頼信の絵か源頼義の邸宅のあった六条若宮源義朝の別邸あたり
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「岩波少年文庫」の本の表紙源義家がここで生まれたことから、現在は「若宮八幡宮」の跡が残っている(八幡宮は後に移転義朝が常盤御前と住んだ別邸、現在は牛若丸産湯井ノ遺跡に(紫竹南通船岡東通西入ル)
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陽成院元良親王光孝天皇源宗干
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陽成源氏(かるたの絵札)光孝源氏(かるたの絵札)

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源重信の「宇治の別荘」があったあたり源経信源俊頼俊恵法師(3代)源兼昌
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重信没後、重信の夫人が藤原道長に別荘を譲り渡し、後に「平等院」になった百人一首かるたの絵札
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