(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
神社のいろいろ(京都の街角写真から)
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「久我神社」(創建)不詳 | 「木嶋坐天照御魂神社」(通称:蚕ノ社)(創建)不詳(平安以前、604年とも) | 「小野神社」(創建)不詳 |
大宮通玄以下ル | 太子道天神川西入ル | 左京区上高野西明寺山町34(蓮華寺の東隣) |
(祭神)賀茂建角身命(賀茂県主(賀茂氏)の祖神) | (祭神)天照御魂神(神格も不詳)。渡来系の秦氏の鎮守社だろう、養蚕の神も祀っている | (祭神)小野篁先祖小野妹子・毛人。今は崇道神社の境内社になっている |
「梅宮大社」(創建)不詳 | 「大原野神社」(創建)延暦3年(784) | 「吉田神社」(創建)貞観元年(859) |
右京区梅津フケノ川町 | 西京区大原野南春日町1152 | 東一条通東詰(に表参道がある) |
(祭神)大山祇神ほかだが、「相殿」に橘氏(清友、嘉智子)が祀られている。井手/平城京を経て現在地へ移ってきた(遷座神社でもある) | (祭神)春日神(藤原氏の祖神)。長岡京に創建したが平安遷都に伴い嘉祥3年(850)大原野に遷座させた。藤原氏の(京都における大元の)神社 | (祭神)春日神(藤原氏の祖神)。藤原山蔭が(京近くに)勧請した(勧請神社でもある)。文明年間(1469)の吉田兼倶以降吉田神道になった |
「御香宮神社」(創建)不詳 | 「人丸神社」(創建)不詳 | 「護王神社」(創建)不詳 |
伏見街道沿い(現在「近鉄桃山御陵前駅」そば) | 醒ヶ井通高辻下ル(住吉神社の中にある) | 下長者町通烏丸通 |
(主祭神)神功皇后(架空の人物かも)。名水百選の御香水(貞観4年(862)湧出)でも有名。安産の神でもある | (祭神)柿本人麻呂(687?-707?)。人麻呂を祀る神社は全国各地にあり、どれが本物か | (祭神)和気清麻呂(733-799)。明治19年(1886)神護寺から現在の地へ移された。足腰の神でもある |
「六孫王神社」(創建)10世紀末 | 「建勲神社」(創建)明治2年(1869) | 「豊国神社」(創建)慶長4年(1599) |
八条通坊城東入ル | 船岡東通・北通・南通、建勲通が集まるところ | 大和大路通正面通 |
(祭神)源経信(917?-961)。現在は清和源氏発祥の地として有名に(「二世源氏」ですが) | (祭神)織田信長(1534-1582)。明治天皇の命で創建 | (祭神)豊臣秀吉(1537-1598)。徳川時代に廃祀され、明治になって(徳川時代が終わって)再興 |
「大石神社」(建立)昭和10年(1935) | 「東丸神社」(合祀)明治16年(1883) | 「梨木神社」(創祀)明治18年(1885) |
山科区西野山(桜ノ馬場町) | 伏見稲荷大社の南に接する | 寺町通広小路上ル |
(祭神)大石内蔵助(1659-1703)。内蔵助が山科に隠棲したと思われる所に建立した | (祭神)荷田東丸(春満、1669-1736)大人(本名 羽倉信盛、国学者)。学問の神様として崇敬される | (祭神)三條実萬・三條実美(1837-1891)父子。染井は京の三名水 |
「崇道神社」(創建)貞観年間(859-) | 「御霊神社」(創祀)延暦13年(794) | 「下御霊神社」(創祀)貞観5年(863) |
左京区上高野西明寺山町34(蓮華寺の東隣) | 烏丸通上御霊前通を東へ入る | 寺町通丸太町下ル |
