(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
街道
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@『山国街道(氷室、京見峠へ抜ける道)』 始点=長坂口(北区鷹峯旧土居町) A『鞍馬街道(下鴨中通から鞍馬寺へ抜ける道)』 始点=鞍馬口(出雲路橋の西詰) B『若狭街道』始点=大原口(今出川通寺町角) 『若狭街道』が『(C)北陸道』に繋がる C『(A)東海道・(B)東山道』 始点=粟田口(神宮道通三条下る)(三条大橋西詰) D『伏見街道』(北端は現在の「本町通」) 始点=伏見口(五条大橋西詰あたり) E『鳥羽街道(北端は現在の「千本通」)』 と『西国街道(東端は現在の「九条通」)』 始点=鳥羽口(九条通千本東入ル、羅城門跡近く) 『西国街道』が『(E)山陽道、(F)南海道、(G)西海道』に F『(D)山陰道(東端は現在の「七条通」)』 始点=丹波口(千本通七条上ル)(先頭へ) |
「長坂口」の御土居 | 御土居餅の「光悦堂」 | 「松野醤油」 | 「京見峠」への道(長坂道入口) |
御土居の向こうに鷹ヶ峰が見える。多分この辺が「長坂口」だったと思う | 餅の名前は古そうだが昭和25年(1950)創業の店 | 文化2年(1805)創業、なぜか街道沿い。光悦寺(元和元年(1615))との関係か | 現在でも「ホテル然林坊」を過ぎると山道のような街道「長坂道」が待っている |
鞍馬口地蔵 | 鎌餅の「大黒屋」 | 「出雲路橋」(鞍馬口) | 円通寺 |
保元2年(1157)「街道の入口」ということで上善寺に「六地蔵の一つ」が置かれた | 昔の街道茶店の味を明治30年(1897)に復活させた。出雲路橋を渡る手前(寺町通)にある | ここから下鴨に渡って、北上すれば「鞍馬」に出られます(鞍馬街道の始点)。北区出雲路俵町−下川原町間に架かっている | 正保元年(1644-)「幡枝御殿」が鞍馬街道沿いに造営されたことに始まる |
「大原口」道標(今出川通寺町角) | 街道のなまず茶屋「十一屋」 | 鳩餅の「双鳩堂」 | 街道茶屋「平八茶屋」 |
東 下鴨 五丁とあり、下鴨から高野川沿いに北上する | 寛永年間(1624-)創業。現「大原通」沿い、営業は止めたが建物は残っている | 明治13年(1880)創業。現「大原通」沿い、三宅八幡宮の門前菓子かもしれない | 天正4年(1576)創業。現在の「川端通」沿い。麦飯とろろ汁は絶品 |
東海道・東山道 | |||
「粟田口」(神宮道通三条下る) | 山科地蔵 | 山科追分(髭茶屋追分とも) | 東海道沿いの「月心寺」(大津市大谷) |
承平2年(932)の資料には「粟田口」の名前が見られる。蹴上から山科へ向かう | 保元2年(1157)「街道の入口」ということで徳林庵に「六地蔵の一つ」が置かれた | 東海道から醍醐経由伏見への分岐、道標には「みきハ京ミち ひたりハふしミみち」と刻まれている(髭茶屋屋敷町) | 井戸「走井」を持ち、付近に走井餅の茶店(明和元年(1764))があった(走井餅は石清水八幡宮へ移転) |
五条大橋(伏見口) | 伏水街道(第二橋) | 本町通(五条通〜伏見) | 『伏見街道』の旅籠「玉屋」 |
現在の位置に五条大橋が架けられたのは天正17年(1589)(平安京の五条通=今の松原通)。秀吉が整備した | 東山山麓から流れる川に対して「4本の橋」が架けられ、旅程の便を図っていた(写真はその2番目の橋) | 伏見街道(現本町通)もこんな風に“真っすぐな道”だったか(写真は十条あたり) | 伏見稲荷大社前の街道沿い、江戸初期創業で「立場茶屋」を担っていた。つい最近「新装」されてしまった(残念) |
伏見の料亭魚三楼(明和元年(1764)) | 伏見奉行所(慶長5年(1600)創設) | 船宿「寺田屋」(万治4年(1661)創業) | 三十石船(濠川(宇治川派流)) |
伏見街道(現京町通)沿いの名料亭(今もミシュラン星二つ、伏見区京町)。鳥羽伏見戦の弾創も残る | 江戸幕府支配の証、実効支配は寛文6年(1666)から。少し伏見街道からは離れている(伏見区西奉行所町) | 坂本龍馬で名を馳せた旅籠。大阪から船で上がってきた龍馬はここから「伏見街道」を北上して上洛した | 伏見街道の目的はここから船で巨椋池に出て淀川を下って難波に速く出ること。このために栄えた |
江戸時代の伏見の町(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベースから) | |
濠川(宇治川派流)に整然と橋が架けられていて、人の往来・舟の行き来が盛んなのが見える 「京橋」(図の中央)、「ほうらい橋」(蓬莱橋、図の右下)、「今富橋」(図左下、今は無い) |
鳥羽街道 | |||
鳥羽口(羅城門跡) | 鳥羽地蔵 | 鳥羽離宮南殿 | おせき餅の「おせき餅本舗」(城南宮) |
平安京の南「大手門」=羅城門から出発、一路真っすぐ南へ | 保元2年(1157)「街道の入口」ということで浄禅寺に「六地蔵の一つ」が置かれた | 応徳3年(1086)白河上皇が造営し院政を始めた。写真は南殿跡のある「離宮跡公園」(鳥羽街道に接している) | 永禄年間(1558-)創業、鳥羽街道を往来する人々向けに売り出した。今も売っている、街道菓子で有名 |
西国街道 | |||
鳥羽口(羅城門跡) | 久世橋 | 今も残る「西国街道」 | 『西国街道』の「従是東山城国」石標 |
平安京の南「大手門」=羅城門から出発、すぐに曲がって西へ進路を取る(写真はJR京都駅前にある模型) | 街道筋(久世橋西詰)に残る「料理旅館」(今は建物のみ残る)。昔はこのような店が多かったのだろう(南区久世川原町) | 「西国街道」は今も多くのところに残っている。写真は向日市寺戸町「深田橋」 | 街道には分国の境界を示す石標が建っている。現在は「大山崎町と大阪府島本町」の境≒「京都の端」です |
『伏見街道、鳥羽街道、西国街道』のイメージ図 (1)「伏見街道」=「港」にある寺田屋のような船宿から「三十石船」に乗った。 (2)「鳥羽街道」=元の鳥羽作道が鳥羽街道になった。 (3)「西国街道」=京−山崎間は昔の山陽道・南海道とは異なる。 途中に桂川があり「久世渡」で渡った(はず)。 (注)赤字の「門」=羅城門 (先頭へ) |