紫雲山
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★ | ★ | ★★★ | ★ | 2.8 |
- 山頂の特定(地図、GoogleMap)
- 金戒光明寺境内の最高点は「文殊塔」(重要文化財)のあたり。この塔のある位置を山頂と見做すのが適当と考える。
- 「文殊塔」の標高は数値地図・地形図から96mとした。
- 高さだけで探せば「文殊塔」の東奥に100mの点(1万分の1地形図)がある。
- 登頂記録
- 「東山三十六峰特定」を意識してからの初登頂は、H13-6-2。
- 自宅が近くにあるため、散歩の都度、登頂している。
- 紫雲山
- 一言で言えば東双ヶ岡の南の一稜。
- 山頂に金戒光明寺の文殊塔がある。
- 吉田山同様、地勢的には東山連峰から外れ、東山連峰の西側にある東双ヶ岡に属する。
- 低い山なので吉田山を見つけてからその南を探すと見つけやすい。
- 文殊塔相輪の先端を木々の間に見ることもできる。
- 吉田山と並ぶ小山で、吉田山と合わせて「東双ヶ岡」と呼ばれる(こともある)。
- 金戒光明寺の通称どおり「黒谷町」にある(左京区黒谷町121)。
- 京都の町名は「地区のような冠名」が付けられるのが普通だが、そのほとんどをお寺が占めている町には「冠名」が付かない。
- 黒谷町、銀閣寺町、若王子町などがそれに当たる。
- 金戒光明寺
- 浄土宗七大本山の一つ。 山号は紫雲山(しうんざん)、「黒谷(くろだに)さん」と通称される。浄土宗七大本山とは、知恩寺、清浄華院、金戒光明寺、増上寺、光明寺(鎌倉)、善光寺大本願、善導寺(久留米)の7つ。
- 法然上人が師叡空から譲り受けた地とされ、その後信空とその弟子に引き継がれ伽藍を整えた。
- 承安5年(1175)春、宗祖法然上人(源空)が開山。浄土宗の発祥の地と言える。
- 応仁の乱によって焼失したが、信長、秀吉らの庇護を受け、江戸時代徳川家の援助を得て復興した。明治維新後衰退したが、昭和になり着々境内伽藍が整備された。
- 文殊塔は寛永10年(1633)建立。現在も建立当時のまま、重文。日本三文殊の一つ、三重塔で高さ22m。文殊像は宝幢寺(ほうとう)(その趾地すら不明)の本尊であったと伝えられている(現岡崎は元宝幢寺村と号す)。文殊塔の石段下に、熊谷塔・敦盛塔が並んでいる。
- 三門は万延元年(1860)建立。二層の大きな楼門。
- 金光院、常光院(つわぶき、凌霄花、八橋検校)、栄摂院(明星水)、龍光院、顕岑院(通称:見真院、蓮、新撰組墓地)、永運院(小西行長をはじめ豊臣秀吉の家臣たちの手紙などの古文書)、西翁院(重文の茶室「澱看席」 非公開)、長安院、超覚院、瑞泉院、西住院(谷崎潤一郎)、光安寺、浄源院、西雲院(紫雲石、牡丹、蓮、百日紅)、蓮池院(通称:熊谷堂)など塔頭も多い。
 |
 |
 |
 |
金戒光明寺の三門 |
金戒光明寺御影堂脇の菩提樹 |
阿弥陀堂前の紅葉 |
文殊塔(三重塔) |
- 近くの仏閣神社
- 真正極楽寺(真如堂)
- 永観2年(984)戒算上人が開基。天台宗。本尊は阿弥陀如来(京都六阿弥陀仏の一つで「うなずきの弥陀」と呼ばれる、来迎の像では最古、重要文化財)、鈴聲山(れいしょうざん)。
- 一条天皇がこの地にあった母東三条院(藤原詮子(あきこ))の離宮に本堂を建て、勅願寺とした(正暦5年(994))。
- 元禄年間(1688-1704)現在の地に移され、舊地は現在「元真如堂、または換骨堂(東三条院の五輪石塔婆、蓮華水が残る)」と呼ばれる。
- 三重塔は文化14年(1817)の再建。
- 本堂(享保2年(1717)再建、重文)前の菩提樹、三重塔まわりの桜・紅葉、11月15日の「お十夜(十日十夜別時念仏会)」は有名。
- 三井本家の菩提寺でもある。
 |
 |
 |
 |
真如堂本堂前の菩提樹 |
本堂前の紅葉 |
本堂前の三重塔 |
白川通にあるとろとろ |
- 近くのグルメ
- とろとろ
- できる限り安全な食材を使用し化学調味料を使わないオーガニックパスタ店。出てくるビールもオーガニック。「真如堂前」市バス停前にある。
- 愛想は少ないが親切。
- 雍州府志での記述
- 紫雲山
- 中山
- 吉田と黒谷の間に在る。ここに行基が定め置いた葬場が在る。
- 東山国有林風致計画での記述
- 紫雲山
- 中山
- 吉田と黒谷の間に在る。古は中山堂といって、中山(藤原)忠親の家廟があったと云う。
- 比定
- 紫雲山/中山
- 中山は現在の真如堂あたりと思われる。
- 京都には「中山(街道を行く旅人が休息をとる高み)」と呼ばれる場所は2個所ある。
- 山科から五条へ抜ける渋谷越(歌の中山のあたり)。
- 琵琶湖柳が崎から山中越えをしてきて春日通へ抜ける神楽岡の山路。
- このことから神楽岡に荘園を持っていた藤原顕時は「中山中納言」と呼ばれた。現在の「神楽岡通」。
- 往時このあたりは葬場になっていた(東三条院が本堂を建てた頃の真如堂は上述)。
- 「花洛名勝図会」には「黒谷光明寺の西の門外を云う。今の真如堂の地および黒谷山の惣名なり。謂こころは東の如意山、西に神楽岡あってその中間にあるゆえに中山と云う」とある。
- 「新撰京都名所圖會」(竹村俊則著)は「現在の真如堂前町、東福ノ川町あたり」と言い切っている。
- 紫雲山は金戒光明寺(文殊塔のあたり)のあるところ。
- 山として探すとこの辺には紫雲山しかない(吉田山は別に吉田山に比定)ので紫雲山/中山は両方とも「紫雲山」に比定するのが適当であろう。
- その他の情報
- 黒谷
- 蕪村の句に『黒谷の 隣は白し 蕎麦の花』がある。
- 「黒谷の隣」がどこを指すのか(神楽岡、中山)わからないが、蕎麦の花が一面に咲いていたとは。一度見てみたかった。
- 幕末に会津藩主松平容保が京都守護職を拝命し、洛内外の秩序保持に努めるためにここ黒谷(金戒光明寺)に本陣をしいたことでも名を知られている。
- 「くろだに」と濁って読むのが普通だが、鉄道唱歌第1集第49番では「祗園(ぎおん) 清水(きよみず) 知恩院(ちおんいん) 吉田 黒谷(くろたに) 真如堂(しんにょどう) ながれも清き水上(みなかみ)に 君がよまもる加茂の宮」と濁らない例も稀に見られる(作詞家が京都の発音を知らなかったか)。
 |
 |
 |
東天王町から見る紫雲山 |
大文字から手前:紫雲山、左奥:吉田山 |
山頂から見る金戒光明寺の三門 |
 |
 |
 |
山頂文殊塔から降りてくる参拝者 |
陽成天皇神楽岡東陵(真如堂総門前にある) |
東伏見家別邸利用の料理旅館吉田山荘 |