(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典:番外)

清少納言:男性との心の交流(枕草子から)           (INDEX:索引へ)


「枕草子」にどんな「京都の光景」が描かれているか枕草子に出てくる「京都の光景」にまとめた。
その他「枕草子」には「清少納言の男性との心の交流」が垣間見られる部分も多い。その個所について現代語訳を作ってみました。
時間軸で追いかけてみると、段の順に読むのとは違った面白さがある。


清少納言が、一条天皇の中宮「定子」に仕えたのは「正暦4年(993)〜長保2年(1000)」の7年間。この期間(以下、用語として活用)、年齢は「28歳〜35歳」。

斉信 行成 伊周 則光 実方

clickすれば大きな画像『北家藤原氏 家系図』


「斉信」と「行成」は「詩歌」の仲間

「実方」と「行成」は仲が悪かった

「伊周」はボンボン

clickすれば大きな画像『枕草子 関連地図』

「職御曹司」(内裏の東側)=定子の御所(執務)
      文中では「中宮職の御曹司、中宮御所」
      「建春門」を潜って行き来した

「主殿寮」(庶務職員の室)=「御曹司」のさらに北側

--------以下、内裏の中(図の左半分)--------

「登花殿」=定子の殿舎(私室)、一時「梅壺」に

清少納言の局(私室)=「登花殿」の西廂の細殿(の1室)
      「黒戸」がある

「蔵人所町屋」=(頭中将はじめ)蔵人はここで番をする

行成の父(藤原義孝)清少納言藤原実方伊周の母
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行成は当代きっての能書家。少ない行成の歌「漁火の 浮かべる影と 見えつるは 波の寄るしる 蛍なりけり」(続古今)小倉百人一首には129段「夜をこめて」が採られている小倉百人一首には「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思いを」が採られている中宮定子の母でもある。数少ない伊周の歌「誰もみな 消えのこるべき 身ならねど ゆき隠れぬる 君ぞ悲しき」(続古今)

clickすれば大きな画像『枕草子 各段の時期』

「実方」に関して、聞いた話(32段)・回想(135段)の時期表示は割愛した