清水山
(INDEX)
独断評価
発見難易度
登頂体力度
頂上眺望度
山行愉悦度
総合評価
5点満点
★★★
★★★
★
★★★★
3.0
山頂の特定(
地図
)
三等三角点(清水山)のある地点
が山頂。
三等三角点は、N34度59分23秒700・E135度47分29秒161、標高242.26m。
東山トレイルからは東に10m程入った林の中にある。
眺望はまったくない
。三角点の機能が果たせないのではないかと心配する。
数値地図では標高243mのピークとなっている。
登頂記録
H06-12-10初登頂。
このときは東山トレイルを南から辿って登った。
清水山
一言で言えば
清水寺の背後の緑に覆われた大きな立派な山
。
鉢を伏したような大山容
なので、どこからでも識別できる。
東山三十六峰の中核部で最も目立つ山の一つ。
「清閑寺清水上山町」にある。
清水寺
清水寺縁起によれば、宝亀9年(778)奈良子島寺の延鎮上人が「北観音寺」として開山、その後
坂上田村麻呂
が金色の十一面千手観音像を造立したことに始まる。
山号は「音羽山」
。音羽の滝の清水から寺名を「清水寺」と変えた。北法相宗本山(末寺約8)。
清水の舞台のある本堂(国宝)、馬駐(うまとどめ)・仁王門・鐘楼・西門・三重塔から奥の院まで主な建物はほとんどが重要文化財。
山間に見える三重塔(子安塔、重要文化財)は明治時代までは泰産寺に属していたが、廃寺により清水寺に移管された。泰産寺は安産祈願の寺で、三年坂(産寧坂)の因みになっているとの説が有力。
阿弥陀堂は、日本最初の常行念仏道場。
世界遺産に指定されている。
清水寺の「三重塔」
清水焼発祥の地「若宮八幡宮社」
人間国宝「清水卯一」の子「保孝」宅
江戸時代の
清水寺
(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベースから)
今とあまり変わらない
「音羽滝」「地主権現」「成就院」なども。当然奥にあるのは「
清水山
」
(説明では「音羽山」)
。清水山は
清閑寺
でも描かれている
しかし、寛永を過ぎているので「三重塔」も「子安塔」
(左下、
この頃は今と違ってこの位置にあった
)
も描かれている
近くの催しもの
陶器祭り
毎年8月7〜10日、五条坂を中心に行われる。
京焼
(京都に興った焼物の総称、野々村仁清が完成させた)には
粟田焼
と
清水焼
があったが、江戸時代中期製陶場所が五条坂に一本化された頃から名称も清水焼に一本化された。
雍州府志での記述
清水山
麓に清水寺が在る。山の北に、観勝寺谷が有る。
音羽山
清水山に在る。
東山国有林風致計画での記述
清水山
音羽山とも云い、清水寺の上にある。
清水山頂(三角点)
五条通から清水山を見る
子安塔からの道、東山トレイルへ入る分岐点
東山トレイルから山頂(右)へ入る分岐点