(京都の寺社−今昔−写真比較)
清水寺
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正式名称・宗派
:音羽山清水寺/北法相宗大本山(末寺約10)
開基
:宝亀9年(778)奈良子島寺の延鎮上人が「北観音寺」として開山、その後
坂上田村麻呂
が金色の十一面千手観音像を造立したことに始まる(清水寺縁起)。音羽の滝の清水から寺名を「清水寺」と変えた。延暦17年(798)創建と伝えられる。
本堂(国宝)は寛永10年(1633)徳川家光の再建。
住所(昭和40年代の表記)
:東山区清水一丁目
現在の交通の便:市バス5番など「五条坂」下車(徒歩15分)
特記
:清水の舞台のある
本堂(国宝)、馬駐(うまとどめ)・仁王門・鐘楼・西門・三重塔から奥の院
まで主な建物はほとんどが重要文化財で見どころは多い。近くの
成就院、子安塔
にも足を伸ばしたい。
西国第十六番札所
にもなっている。
清少納言は何回も清水寺を参拝したようで(「
枕草子
」第115・212・224段に出てくる)。第12段では『峰は、譲葉(ゆずるは)の峰、阿弥陀の峰、弥高(いやたか)の峰』と詠っているほど清水寺本堂から
子安塔越しに見る阿弥陀ヶ峰
の姿は美しいと感じていたようだ。
実際の山
:
音羽山(=清水山、242m)
近くの東山三十六峰
:
清水山
公式サイト
:
清水寺
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1961−4−19
2007−9−16
京都記念写真のメッカ「
三重塔
」
比較(コメント)
中学校時代の修学旅行で
拝観料【20円】
「三重塔」前の石段を登る観光客は
少ないようです
塔頭
:公式サイトでは塔頭を公表していない。塔頭と思われるのもを拾い上げてみた。他にもあるかもしれない。
子安塔:本坊の南。正式には「泰産寺」。安産祈願の
光明皇后
が天平年間(729-)(仁王門近くに)建立したとも。
三重塔
(重文)に「十一面千手千眼観音菩薩(子安観音)」を祀る。現在の子安塔は寛永の再建で、明治45年(1912)
現在の地へ移転
。
成就院:
旧本坊
。文明年間(1469-)創建か。寛永6年(1629)焼失したが、
東福門院
の寄進で再興。
庭園は名勝
。
来迎院:境外塔頭(清水2丁目、産寧坂の角)。創建不詳。本尊は聖徳太子像。小さな堂が残るのみ。通称=
経書堂
(きょうかくどう)。謡曲「熊野」にも出てくる。
大日堂:清水寺の塔頭「宝性院」(清水寺仁王門の北にある)の
末寺
。正式には「真福寺」。空海作と伝える大日如来を安置する。天文3年(1534)創建か。「大日堂」の石標が建つ。
随求堂:清水寺の元塔頭「慈心院」の本堂。創建・沿革など不詳。本堂は享保3年(1718)の再建で、廃仏毀釈などで本堂だけが残った。その前庭にある石灯籠の火袋の中に「景清爪形観音」(平安時代の平景清が爪で彫った)が安置されている。
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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2004−6−19
本堂から「
子安塔
」
越しに見る阿弥陀ヶ峰