(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
大内裏
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『故実叢書』(明治32年(1899)頃発刊)の「京城洛図」(勘解由庁が無いので天長元年(824)以前の内裏と考えられる、大内裏図考証の一環)をベースにイメージ図を作成してみた | 現在の地図上に、大内裏を想像できる碑をプロットすると、上の図のようになる。(左のイメージ図も正確ではないし、碑も施設の一部を指しているだけなので、必ずしも一致しない)。 |
記号 | 施設(官庁)名 | 碑の所在地 | 説明 | 碑の写真 |
雀 | 朱雀門 | 千本通押小路上ル | 大内裏南面中央の正門。「平安京中央」の朱雀大路から大内裏に入る入口。 名前は「長安の例」に倣った。 石碑と説明板は、「本家八ッ橋 本店」の南、千本通に面したところに建っています(写真の左に見えるのが「千本通」≒「朱雀大路」)。 | |
朝 | 朝堂院 | 丸太町通千本西入ル | 【広辞苑第六版】から 大内裏の正庁。八省百官が政務を執行した所。天皇が臨御して視告朔の儀を行い、また、即位・大嘗会・朝賀などの大儀を行なった。 平安京では大内裏の南中央に位置し、朱雀大路の正面に臨む。 その正殿を大極殿といい、その後ろに小安殿があり、また十三堂・二十五門があった。八省院とも。 石碑は、「りそな銀行千本支店」の前に建っている。 | |
極 | 大極殿 | 千本通椹木町上ル | 【広辞苑第六版】から 朝堂院(八省院)の北部中央にあった正殿。殿内中央に高御座を置く。ここで天皇が政務を執り、または賀正・即位などの大礼を行なった。 平安京のは東西11間、南北4間。碧瓦で棟の両端に金銅の鵄尾があり、前方の東西に蒼竜・白虎の二楼を置く。 同様の形式が平安神宮で見られる。 大きな石碑が、「内野児童公園」の中に建っています。 | |
豊 | 豊楽院 | 丸太町通七本松東入ル (厳密には 丸太町通の一本南の通り) | 【広辞苑第六版】から 朝堂院の西の宮殿。大嘗会・節会・射礼・競馬・相撲などが行われた。 石碑と説明板は、豊楽院を想像させる「広い空地」(旧丸太町通に面して)を囲うフェンスの前に建っている。 | |
宴 | 宴の松原 | 出水通千本西入ル 碑は松原の東端 | 説明板から 豊楽院の北側にあった広場で「縁の松原」とも記され、南北約430m、東西約250m。「宴の場」が有力説だが、記録がない。「内裏の建て替え用の場」との説も。 広い場所(松林)の東端には「勘解由使庁、後には真言院」が建てられたりした。 石碑と説明板は、「石材 芳村屋」の角に建てられている。 | |
書 | 一本御書所 | 下立売通智恵光院西入ル | 【広辞苑第六版】から 平安時代、宮中におかれ、世に行われた書籍を天覧用に各1本別に写して献進したものを納めた所。「いっぽん の ごしょどころ」と読む。 「南所」と「内豎所」の間にあり、上のイメージでは省略した。 平治の乱のとき後白河上皇はここに幽閉された。 石碑と駒札は、「山中油店」の東側に建てられている。 | |
待 | 待賢門 | 猪熊通下立売下ル | 禁門(大内裏を囲む14門)の一つ。東面にある。 禁門については門院が詳しい。 平治の乱の折、平重盛と源義平がこの門の外側で一騎討を繰り広げた。 待賢門院璋子は「傾国の美女」、白河上皇・鳥羽天皇両方のお気に入りで保元の乱の因をなした。西行からも慕われ法金剛院に隠れた。 「平安京創始待賢御門跡」と彫られた石碑は、「瓦屋 堤瓦磚」の前に建っている。 |
記号 | 施設(官庁)名 | 碑の所在地 | 説明 | 碑の写真 |