(対象)延暦19年(800)崇道天皇と追号された早良親王を祀る。石碑には「崇導神社」とある | (対象)早良親王(、井上大皇后、他戸親王、橘逸勢、他)。正式には「上御霊」とは言わない | (対象)早良親王・伊豫親王・橘逸勢など八座。天正18年(1590)下出雲路から現在に地へ移転 |
「北野天満宮」(創建)天暦元年(947) | 「京都神田明神」(創建)不詳 | 「白峯神宮」(造営)慶応4年(1868) |
今出川通御前西入ル | 膏薬辻子 | 今出川通堀川東入ル |
(対象)菅原道真。創建の経緯はこちらに記載した。勿論天満宮系神社の総元締め | (対象)平将門(の首が飛んできた所らしい)。不明が多いが神田明神も京都の存在は認めている | (対象)崇徳天皇(讃岐院)・淳仁天皇(淡路廃帝)。幕末になって急遽祀った |
「大将軍八神社」(勧請)延暦13年(794) | 「岡崎神社」(創建)延暦13年(794) | 「玄武神社」(創建)元慶年間(877〜)か |
一条通天神西入ル | 丸太町通白川西入ル | 猪熊通建勲上ル |
(祭神)速素盞鳴尊ほか。当初は全方位を守護していたが、明治以降西方だけを守護するように | (祭神)速素盞鳴尊ほか。東方を守護する(通称:東天王)。子授け、安産、縁結びの神でも | (祭神)惟喬親王。北方(玄武)を守護する |
「市比売神社」(創建)延暦14年(795) | 「須賀神社」(創建)貞観11年(869) | 「大山祇神社」(創建)不詳 |
河原町通五条下ル お守り(女人守護)も人気 | 春日上通吉田東西入ル | 左京区北白川瓜生山町(瓜生山の登山口) |
(主祭神)多紀理比売命。東市・西市を守護する | (主祭神)素戔嗚尊。聖護院村一帯を守護する | (主祭神)大山祇神。山岳丘陵を守護する |
「六所神社」(創建)不詳(平安時代後期か) | 「田中神社」(創祀)弘安年間(1278〜)か | 「石井神社」(遷座)昭和2年(1927) |
山科区上花山旭山町(国道1号線沿い) | 御蔭通東大路西入ル(左京区田中西樋ノ口町) | 衣棚通北山北下ル |
(主祭神)熊野三所大神。上花山の名家比留田家の一帯を守護する | (祭神)大国主命。田中村を守護する | (主祭神)石井稲荷大神。現小山元町を守護する。これも(from京都伏見)遷座神社の一つ |
「福長神社」(遷座)天正年間(1573〜) | 「中山神社」(創建)延暦13年(794)か | 「北野竃社」(北野天満宮の末社の一つ) |
室町通武者小路下ル | 岩上通六角下ル | 北野天満宮東門入ってすぐ |
(祭神)福井神・綱長井神。宮中の井戸を守護 | (祭神)素戔嗚尊ほか。内裏の門を守護する | (祭神)庭津彦神(竃大神)ほか。台所の守り神 |
「敷地神社」(創建)不詳(平安以前) | 「六請神社」(ろくしょう)(創建)不詳 | 「大田神社」(創建)不詳(平安以前) |
西大路通蘆山寺上ル | 等持院の東に接する | 北区上賀茂本山 |
山背国葛野郡衣笠村に降臨した北山の神を祀る。通称:わら天神宮(北区衣笠天神森町、安産、子授け) | 衣笠岳御霊と衣笠先住民の霊を合わせて祀った(らしい) | 賀茂氏がこの辺を支配する前から先住民が福神を祀っていた。その後上賀茂神社の摂社になった(祭神:天鈿女命)。杜若で有名 |
「岩上神社」(創建)不詳 | 「石座神社」(いわくら)(創建)不詳 | 「岩屋神社」(創建)不詳(仁徳31年(343)とも) |
上立売通浄福寺東入ル | 現大雲寺の西隣 | 山科区大宅中小路町(京都橘大学の北側) |
(祭神)巨石『岩神』(写真右側) | 古くから岩倉に鎮座しており、天禄2年(971)大雲寺境内に勧請。明治に旧御旅所が山住神社に | (祭神)奥之院の背後にある陰陽の両巨巖。岩座信仰の名残り |
「八神社」(創建)大同年間(806-810)か | 「三栖神社」(創建)不詳 | 「天穂日命神社」(創建)延喜式(927)に記載 |
