京都の街角写真

出水通           (INDEX:索引へ)


烏丸通の西にある湧水が溢れてこのあたりの道に浸水したことから「出水」と呼ばれた。
堀川以西は路地のように細く、市バスも走らない。

【森谷】平安京の「近衛大路」にあたる。
「烏丸通」から「七本松通」に至る。途中、京都府庁で中断。全長約1.6km。
“松林寺”(補注:一本南の通り)の絵が掲載されている。

  直接飛ぶのなら  西洞院  堀川  千本
北側東西位置南側
京都御苑「出水口 clickすれば大きな画像 門はない

烏丸通から
仙洞御所」の「表門」、
その奥に「大文字」が見える。

(撮影:2016/4/23)
「益富地学会館」

昭和48年(1973)「日本地学研究会会館」として発足。
御苑の隣にある「石の博物館」。

(烏丸西入ル)
<平安>近衛殿

(撮影:2016/4/3)
clickすれば大きな画像 烏丸西入ル

新町東入ル
clickすれば大きな画像 「安達くみひも館」

20年ほど前に開館。
京くみひも体験、人間国宝作品見学、買い物もできる。

(烏丸西入ル)
<平安>藤原忠通「勘解由小路烏丸第」

(撮影:2016/4/3)
「京都當道会」

「當道」とは目の不自由な人々の組織で、琵琶法師の座が母体。
明治4年(1871)盲官廃止令により、新発足した。

(室町東入ル)
<平安>近衛殿

(撮影:2016/5/2)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 やきそば「草庵」

築110年の町屋を改装。
やきそばをあてに、羽田酒造(周山)のお酒(北山杉)を飲む。

(室町東入ル)
<平安>藤原忠通「勘解由小路烏丸第」

(撮影:2016/4/3)
「京都府庁」

「出水通」を遮っている
clickすれば大きな画像 新町側は「東門」(写真)。

西洞院側は「1号館」。

<平安>修理職町

(撮影:2016/5/2)
北側東西位置南側
「りなちゃんのほっぺ」

日曜だけ営業の「豆乳スイーツ」の店。

(堀川東入ル)

<平安>左近衛町

(撮影:2016/5/2)
clickすれば大きな画像 西洞院西入ル

堀川東入ル



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clickすれば大きな画像 「八大龍王大神」

塀の向こうに“ひょっこり”祀ってある。どうやってお参りするのか。

(油小路西入ル)

<平安>左兵衛町

(撮影:2016/5/2)
出水橋 clickすれば大きな画像 煉瓦造りの立派な橋です。

川はすぐ越せるが、堀川通に横断歩道が無いので、大回りしないと「出水通」を突っ切れない

(撮影:2016/5/2)
北側東西位置南側
「かもがわ出版」

昭和61年(1986)から「京都から知的発信」をモットーに出版活動をしている。

(堀川西入ル)

<平安>検非違使

(撮影:2016/5/2)
clickすれば大きな画像 堀川西入ル

千本東入ル



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clickすれば大きな画像 「間野多平商店」

大正11年(1922)創業、西陣の呉服店。
「マル清」の屋号紋と「飾り絵」が気になる。

(大宮西入ル)

<平安>大内裏(左兵衛府)

(撮影:2017/3/10)
「筝春庵」

築110年の町屋で「生田流」を教えている。
琴以外で「二十絃箏」も。

(浄福寺西入ル)

<平安>内裏(桐壷)

(撮影:2016/5/2)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「櫻宮神社」

延喜10年(910)始まったといわれている。桜宮日降神明とも。
立派な佇まい。

(千本東入ル)

<平安>大内裏(采女町)

(撮影:2016/5/2)
北側東西位置南側
竹林山「福勝寺」

正嘉年間(1257〜)中興
秀吉が「千成瓢箪」を奉納したことで「ひょうたん寺」とも呼ばれている。

(千本西入ル)

<平安>大内裏(内膳司)

(撮影:2016/5/2)
clickすれば大きな画像 千本西入ル

七本松東入ル



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clickすれば大きな画像 石材「芳村屋」

明治44年(1911)創業
この界隈はお寺が多く「西寺町」と呼ばれている

(六軒町東入ル)

<平安>大内裏(宴の松原)

(撮影:2016/5/2)
華金山「華光寺」(けこうじ)
(出水の毘沙門さま)

天正10年(1582)創建
秀吉が寄進した「伏見城の毘沙門像」を守護神としている。長谷川平蔵の父宣雄の墓も。
(六軒町西入ル)
<平安>大内裏(宴の松原)

(撮影:2016/5/2)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 心和山「光清寺」

寛文9年(1669)創建
重森三玲の庭が目を引く(写真)。「浮かれ猫」の絵馬も。

(七本松東入ル)

<平安>大内裏(宴の松原)

(撮影:2016/5/2)