左 | 左馬寮 | 丸太町通御前東入ル | 【広辞苑第六版】から 御牧および諸国の牧場から貢進する官馬の調習・飼養、穀草の配給、飼部の戸口・名籍などをつかさどった役所。左馬寮と右馬寮とに分かれていた。「さま の つかさ」と読む(ことが多い)。 西面の禁門「藻壁門」のすぐ内側にあった。 石碑と説明板は、「朱雀第二小学校」の敷地内(丸太町通に面して)建っている。石碑は「平安宮西限 藻壁門跡」とある。 | |
蔵 | 大蔵 | 中立売通浄福寺東入ル | 朝廷の倉庫。だから広い。大内裏の北側はほとんどが「大蔵」。その中に大蔵省(律令制の八省の一つ。諸国から納める調・庸の出納、度量衡・市場価格、器具・衣服の製作などを司った)があった。 石碑と説明板は、「正親小学校」の北東隅(大蔵省は、大蔵の西端にあったという説もあるが、石碑は大蔵の東端)に建っている。 その後、ここに豊臣時代の聚楽第が造られた(ので大蔵省跡の石碑のすぐ東に聚楽第址の石碑も並んでいる)。 | |
主 | 主水司 | 丸太町通日暮西入ル | 【広辞苑第六版】から 宮内省に属し、供御の水・粥・氷室のことをつかさどった役所。「しゅすいし」「もいとり の つかさ」「もんど の つかさ」と読み方が難しい。 石碑は、「丸太町コーポ」(丸太町通に面して)の前に建っている(写真の右に見えるのが丸太町通)。 | |
中 | 中務省 | 丸太町通智恵光院西入ル 【実際の中務省は丸太町通 より一本南にあったはず】 | 【広辞苑第六版】から 八省の一つ。天皇の側近に侍従し、詔勅の文案を審署し、宣旨・上表の受納・奏進、国史の監修、女官の名帳および叙位、諸国の戸籍・租税帳および僧尼名籍などをつかさどった。「なかつかさしょう」「なか のまつりごと の つかさ」「なか の つかさ」などと読む。 説明板は、マンション「パインフィールド二条城」の入口に置かれていて、「中務省東面築地跡」とある。 | |
太 | 太政官 | 竹屋町通千本東入ル | 【広辞苑第六版】から 八省諸司および諸国を総管し、国政を総括する最高機関。政務審議部門として@左大臣・右大臣・大納言(のち中納言・参議・内大臣が加わり公卿と呼ばれる)、その事務局としてA少納言・外記・史生、行政執行・命令部門として弁官(左右のB大中少弁など)の3部門によって構成されていた。当時は「だいじょうかん」と呼ばれていた。 説明板は、「京都市児童福祉センター」の前に建てられている。 | |
民 | 民部省 | 美福通竹屋町下ル | 【広辞苑第六版】から 八省の一つ。主計寮・主税寮を管轄し、戸籍・租税・賦役など全国の民政・財政を担当。「たみ の つかさ」と読むこともある。 説明板は、「二条中学校」の東の塀の前に建てられている。 | |
式 | 式部省 | 美福通押小路上ル | 【広辞苑第六版】から 八省の一つ。国家の礼儀・儀式・選叙・考課・禄賜などのことを司った(つかさどった)。古い読み方では「のり の つかさ」。 説明板は、「朱雀高校」の東門の脇に建っています。 | |
治 | 治部省 | 旧二条通御前東入ル | 【広辞苑第六版】から 八省の一つ。姓氏を正し、五位以上の継嗣・婚姻、祥瑞・喪葬・外交などをつかさどり、また、被官として雅楽寮・玄蕃寮・諸陵司・喪儀司が属した。古い読み方では「おさむる つかさ」。 説明板は、「朱雀第六小学校」の南側の校門の脇に建てられている。 | |
酒 | 造酒司 | 丸太町通七本松西入ル | 【広辞苑第六版】から 律令制で、宮内省に属し、皇室の用に供する酒・醴(あまざけ)・酢などの醸造をつかさどった役所。「さけのつかさ」と読む。 石碑と駒札は、「京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)」の入口脇に建っています。石碑には「造酒司倉庫跡」とある。 |