大文字山の登り口(銀閣寺の脇) | 伏見区横大路下三栖城ノ前町 | 伏見区石田森西町 |
(祭神)高御産日神ほか。浄土寺や銀閣寺の鎮守社でもあり、地域一帯の産土神でもある | (祭神)天武天皇ほか。現在の社殿は慶長8年(1603)造営のもの。今も「壬申の乱を偲ぶ炬火祭」が行われ、旧下三栖村の産土神になっている | (祭神)天穂日大神。古くから石田の産土神として知られる。枕草子の「石田の森」の中にある |
「與杼神社」(創建)応和年間(961-)以前か | 「大神宮社」(創建)不詳 | 「産土神社」(創建)不詳 |
伏見区淀本町(淀城址内) | 左京区静市市原町(叡電市原駅の隣) | 西京区桂上野中町 |
淀の産土神(淀・納所・水垂・大下津)。桂川河川敷拡幅工事により現在の地に移転 | (祭神)天照皇大神。別名「鴨岡太神社」で、昔「岡本郷」と呼ばれていた市原の産土神らしい | (祭神)彦火々出見命、応神天皇ほか。その名も「上野の産土神社」、憚って「上野産土神社」と呼ぶ人も。月読神社の旧鎮座地とも |
(竹田の)「松尾神社」(創建)不詳 | 「山科神社」(創建)寛平9年(897) | 「飛鳥田神社」(創建)不詳 |
伏見区竹田狩賀町 | 山科区西野山岩ヶ谷町 | 伏見区横大路柿ノ本町 |
(祭神)木花咲耶姫命。(松尾大社とは無関係のようです)。野田村の鎮守であり、地元民からは「安産の神」として祀られている | (祭神)日本武尊ほか。創建以降、この地の豪族宮道氏の祖神として祀られ、さらに「山科一ノ宮」として山科の産土神に | (祭神)荷田竜頭之遠祖霊。延喜式記載の式内社、「柿本社」とも。旧横大路村の産土神で、参道の石標(写真)も立派 |
「福王子神社」(造営)寛永21年(1644) | 「大豊神社」(創建)仁和3年(887) | 「鷺森神社」(現在の地へ遷ったのは元禄年間(1688-)) |
周山街道(高雄・嵐山の分岐点、福王子町) | 哲学の道南端 | 左京区修学院宮ノ脇町(鷺森神社) |
宇多野一帯の産土神。仁和寺の鎮守社でもある | 椿ヶ峰を御神体とした山霊崇拝の社に始まる。鹿ヶ谷一帯の産土神。近くに御旅所もある | (祭神)素盞嗚尊。現在の地に遷ってからは修学院・山端地区の産土神。両地区に御旅所がある |
(松ヶ崎の)「新宮神社」(創建)不詳 | 「妻菱神社」(創建)永久2年(1114) | 「川上大神宮社」(創建)不詳 |
左京区松ヶ崎林山 | 伏見区久我石原町 | 北区西賀茂南川上町 |
(祭神)熊野速玉神。古くは「大比叡大明神」、妙泉寺の鎮守社を経て、明治20年(1887)新宮神社になって、以来松ヶ崎の産土神(氏神)に | (祭神)天児屋根命。久我家の祖源雅実が勧請した。仁平4年(1154)「妻菱(ひしづま)大明神」に改め、以来久我の産土神に。「久世築山町」にも「妻菱神社」があって紛らわしい | 正式には(単に)「大神宮社」といい川上村の産土神。祭礼のやすらい祭は重要無形民俗文化財。隣は、一条昭良の恵観山荘跡(醍醐の森) |
「平野神社」(遷座)延暦13年(794) | 「天道神社」(遷座)延暦13年(794) | 「白山神社」(遷座)治承年間(1177〜)か |
西大路通上立売通 | 仏光寺通猪熊西入ル | 麩屋町通押小路下ル |
(祭神)今木皇大神ほか。平城京から大原野を経て平安京へ遷座 | (祭神)天照大神ほか。長岡京から | (祭神)菊理比売。加賀から遷座か。歯痛平癒の御利益もあるらしい |
「日向大神宮」(創建)顕宗天皇(485年頃か) | 「斎宮神社」(創建)不詳 | 「京都大神宮」(奉迎)明治6年(1873) |
三条通蹴上を過ぎて東入ル | 右京区嵯峨野宮ノ元町34 | 寺町通四条下ル |
