清閑寺山
(INDEX)
独断評価
発見難易度
登頂体力度
頂上眺望度
山行愉悦度
総合評価
5点満点
★★★★
★★★★
★
★★
1.8
山頂の特定(
地図
)
『清閑寺』裏の墓地から「高倉天皇・六条天皇陵」の上へ出て、清水山へ向かう途中に小さなピークがある。これが清閑寺山である。
「
清水山南稜にある小さなピーク
」と考えるのがよい。カシミール・数値地図から
標高は202m
とした。精密再調査の結果、このピークを山頂とした。間違いないと思う。
眺望はまったくない
。雍州府志の表現がよくあっている。
登頂記録
H15-2-1初登頂。「登山コース」どおり登る。下山ルートも同じ道を辿った。
「東山三十六峰ハイキングコース」
にも示したとおり、東山トレイルから東へトラバースする、清水山から南稜を下りてくる方法もある。
清閑寺山
一言で言えば
清閑寺の裏山となっている小高い山
。
地勢的には清水山南稜なので清水山にへばり付いた位置にあって、独立峰には見えない(
東山三十六峰の近接関係
を参照)。
しかし「高倉天皇陵前」まで来れば、その背後に大きな独立峰のように見える。
雍州府志は「清閑寺山」と「歌の中山」を別の山と見ている
。
その複雑さを反映したわけでもないでしょうが「清閑寺歌ノ中山町」にある。
江戸時代の
歌の中山
(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベース)
左上に「
歌の中山
(図では「歌中山」)
」が描かれている
「
(説明に、歌中山は)
清閑寺の北
(にあり)
音羽山
(清水山のこと)
の間を言う」とあり
「清閑寺山」の記述は無い
から、右の山は
清水山
だろう
清閑寺
には「
小督塚
」が描かれている。
清閑寺
延暦21年(802)紹継が創建。
一条天皇
によって再興されたが、現在は十一面千手観音を安置する本堂のみを残す。真言宗智山派。
山号は「歌の中山」
。住所は「東山区清閑寺歌ノ中山町」。
六条天皇(清閑寺陵)・高倉天皇(後清閑寺陵)の御陵のそばにあるためか、今なお辺りは静か。
手前にあるのが、
高倉天皇陵(後清閑寺陵)
です。
高倉天皇を偲んで天皇陵の近くに建てられた「小督局(こごおのつぼね)の宝篋印塔」、市街を見る要(かなめ)の位置にある「要石」、西郷隆盛と月照が会合した「郭公亭」が知られている。
境内には2基の宝篋印塔が並んでいる。1つは開創紹継法師の宝篋印塔で、こちらの方が大きい。
「歌の中山」から見上げる清閑寺
小督局を供養する宝篋印塔(手前)
要石
の先に京都の市街が見える
西郷隆盛と月照が会合した郭公亭
近くの穴場
歌の中山
清水寺の音羽滝から子安塔を経て清閑寺に至る杉並木の続く深々とした山路を中山
といい、景色がよく歌人文人らがしばしば歌に詠んだことから「歌の中山」と呼ばれるようになった。
清閑寺の持戒僧真燕が参詣の美女につい声を掛けたとき、その美女は『見るにだに 迷う心の はかなくて 誠の道を いかで知るべき』と戒めの歌を返した。今ではこの歌が最もよく知られている。
雍州府志での記述
清閑寺山
清水山の南に在る。この山、峻険、瘴嵐、常に侵淫する。岩石、崎嶇として、樹木蟠屈する。
歌の中山
清水寺と清閑寺の間の山径の左辺の山。
東山国有林風致計画での記述
歌の中山
清水山と清閑寺の間にある。
比定
歌ノ中山
「清閑寺山=歌ノ中山」と比定するのは正しくない。上に記述したように清閑寺山と歌ノ中山は別の山である(歌ノ中山は山路)。
「
種本は清閑寺山を採用し、営林局は歌ノ中山を採用した
」というのが正しい。
「中山は山路」である
ので
歌ノ中山は採用し難い
。
清閑寺山頂
「歌の中山」から見上げる清閑寺山
清閑寺近くにある「歌の中山」の石碑にも『山路』と刻してある