善気山
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★★ | ★★★ | ★ | ★★★ | 2.6 |
- 山頂の特定(地図)
- 法然院から急坂を登りつめていくと、やがて高い松の木が散在する平地へ出る。このあたりが標高266mで、街から見える山頂になっていると思われる。目印になるものはない。
- さらに進んで一旦下って登ったところに標高点(271m)があるが、ピーク性もなく街からは見えないので山頂とは言えない。さらに進むと大文字の火床(標高290mから370mに亘っている)へ出る。
- 「登山ルート」から見ると「大文字山の前衛峰」に見える。
- 登頂記録
- 朝の散歩がてら、H15-01-05初登頂。
- 「登山ルート」のとおり『法然院』脇墓地の阿育王(あしょかおう)塔の左から急坂を登って、登頂した。
- 「山頂の特定」に記したとおり、大文字山の火床から、高い松の木が散在する平地を目指して下りてくれば、善気山に出られる(安直な登り方ですが)。
- 善気山
- 一言で言えば法然院の背後にあるこんもりした山。
- 遠くからは見つけにくいが白川通まで来れば大文字山の南手前に見ることができる。
- 五山送り火の準備の道になっているためか支道も多くわかり難いが、登山路は整備されている。
- 法然院の裏に「鹿ケ谷善気山町」はあるが、善気山自体は「浄土寺七廻り町」にある。
- 法然院
- 延宝8年(1680)知恩院第38世法主玄誉万無が、法然上人の精神を慕ってここ「獅子谷(ししがやつ)」に開いた。善気山萬無教寺と言う。
- 茅葺の山門、砂文の白砂壇、苔の庭、いつも花を置いてある雨水鉢、善気水が涌く池など心が洗われる程に美しい。山門から庭まではいつでも無料で鑑賞できる。
- 4月と11月に公開される本堂須弥壇の二十五個の撒花には浄土の色彩が見える。
- 毎朝6時、夕刻5時には鐘が撞かれる。除夜の鐘は参詣者全員に撞かせてくれる。
- 宗教の難しさか、現在は浄土宗に属しておらず単立宗教(浄土系)となっている。
- 本堂北側の中庭には、三名椿(五色八重散り椿・貴椿(あてつばき)・花笠椿)が植えられている。
- 近くの仏閣神社
- 安楽寺
- 流罪地から帰京した法然上人が、住蓮・安楽の菩提を弔うため建立。その後延宝8年(1680)再建。単立浄土系住蓮山安楽寺。
- 建永元年(1206)後鳥羽上皇の女官松虫・鈴虫は法然の説法を聞き、住蓮・安楽を師に出家した。これを契機に専修念仏の弾圧が始まり、住蓮・安楽は死罪、法然・親鸞は流罪となった。この事件がこの寺創建の事由。
- 非公開だが、11月の土日、7月25日(カボチャ供養)には公開される。
- 法然院を一回り小振りにした茅葺の山門、つつじ、さつきが見事。
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紅葉の時期の山門 |
同−新緑の木漏れ日 |
同−雪の残る朝 |
- 霊鑑寺
- 承応2年(1653)後水尾上皇が如意寺に残る如意輪観音像をこの地に移し、霊鑑寺を建立、翌年皇女谷宮(たりのみや)が入寺して開基となった。臨済宗南禅寺派の霊鑑寺尼門跡。
- 建物は後西天皇の旧殿を下賜され、代々皇女皇孫女が入寺されたことから「谷の御所」と呼ばれている。御所人形などの寺宝も多い。
- 「椿の寺」としても有名で椿の季節に公開される。雌蘂のない「日光椿(天然記念物)」を始め多くの種類の椿がある。
- 私のお気に入り寺社の一つ。
- 雍州府志での記述
- 善気山
- 慈照寺山の南に在る。近年(江戸時代のこと)万無寺を茲の処に建てる。
- 東山国有林風致計画での記述
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霊鑑寺から善気山を見る |
善気山頂への登り(月待山分岐の先) |
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善気山頂(遠くは比叡山) |
善気山から大文字火床を見る |