(祭神)天照大御神ほか。京の伊勢。三条通蹴上に参道が開いている。京都市には元伊勢はない | (祭神)天照大神。伊勢神宮に奉仕する斎宮が有栖川の辺に(前身の)野宮を建てた旧跡と伝わる | (祭神)天照皇大神ほか。京の都のお伊勢さま |
「熊野神社」(創建)弘仁2年(811) | 「新熊野神社」(創建)永暦元年(1160) | 「熊野若王子神社」(勧請)永暦元年(1160) |
丸太町通東山通 | 東大路通泉涌寺道上ル | 哲学の道冷泉通上ル |
役小角の十世僧日圓が「紀州熊野大神」を勧請した。「京都三熊野の一つ」 | 後白河法皇が勧請した。「京都三熊野の一つ」 | 後白河法皇が勧請した。「京都三熊野の一つ」 |
「春日神社」(創建)天長10年(833) | 「櫟谷七野神社」(創建)嘉祥3年(850) | 「新日吉神宮」(創建)永暦元年(1160) |
佐井通蛸薬師下ル | 上御霊前通智恵光院東入ル | 東山区妙法院前側町 |
(祭神)春日神(藤原氏の祖神)。藤原旅子を母に持つ(53代)淳和院が奈良から勧請した。「西院春日神社」とも。今やいろいろな御利益も | 文徳皇后の安産を願って「奈良の三笠山」から春日大社を勧請した。春日神も多い。その土地七野の惣社となった。後に賀茂斎院も併設 | (祭神)日吉山王。後白河法皇が法住寺殿を造営する折、近江から勧請した。明治になって現在の地へ移り、後白河法皇を合祀して「神宮」とした |
「五条天神社」(創建)延暦13年(794) | 「宗像神社」(創建)延暦14年(795) | 「新玉津嶋神社」(創建)文治2年(1186) |
松原通西洞院南西角 | 京都御苑内(南西隅) | 松原通室町東入ル |
(祭神)(天からの使い)少彦名命(・大己貴命・天照大神)。宇陀から勧請。当初天使社(または天使の宮)、後鳥羽院のとき五条天神宮に改称された | (祭神)宗像三女神。藤原冬嗣が九州宗像から勧請。河内王朝からの流れか。京都ではここだけ | (祭神)衣通姫尊ほか。「和歌の上達を願って」藤原俊成が紀伊玉津嶋から勧請した |
「今宮神社御旅所」(建立)不明 | 「北野天満宮御旅所」(建立)不明 | 「北野天満宮瑞饋祭駐輦所」(建立)不明 |
大宮通建勲上ル | 妙心寺道佐井東入ル | 三条通天神西入ル |
平安時代から今宮祭のときに使われたらしい | 北野天満宮「瑞饋祭」が行われる(御旅所) | 正確には「駐輦所」で、北野天満宮「瑞饋祭」のとき神輿が立ち寄る |
「八坂神社又旅社」(昇格)明治39年(1906) | 「八坂神社御旅所」(併社)天正19年(1591) | 八坂神社「御手洗井」(建立)不明 |
三条通黒門西入ル | 四条通寺町東入ル | 烏丸通錦小路上ル |
正確には「境外末社」で、祇園祭では「奉饌祭」が執り行われる | かつての、大政所御旅所(下)・少将井御旅所(烏丸冷泉)などを合併して、現在の地へ移転した | 「大政所」同様、「併社前」八坂神社「御旅所」があったところ。今は井戸のみが残る |
「八坂神社大政所御旅所」(建立)不明 | 「鷺森神社御旅所」(建立)不明 | |
烏丸通仏光寺下ル | 左京区修学院仏者町 | 東大路通北山下ル |
天正19年(1591)併社された後、地元民が小祠を建て「八坂大神」を奉祀し、大政所町の「鎮護の社」とした。だから元御旅所、現「鎮守社」 | 鷺森神社は「修学院・山端」地区の産土神社だから「修学院地区」に御旅所がある | 「山端地区」にも御旅所がある |
「松尾大社西七条御旅所」(建立)不明 | 「松尾大社朱雀御旅所」(建立)不明 | 「大豊神社御旅所」(建立)不明 |
七条通1本南通御前西入ル | 七条通千本西入ル | 哲学の道大豊橋上ル |
