(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

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売布神社(女布権現山)双耳峰の由良ヶ岳鬼そば(江笠山)長老ヶ岳三峠山砥石山
美女山半国山の不動明王像「丹波・摂津 国界」標石大悲山小倉山山としての「嵐山」
霊仙ヶ岳福知山の大文字山亀岡の八ッ尾山八木町の千歳山・三頭山宇治の明星山篠村八幡宮(みすぎ山)
西山古道(釈迦岳)田原天皇社跡(大峰山)宇治田原町の御林山京都市地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」琵琶湖疏水「一之橋」「北大路橋」の北側
笹屋伊織の「どら焼」花園天皇陵菓子木型植彌加藤造園清水焼団地ラクト
GSユアサ松尾神社 天照皇大神宮観空寺六波羅弁財天堂牛ヶ瀬公園五所神社
京阪本線「墨染駅」出世稲荷神社山陰道に関する地図山科の「八ツ橋」屋同志社啓明館同志社アーモスト館
同志社女子大学ジェームズ館京都市学校歴史博物館近鉄澱川橋梁明智薮上三栖公園南大内小学校
洛南高校柏屋光貞七本の群生松パビリオンコート今井食堂の「さば煮定食」芭蕉翁碑
ソースの自動販売機トルコのブルーモスク中華料理「蕪庵」本満寺道入寺成就山法華寺
清雲山圓成寺福昌山本教寺常照山日體寺行者橋葵屋やきもち総本舗ゑびす屋加兵衛
上御霊社の芭蕉句碑金福寺の芭蕉句碑指月伏見城跡田邑陵(文徳天皇陵)遍照寺旧址光厳天皇髪塔
法勝寺の遺跡革堂(行願寺)北から見る丸太町橋愛宕の渡猿橋清滝トンネル本家月餅家直正
福田寺址の石塔黒田百年桜延勝寺跡八軒屋敷町古道若狭街道山城中川
菩提滝

売布神社(女布権現山)道標「女布」
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「ひめふ」神社と読む。祭神が乗ってこられたという「船石」が置かれている バス停「女布」の脇に建っている道標。はっきり「にょう」とある。ここから京都百名山「005女布権現山」(348m)に登る

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双耳峰の京都百名山「008由良ヶ岳」(640m)
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東峰(標高点)には「虚空蔵菩薩」が祀られている石積みの祠がある 西峰(三角点)には「説明板」が建てられている
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東峰(標高点)からは「由良川・粟田湾」が望める 西峰(三角点)からは「天橋立」が望める

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鬼そば(江笠山)
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京都百名山「010江笠山」(728m)から与謝峠に下山すれば「鬼そば屋」に立ち寄れる 「殻を挽き込んだ短い蕎麦切り」はなかなか美味い。江戸時代から残って不思議はない

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京都百名山「024長老ヶ岳」(917m)
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こんな「ブナ森林」が続く。この中を歩いて登る 途中「七色の木」(桂の木に6種の他の木が宿っている)という「京都の自然200選」にも出会います

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京都百名山「027三峠山」(668m)
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山頂に続く「未舗装林道」。行く手が山頂。後半「道標は無い」が、歩きやすい道が続く 登山口で見つけた「萬亀山 龍心寺」の石標。立派な石標の割には、詳細不明。曹洞宗らしいのですが

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京都百名山「028砥石山」(536m)
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山道の脇には「昔採掘していた砥石」がゴロゴロ残っている

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京都百名山「029美女山」(482m)
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登山口の「市森」には「美女の山里」という石碑が建っている。美女山との関係はわからない

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京都百名山「034半国山」(774m)の不動明王像
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山頂には「不動明王像」があるが、「線刻」なので言われないと「何の像」かわからない。石標には「日本大小神祇」「南無釈迦大仏」とある

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「丹波・摂津 国界」標石
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大阪の「剣尾山」と京都百名山「035横尾山」(785m)の間に、「丹波・摂津 国界」標石(明治10年(1877))がある。確かにこの稜線は今も府境になっている

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京都百名山「040大悲山」(741m)
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峰定寺」の前から「寺谷川」(写真)に沿って東へ歩き、突然「南稜」に取り付く 山頂には三角点も「何も無い」。小さな「山名札」があって、漸く「山頂とわかる」

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京都百名山「071小倉山」(296m)
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山頂には「切り株」と小さな「山名札」があるだけで、三角点は無い 天龍寺の西、桂川の北岸にある「嵐山公園」。背後に見えるのが「小倉山」

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京都百名山「085嵐山」(382m)
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山頂には「山名札」があるだけで、三角点は無い 山頂近くの「嵐山城跡」から見る「嵐山の光景」。手前が「桂川」、中間が070双ヶ岡、遠くが、左から073水井山、横高山、074比叡山

