吉田山
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★ | ★★ | ★★★ | ★★ | 3.0 |
- 山頂の特定(地図)
- 吉田山の最高点は「山頂休憩広場」にある標高点(121m)である(1万分の1地形図)。
- 数値地図には123mとある。
- 登頂記録
- 「東山三十六峰特定」を意識してからの初登頂は、H13-10-11。
- 自宅が近くにあるため、散歩の都度、登頂している。
- 吉田山
- 一言で言えば東双ヶ岡の北の一稜を成している丘陵のような広い山。
- 地勢的には東山連峰から外れている。東山連峰の西側にある東双ヶ岡に属する。
- 白川通の東側の道(鹿ヶ谷通、哲学の道など)から西を見る方がみつけやすい。
- 勿論鴨川から東を見れば東山連峰の手前に見ることもできる。
- 山腹に吉田神社があり、旧くは神楽岡と呼ばれた。
- 山そのものは、常緑樹のうっそうと生い茂るほの暗い森に覆われている。
- 山頂から南へ降りてきた広場に三等三角点があり、標識に「N35度01分18秒168・E135度47分19秒724、標高105.12m」と記されている(国土地理院の三角点情報と同じ、ただしこの情報によれば標高は105.11m)。
- その三角点を手持ちのGPSで測定すると(H15-01-04)、N35度01分18秒1・E135度47分19秒5、となる。【これをもって手持ちGPSの精度とする】
- 京都大学の学生は、この山を越えて下宿と学校とを往復していた。三角点近くに旧三高逍遥の歌「紅萌ゆる丘の花」の記念碑がある。
- 霊元法皇の御幸址もある。
- 旧名に相応しく「吉田神楽岡町」にある。
- 近くの仏閣神社
- 吉田神社
- 貞観元年(859)中納言藤原山蔭が平安京の鎮守神として奈良春日の神を迎えたのが神社の起こり。
- 文明年間(1469-1487)吉田兼倶が吉田神道を創設した。全国吉田神道の宗家。
- 東南に吉田神道の根本道場であり天神地祗八百万神を祭神としている大元宮(だいげんぐう、吉田神社の末社の一つ)がある。日本全国の式内神三千百三十二座の神々を祀る。八角円堂は国宝(慶長6年(1601)再建)。江戸時代はこんな風だったようです。
- 因みに、摂社として、若宮社・神楽岡社があり、末社として、斎場所大元宮・神龍社・今宮社・祖霊社・菓祖神社・山蔭神社・三社社・竹中稲荷神社がある。
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吉田神社表参道(東一条通)の鳥居 |
吉田神社北参道(今出川通)の鳥居 |
節分の夜(2/2)には屋台も出て賑わう |
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拝殿前の鳥居(扁額に「本宮」とある) |
摂社の一つ「神楽岡社」 |
有名な末社「大元宮」 |
- 宗忠神社
- 黒住教の教祖黒住宗忠(嘉永3年(1850)没)を祀る。天照大御神を主祭神としている。
- 安政3年(1856)(没後6年)「宗忠大明神号」を神祇管領吉田家より授けられ、文久2年(1862)この地に創建した。
- ここの鳥居は、鹿島鳥居に額束を付け貫を楔で固定した形をしている。
- 京都市遺跡地図台帳によれば、ここに「神楽岡城」があったらしい。「吉田山の南端、現在の宗像神社(注:宗忠神社の間違いか)近辺に造られた城跡」と記載されている。
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宗忠神社 |
茂庵 |
旧三高逍遥の歌紅萌ゆる丘の花の記念碑 |
- 近くの穴場
- 茂庵
- 吉田山頂近くにあるレストラン。歩いて訪れるしかない。
- 森の中の大正時代の建物であり(国登録有形文化財)、環境的にも静か。デート向き。
- 茶室もあり、催し物もあり、いろいろ活用できる。
- 二塔の見える坂道
- 吉田山頂から大文字山に向かって神楽岡通へ東へ降りていく途中、石の坂道がある。真如堂の三重塔と黒谷の文殊塔が並んで見え、東山の昔ながらの風光を残している。
- 雍州府志での記述
- 吉田山
- 如意ヶ嶽に西に在る。神祇舘の斎場所がある。この山の北に春日社(注:南の間違いか、吉田神社のこと)がある。
- 東山国有林風致計画での記述
- 吉田山
- 神楽岡とも云う。如意ヶ嶽に西にあって、山麓に吉田神社がある。
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吉田山最高点の「山頂休憩広場」 |
「山頂休憩広場」から見る大文字山 |
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銀閣寺から見る吉田山 |
二塔の見える坂道(文殊塔、三重塔) |