西七条地区に3ヶ所あった御旅所を明治になってこの地に集約した。右との関係は不明 | 還幸祭で「旭の杜」(唐橋西寺公園)で神事を行った後に立ち寄るところ | 5月4日の大豊神社「氏神祭」の神輿の巡行(南禅寺、永観堂の前を通る)がここで休憩する |
「伏見稲荷大社御旅所」(建立)不明 | 「西院野々宮神社」(創建)不詳 | 「岡崎神社御旅所」跡(建立)不明 |
堀川通九条上ル | 右京区西院日照町 | 丸太町通岡崎東入ル |
(多分)御旅所の中で伏見稲荷大社のが一番大きい | (祭神)倭姫命、布勢内親王(平安時代最初に宣下された斎宮)。延暦16年(797)布勢内親王、承平2年(932)雅子内親王が野宮にした、と伝わる。現在は春日神社の御旅所 | 岡崎神社の斜め前にある。現在、御旅所は無くなって、跡を示す石碑のみが残っている |
「大宮姫命稲荷大神」(創祀)大同2年(807)か | 「竹中稲荷神社」(創祀)天長元年(824)か | 「武信稲荷神社」(創祀)貞観元年(859) |
竹屋町通美福西入ル−主税町 | 神楽岡(現在は吉田神社の末社) | 六角通神泉苑西入ル |
皇室を守護する「第六座大宮売神=大神」を祀る | 在原業平が近くに住んでいたらしい | 現在は「必勝・命名・名付」の神社 |
「出世稲荷神社」(創祀)天正15年(1587) | 「満足稲荷神社」(創祀)文禄元年(1592) | 「御辰稲荷神社」(創建)宝永2年(1705) |
旧二条通千本通(写真は移転前の地の旧跡) | 東大路通仁王門下ル | 丸太町通岡崎西入ル |
後陽成天皇が秀吉の「出世」に因んで創祀したが、平成24年(2012)大原へ移転してしまった | 秀吉が「母の大病平癒」霊験に「満足」して創祀した、元禄6年(1693)徳川綱吉が現在の地に | 芸事の神様を祀る。現在の御苑の「辰」(東南)の方角にある |
「合槌稲荷」(創祀)不明 | 「花山稲荷神社」(創祀)延喜3年(903)か | 「白雲稲荷神社」(創祀)不明 |
(本来の三条通の東へ)三条通岡崎西入ル | 山科区西野山欠ノ上町 | 左京区松ケ崎東山 |
この地の刀匠「小鍛冶宗近」が「稲荷狐の化身」の力を借りて、名刀「小狐丸」を打ち上げたことで創祀された。石標には「大明神」とある | (祭神)宇迦之御魂、神大市比売大神(お稲荷さんの母)。刀匠「小鍛冶宗近」は名刀「小狐丸」を打つにあたって、この稲荷に参籠したとも。 | 松ヶ崎大黒天の参道の途中にある「不思議なお稲荷さん」。ユニークな神託「井戸掘り・牛の飼育を禁ズ」で知られている |
「龍田稲荷神社」(創祀)不明 | 「月光稲荷大明神」(創祀)不明 | 「幾世稲荷神社」(創祀)不明 |
蛸薬師通油小路西入ル | 姉小路通下ノ森西入ル | 小川通三条上ル |
藤堂高虎の「民部稲荷大明神」が合祀されて、今に残るらしい | 後述の「明神」の併合系か。地元民の信仰は厚い | 扁額には「正一位」(伏見稲荷)、「大明神」とある |
「鵺大明神」(ぬえ)(創祀)不詳 | 「辰巳大明神」(創建)不明 | 「光盛大明神」(創祀)不明 |
二条公園内(北端) | 白川南通花見小路西入ル(祇園巽橋) | 上七軒歌舞練場内 |
源頼政(1104-1180)が鵺退治した鵺池の碑の脇にあるから、その頃創祀されたか | 京都の明神社の中で最も有名 | 明神は「手塚太郎光盛」(寿永3年(1184)没、手塚治虫の先祖) |
「鵲大明神」(かささぎ)(創祀)不詳 | 「市五郎大明神」(創祀)明治23年(1890)とも | 「吉川大明神」(創祀)不詳 |
松屋町通出水上ル | 西土居通御池上ル | 西土居通丸太町下ル |
扁額は「松永稲荷大明神」。「白玉大明神」も。明神は稲荷に近いか | 岡崎在住の「北村利幾子」がご神託を受けて、御土居の上に祠を創建とも | 創祀・由緒も不明。なんでこんなところにあるのか |
