(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
徒然草に出てくる「京都の光景」
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枕草子に関連する段: | 枕草子を参照する段 | 書きっぷりが似ている段 | ||||||||||
兼好自ら足を運んだところ: | 化野・栗栖野・法成寺 | 安居院・亀山殿・上賀茂神社 | 大覚寺・千本釈迦堂 | |||||||||
兼好が人づてに聞いたところ: | 閑院・柳原・清水寺 | 石清水八幡宮・木幡・行願寺 | 有栖川・東寺・東三条殿 | 遍照寺・久我畷・律川 | 浄金剛院・五条院・出雲大神宮 | |||||||
そこに住んでいる人の話: | 染殿・悲田院・高山寺 | |||||||||||
正しい知識を伝える段: | 鳥羽作道・護摩をたく・何事の式 | 小野小町・左義長・靫かける作法 | 廻鶻・平家物語・六時礼讃 | |||||||||
人生の教訓を伝える段: | 二の矢・木登り・争わない | 財産は・上手の中で・欲望を捨てよ | その他(法然の言葉・家の作り様・名の付け方) |
吉田神社(創建)貞観元年(859) | 仁和寺(創建)仁和4年(888) | 長泉寺(創建)不詳 |
この神社の子供として生まれたという説は怪しいが、「卜部」姓を名乗ったことは確かなようです | 徒然草に「仁和寺の法師」はよく登場する。写真は草庵近くの「双ヶ丘から見た仁和寺」 | 山門手前に「兼好法師舊跡=草庵」の石碑があり、境内には兼好の墓とされる「兼好塚」がある |
野宮神社 | 賀茂神社の一重桜 | 池には蓮 |
「源氏物語」で一躍有名に。多くの内親王が斎王として「精進潔斎」した | 「下鴨神社」糺の森の一重桜(兼好の好み) | 「池に咲く蓮」と言えば法金剛院(大治5年(1130)創建)。兼好はこれを「草」と言う |
化野 | 栗栖野 | 法成寺(建立)治安2年(1022) |
写真は化野念仏寺。兼好の頃は(これ程整理されていず)死体散乱場だったはずです | 今の山科「栗栖野」は山里ではなく「街」になっています。名前は残っている。「栗栖野霊園」は山科区栗栖野打越町 | 建長6年(1254)以降再建されず、この頃は「址」だけになっていた。勿論、碑は無かったはず |
安居院(現在の西法寺) | 亀山殿 | 上賀茂神社の「橋本社」 |
今は西法寺に「聖覚法印(安居院流唱導)舊跡」が残る | 現在の天龍寺(康永4年(1345)創建)の敷地内(渡月橋から見えるあたり=上の写真)に亀山殿はあった | 「楼門」の御手洗川手前の「橋本社」。「岩本社」も残っているが双方とも今は誰も訪れない |
大覚寺(創建)貞観18年(876) | 知恩院(承安5年(1175)頃から徐々に) | 千本釈迦堂(開創)嘉禄3年(1227) |
徳治3年(1308)8月から、大覚寺域内に「後宇多法皇(大覚寺統)の御所」が置かれた | 常在光院は、江戸時代、相国寺に移された。「つき鐘」の行方は不明。写真は知恩院の「大梵鐘」 | 兼好が説教を聴聞した本堂が今も残っている、ここに行けば「兼好と同じ匂い」が嗅げるか |
閑院 | 柳原 | 清水寺(開山)宝亀9年(778) |
正元元年(1259)(5月)焼失以降、再建されなかった。写真は閑院のあったあたり(押小路通小川角) | 現在の上京区柳原町あたりとか。ここには無学寺(弘安2年(1279)創建)があったはず | この頃(鎌倉時代末期)も、清水寺には多くの人が参詣していたことが分かる |
石清水八幡宮(創建)貞観元年(859) | 木幡(写真は奈良街道脇の大善寺) | 行願寺跡(創建)寛弘元年(1004) |
今はケーブルカーで行けるが、ゆっくり自らの脚で昇り降りして欲しい | 大善寺は「奈良街道の六地蔵」、道標には「左 伏見道」(宇治街道とも)とある | この頃の行願寺(革堂)は一条通小川(写真)あたりにあったので、人気(ひとけ)は少なかったか |
有栖川にある斎宮神社(創建不詳) | 東寺(建立)延暦15年(796) | 東三条殿(左京三条三坊一〜二町) |
「野宮」発祥の地。最初の野宮はここ川の辺にあったらしい。兼好は知らなかったか | 写真は「東寺南門」前。後醍醐天皇も隠岐から帰還した時、東寺から入京した | 直近では「白河院」が里内裏として使った(保延6年(1140)前後)。このときは里内裏でなかった |
遍照寺(創建)永祚元年(989) | 久我繩手(久我畷) | 律川 |
創建後、早く廃れたので、当時は「まともに」管理されていなかったか | 鳥羽作道を南下して、鳥羽殿をあたりから、西へ向かえば(真っすぐな道のある)「久我」に出る | 大原の音無の滝を源流にして、声明で有名な来迎院の近くを流れる川、呂川も近くを流れる |
妙心寺(開創)建武4年(1337) | 五条院 | 出雲大神宮(正応5年(1292)正一位に) |
浄金剛院(既に廃院)の鐘は、現在、妙心寺「法堂」に移されている。写真は妙心寺「北門」 | 碑(「舊趾」)は「御前通高辻」の角に建っている | 新装なった鳥居では「撫でうさぎ」が出迎えてくれる。獅子・狛犬は社殿の方に |
鳥羽の作道 | 勘解由小路 | 建礼門 |
「鳥羽地蔵」あたりから北(羅城門方向)を望む、まっ直ぐな道(作道、街道)になっている | 勘解由小路の西端に「勘解由使庁」があった。そのせいか、今も勘解由使関連の役所が多い | 「建礼門院」は平徳子(高倉天皇中宮)のこと。右京大夫は多くの書を残している |
小野小町化粧井戸 | 神泉苑 | 五条天神宮(創建)延暦13年(794) |
兼好の頃から真偽が疑われていた。兼好のご意見どおり、後世なお真偽は不明です | 「左義長」は「どんど焼き」と混同、「神泉苑」は「雨乞いの場所」と誤解されている | 弘法大師(空海)の開基といわれる(多少“眉唾”)「靫を懸ける古社」。でも由緒はありそう |
廻鶻 | 平家物語 | 安楽寺(建立)承元5年(1211)頃 |
廻鶻を演奏する楽器。写真は(京都ではなく)ウィグル「カシュガル」の楽器職人の店 | 「祇園精舎の鐘の声・・・沙羅双樹の花の色・・・」の「沙羅の木」(妙心寺東林院) | 「安楽寺」は法然が、安楽の菩提を弔うために建立した寺。兼好は訪れたか(不明) |
法然院(創建)延宝8年(1680) | 修学院離宮の「窮邃亭」 | 阿弥陀寺(寺町通上御霊前下ル) |
「法然ゆかりの地に建てられた念仏道場」だから、法然の精神を感じられる。兼好は見ていない | 「蔀戸」を開け放てるように、床下の通気も良くする。これらも夏の居住を快適にする仕組み | 「阿弥陀寺」はありのままの名前。誰でも浄土宗であることがわかる。兼好も気に入ってくれるか |