(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
(平安時代の)賜姓源氏
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主な「賜姓源氏」の流れ(絶対数の少ない賜姓源氏は省略) | 源氏名の括弧内の数字は 議政官(大臣・大納言・中納言・参議)の数 (1)「嵯峨源氏」以降、臣籍降下は「源」姓が圧倒的になった (2)有名な「清和源氏」は数が少なく、 早くから「武家源氏」になったことがわかる。 |
源信の「北辺第」のあたり | 源融 | 源等 |
中立売通小川あたり | 百人一首かるたの絵札 |
源経基を祀る「六孫王神社」 | 源重之 | 源頼光の住居あたり |
この辺り(南区壬生通八条西入ル)に源経基は住んでいた | 百人一首かるたの絵札 | 北辺二坊五町(現在の堀川通中立売上ルに架かる橋を渡った東側) |
源頼信の絵か | 源頼義の邸宅のあった六条若宮 | 源義朝の別邸あたり |
「岩波少年文庫」の本の表紙 | 源義家がここで生まれたことから、現在は「若宮八幡宮」の跡が残っている(八幡宮は後に移転) | 義朝が常盤御前と住んだ別邸、現在は牛若丸産湯井ノ遺跡に(紫竹南通船岡東通西入ル) |
源高明の邸宅のあったあたり | 左大臣「醍醐の御子兼明親王の住んだあたり | 源高房の「大炊御門第」のあったあたり |
後に娘・明子(藤原道長の妻)が伝領し、高松殿とした。現在は高松神社 | 「御子」の「左大臣」の館(御子左第)のあたり。現在は八坂神社又旅社 | 後に71後三条の後院となり、(さらに大覚寺統の御所にもなり)大炊御門万里小路殿の石碑が建っている |
源師房の住んでいたあたり | 源師時の「土御門邸」のあったあたり | 源雅実ら久我一族が住んでいたあたり |
「左京北辺四坊六町」、現在は京都御苑の中の京都迎賓館のあたりになる | さらに75崇徳・76近衛の里内裏にもなり、現在は「京都ガーデンパレス」になっている | 「久我縄手」を北上すれば「久我大臣之墓」(源通親か)がある |