「総神社天満宮」(創祀)白鳳年間(672-)か | 「文子天満宮」(創祀)延喜5年(905) | 「文子天満宮」(創祀)明治6年(1873) |
紫竹通大徳寺通西入ル−下ル | 間之町通花屋町下ル | 北野天満宮境内 |
菅原氏が(賀茂鎮守社の)宮守をしていた(「学問所も開いていた」)ことから「天満信仰」へ | 天神信仰発祥の神社。北野天満宮の前身神社です | 北野天満宮の境内末社 |
菅原院「天満宮神社」(創建)不詳 | 「吉祥院天満宮」(創建)承平4年(934) | 「紅梅殿」(建立)不明 |
椹木町通烏丸西入ル | 南区吉祥院政所町3(西大路十条西入ル北) | 仏光寺通新町西入ル |
祖父・父の邸宅で、道真生誕の地と言われる | 朱雀天皇が道真を尊崇して勅祀した初の天満宮。胞衣塚(えなづか)があり生誕に関わりがありそう | 道真の邸宅跡で、父是善を祀っている |
「長岡天満宮」(創立)昌泰4年(901)か | 「安楽寺天満宮」(創建)不明 | 「水火天満宮」(建立)延長元年(923) |
長岡京市天神 | 天神通仁和寺街道下ル | 堀川通上御霊前上ル |
菅原道真が在京中からよく遊んだ場所で、左遷の折り立ち寄ったことから創立された | 北野天満宮御供所七保の一之保になっている | “日本最初の天満宮”とも言われる |
「長尾天満宮」(勧請)天暦3年(949) | 「錦天満宮」(創建)長保5年(1003)歓喜寺で | 「霊光殿天満宮」(造営)寛仁2年(1018)河内で |
伏見区醍醐伽藍町(醍醐寺の北東丘陵) | 錦小路通新京極通突き当り | 新町通今出川下ル |
醍醐天皇の御願で勧請された | 京都の天満宮の中でも最も有名か | 宝暦11年(1761)河内から現在の地に移転 |
「唐渡天満宮」(創建)天永2年(1111) | 「火除天満宮社」(創建)天正15年(1587)六条通 | 「勢龍天満宮」(創建)不詳 |
城南宮境内摂社の「芹川天満宮」になっている | 寺町通四条下ル | 「雲取山」下山路、灰屋川沿い「芹生」 |
唐渡(からわたり)とあるのは遣唐使を廃止した道真が「宋に渡って参禅した」という伝説に基づく | 天正7年(1579)秀吉の町作りで現在の地へ | 現在の社は昭和18年(1943)菅原伝授手習鑑「寺子屋」のあった(と思われる)場所に建てられた |
「平岡八幡宮」(創建)大同4年(809) | 「離宮八幡宮」(創建)貞観元年(859) | 「幡枝八幡宮」(創建)寛平6年(894)か |
右京区梅ヶ畑 | 乙訓郡大山崎町 | 左京区岩倉幡枝町 |
内陣天井の極彩色花絵「花の天井」は素晴らしい。山城最古の八幡宮とも。梅ヶ畑の産土神でもある | 最初の石清水八幡宮はここ(後に「男山」に建立し直した)。ここには嵯峨天皇の「河陽(かや)離宮」があったので「離宮八幡宮」に改称。後に「荏胡麻油」の製造を始めたことで油祖の名を賜った | 新羅の賊侵略脅威に対して、都守護のため都近くで「石清水」の涌くこの地に石清水八幡宮を勧請した |
「若宮八幡宮」(創建)天喜元年(1053) | (もう一つの)「若宮八幡宮」(創建)江戸時代 | (まだある)「若宮神社」(創建)不明 |
五条通東大路西入ル | 若宮通六条下ル | 大宮通北大路下ル |
源頼義が左女牛に創建、源頼朝も参詣した。慶長10年(1605)当地へ移転。陶器神社とも | 「八幡太郎義家誕生地」(碑に刻、移転前の左女牛の地)に、地元民によって創建された | 「若宮八幡宮」とも。元は源頼光の邸内にあった鎮守社。明治10年(1877)雲林寺村から移転 |
「三宅八幡宮」(創建)不詳 | 「真弓八幡宮」(創建)不詳 | 「吉利倶八幡宮」(創建)仁寿3年(853)か |
左京区上高野 | 北区真弓八幡町 | 山科区勧修寺御所内町 |
小野妹子が宇佐八幡宮を勧請したのに始まるとも。現在は「かん虫封じ」の八幡で子供を守る | 半国高山の北東、真弓川沿い、山深い所にある。坂上田村麻呂の創建との伝承も | 正式名は(単に)「八幡宮」。区別のため「きりく」を付けた。巨大破魔矢が常時置かれている |
「首途八幡宮」(創建)不詳 | 「御所八幡宮」(創建)康永3年(1344) | 「金攫八幡宮」(創建)貞享2年(1685) |
智恵光院通今出川上ル | 御池通高倉東入ル | 西大路通蘆山寺下ル |
宇佐八幡宮を勧請した「内野八幡宮」に始まるとも。源義経が平泉への「首途」に参詣した | 足利尊氏(当時「御所」と尊称されていた)が勧請 | (きんかく)。祭神は「八幡神(応神天皇)」。「小北山八幡宮」とも。「一攫千金」の意か |
「高松神明社」(創建)延喜20年(920) | 「櫻宮神社」(創建)延喜10年(910)か | 「神明神社」(創建)不詳 |
姉小路通新町西入ル | 出水通千本東入ル(西神明町) | 綾小路通高倉西入ル(神明町) |
祭神は「天照大御神」。真田幸村の「神明地蔵尊」も | 祭神は「天照大神」。「神明町」の謂れになった。「桜宮日降神明」とも | 祭神は「天照大神」「菅原道真」「多治比文子」。通称、榎神明(えのきしんめい) |
「由岐神社」末社「三宝荒神社」 | 常施無畏寺「護浄院」(開基)宝亀2年(771) | 堤境山「観音寺」(創建)延暦7年(788) |
左京区鞍馬本町(鞍馬寺の「山門と本殿」の間にある) | 近衛通寺町東入ル(「荒神橋」の近く) | 醒ヶ井通仏光寺下ル |
祭神は「三宝荒神大神」。由岐大明神が遷座し、末社に「火難除け」の三宝荒神も勧請された | 本尊が「清三宝大荒神」であり「清荒神」と通称されるが、本当は「神社」ではなく、お寺 | 後に「三寶大荒神」が勧請され「清荒神社」と呼ばれるが、ここも本当は「お寺」 |
「今宮神社」(創建)平安京以前から疫神を祀る | (右京区)「今宮神社」(創建)長和4年(1015) | 「粟田神社」(創祀)貞観18年(876)頃 |
今宮通船岡東西入ル | 妙心寺道妙心寺南門下ル−西入ル | 三条通神宮道東入ル |
(疫社祭神)素戔嗚尊。正暦5年(994)悪疫退散の「紫野御霊会」を営んで「今宮神社」に | (祭神)素戔嗚尊。もと「花園社」を「疫病退散」で改めて創祀されたもう一つの今宮神社 | (祭神)素戔嗚尊。疫病封じの折りに創祀された |
「八坂神社」(改称)明治4年(1871)八坂神社 | 「元祇園 梛神社」(創祀)貞観11年(869) | 「下鴨神社」(賀茂御祖神社)(創祀)不詳 |
東大路通四条上ル | 四条通坊城西入ル | 左京区下鴨宮河町 |
(祭神)素戔嗚尊。貞観11年(869)疫病の御霊治めで「祇園祭」を始める。写真は摂社の「疫神社」(疫神社の祭神は)蘇民将来 | (祭神)素戔嗚尊。疫病を鎮めるために創祀された。後に八坂へ遷座し、それが「今日の八坂神社」と伝える。要は「元祇園」 | (祭神)賀茂建角身命、玉依媛命。「御手洗(みたらし)祭」で「御手洗川」に浸かれば「罪・穢れを祓い、疫病から守ってもらえる」 |
「御金神社」(創建)明治16年(1883) | 「交通神社」(分祀)昭和39年(1964) | 「城南宮」(創祀)延暦13年(794)らしい |
西洞院通御池上ル | 春日上通吉田東西入ル | 鳥羽離宮のそば |
(祭神)金山彦命。金運を祈願すべく、田中庄吉が創建した | (祭神)素戔嗚尊ほか。交通安全を祈願すべく、お隣の須賀神社から「その機能だけ」を分祀した | (祭神)大国主命ほか。元々は「方除の神社」だが、狸谷山不動院と並んで「自動車に付けている交通安全のお札」はここが多い |
「藤森神社」(創建)不詳 | 「京都ゑびす神社」(創建)建仁2年(1202)頃 | 「繁昌社」(勧請)延喜年間(901-)か |
伏見区深草鳥居崎町 | 大和大路通四条下ル | 高辻通室町西入ル繁昌町 |
(祭神)素戔嗚尊ほか。神功皇后が戦勝の旗・武具を奉納したことから勝運・学問と馬の神社になった。境内に末社大将軍社もある | (祭神)大国主大神ほか。「日本三大ゑびす」の一つ、商売繁盛を願う人が多く参拝する。扁額も「ゑびす顔」。十日えびすときは祇園も大賑わい | (祭神)宗像三女神。「海上交通・商品流通」を司ることから商売繁盛の御利益があるとされ、名前も「繁昌社」となった(通称:繁昌の宮) |
「愛宕神社」(創建)天応元年(781) | 「積善院凖提堂」(創建)寛政11年(1799) | 「釘抜地蔵」(安置)弘仁10年(819) |
愛宕山上 | 春日上通吉田東西入ル | 千本通上立売上ル |
(祭神)迦遇槌命。火伏せの神だから火の用心。台所には「阿多古祀符 火廼要慎」を貼る。「勝軍地蔵」も祀られているから明智光秀も祈った | 実は「凖提観音」をお祀りする寺ですが、多くの家が盗難除けのお札をもらって玄関に貼っています。「祀符」を貼るの連想から掲載した | 空海が様々な苦しみを抜き取ってくれる「苦抜地蔵」を安置したことに始まる。これも「石像寺」ですが、御利益が有名なので併せて掲載した |
「幸神社」(創建)不詳 | 「野宮神社」(創建)不詳 | 「月読神社」(勧請)元禄8年(1695) |
上京区幸神町303 | 右京区嵯峨野宮町1 | 西京区松室山添町 |
(祭神)猿田彦大神。日本最古の縁結びの神社として知られている。併せて出雲路で「北東」の方位も守っている | (祭神)天照皇大神。源氏物語の影響か、良縁、子宝を祈願する人が多い。良縁祈願の神社は他にもまだまだある | (祭神)月読尊。「月」の関係から安産の守護神社となっている。松尾大社の摂社。壱岐から勧請でもある。安産の神社も多い |
「安井金毘羅宮」(創建)不詳 | 「菊野大明神」(創建)不詳 | 「橋姫神社」(創建)大化2年(646)か |
東大路通松原上ル | 河原町通二条上ル | 宇治市宇治蓮華46 |
(祭神)崇徳天皇ほか。「崇徳天皇の力」で悪縁を切り良縁を結ぶ、願い事の神社として最も有名に。治承年間(1177-)は寺だったが、今は「宮」 | (神体)深草少将の霊石(非公開)。「祈願の手順」が明記されていて、最強の悪縁切りかと思われます。法雲寺の境内にある | (祭神)瀬織津比(せおりつひめ)。元々は「宇治橋の守り神」であったが、橋姫が「丑の刻」参りをしたことから悪縁切りの神とも見られた |
「車折神社」(創建)文治5年(1189)の後 | 「芸能神社」(分祀)昭和32年(1957) | 「薬祖神祠」(創祀)安政5年(1858) |
右京区嵯峨朝日町23 | 右京区嵯峨朝日町23 | 二条通両替町東入ル |
(祭神)清原頼業(よりなり)。司馬遼太郎の説明によると、成り寄りの神=売掛金回収の神になったということになる | (祭神)天宇受売命。祭神が芸能・芸術の祖神であることから、芸能人も多く祈願しに参拝するようになった | (祭神)大巳貴命、小彦名命、大国主命、神農、ヒポクラテス。「二条=薬通り」の同業者が医薬事業の繁盛を祈るために祀った |
「猿田彦神社」(創建)延暦12年(793) | 「剣神社」(創建)不詳 | 「杉蛭子太神宮」(創建)不詳(江戸時代か) |
上御霊神社の手前 | 東大路通今熊野−東入ル | (下京区)猪熊通松原上ル(杉蛭子町) |
(祭神)猿田彦大神・天鈿女命。桓武天皇の勅願。天孫族の流れか。猿田彦神社は山ノ内にも | (祭神)瓊々杵命・白山姫。「軍神」かと思ったら「疳虫封じの神」。それにしては大きい | (すぎえびす)「杉の木の生えた塚」があった(御神体か)ことから祀られている |