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京都百名山「087霊仙ヶ岳」(536m)
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国土地理院地形図の登山路は荒れていて不明瞭。結構難渋する 山頂からは「亀山北郊」が見える

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福知山の大文字山(姫髪山、406m)
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姫髪山登山口にある臨済宗医王山長安寺依遅ヶ尾山の松枝神社同様、麻呂子皇子(聖徳太子の弟)に関係しているらしい 山頂近くには「大文字の火床」がある
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福知山の秋は「午前中は濃霧」。登り始めはいつも心配、頂上に着く頃辺りは雲海。写真は、鬼ヶ城・烏ヶ岳 福知山の秋は「紅葉」。「大文字火床」がよくわかります

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亀岡の八ッ尾山(466m)
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八ッ尾山の山腹ににある修験宗「楽音寺」。山深い所にある割には、大きなお堂である 八ッ尾山登山口にある「大内神社」。祭神は八重事代主命(女性)。御神木の大杉は周8m、高さ36m

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八木町の千歳山(622m)・三頭山(728m)
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両方の山の登山口にある真言宗「氷室山阿祇園寺」。神護寺の末寺。「阿」は親しみを込める接頭辞だから、地元で愛される「祇園さん」なのでしょう。この辺は「氷室郷」らしい 同じく「高木文平」(京都商工会議所の初代会長、琵琶湖疏水に尽力し日本最初の市電を走らせた)の生家があって大きな「高木文平翁頌徳碑」が生家前に建っている

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宇治の明星山(233m)
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明星山山頂は「山名看板」が架かっているだけ。標高も低く、眺望は無い 明星山を通り過ぎて、稜線を詰めていくと日清都カントリークラブ「都コース 4番グリーン」に到着する。勿論入れません

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篠村八幡宮(みすぎ山、430m)
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山麓には「足利尊氏旗上げの地」で有名な篠村八幡宮がある。写真は「本殿」 境内脇には由緒ある「旗上楊(やなぎ)」が今も「挿し木」で命脈を保っている(亀岡名木100選)

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西山(にしやま)古道(釈迦岳、631m)
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この辺には「東海自然歩道、近畿自然歩道」があり「道標」が多い。この道標で釈迦岳(正面)にも行ける 昔からの「西山古道」も残っていて、ここは「釈迦岳、善峰寺、柳谷観音」の分岐点

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田原天皇社跡(大峰山、631m)
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大峰山の登山口に「田原天皇社舊跡」(天智天皇の第七皇子・施基皇子は宇治田原の荒木に移され、後に田原天皇、荒木天皇とも呼ばれた)の石碑が建っている。明治になって近くの「大宮神社」に(移され)合祀された 山頂も三角点もわかり難いからか、「三角点の道標」が建っている(こんな道標は初めて見た)

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宇治田原町の御林山(402m)
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御林山の登山道に「鳥獣供養塔」への脇道が付いている。この供養塔はあちこちで見られる 登山口に「宇治田原町立田原小学校」がある。明治6年(1873)「維孝館荒木小学校」として始まった。立派な(現役で使われている)正門には「維孝館」とある

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京都市地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」
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烏丸通沿いにある。住所は「北区小山町」

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琵琶湖疏水「一之橋」
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「師団街道」から「琵琶湖疏水」を渡って「三洋化成」に渡るところに架かる橋。橋の親柱には「いちのはし」とある。住所は「東山区一橋野本町」。近くには「疏水二ノ橋」がある

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「北大路橋」の北側
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「北大路橋」から北側「東岸」は、京都府立大グランド・府立植物園が並ぶ「緑の地区」になっている。住所は「左京区賀茂今井町」

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笹屋伊織の「どら焼」(通常のどら焼きとは異なる)
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形が妙ちくりんである。「棹菓子」のようだ。「棒状の何かが竹の皮に包んである」。この竹の皮ごと輪切りにするらしいが、竹の皮は食べれない 竹の皮を取り除くと「こし餡を秘伝の薄皮が包んでいる」(のがわかる。これを食べる)。昔、お寺の銅鑼(どら)の上で焼いたので「どら焼」と呼ぶとのこと

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花園天皇陵(十樂院上陵)
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青蓮院知恩院の間にある。神宮道から見える。昔の「十樂院」(あったらしい)の上に造られた

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菓子木型(干菓子)
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干菓子の「打ち物、押し物」を作る時に使う「木型」。和菓子屋に行けば見られる。写真は甘春堂東店

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植彌加藤造園
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お家の立派なお庭をメンテナンスするなら、ここに任せば間違いない。ただしお金はかかりますよ

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清水焼団地
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「山科区川田清水焼団地町」には清水焼の郷会館がある。周りは「清水焼の陶芸家」ばかり

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ラクト
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正式には「ラクト山科ショッピングセンター」、山科駅前(山科区竹鼻竹ノ街道町)で山科の住民に便を供している

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GSユアサ
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日本電池とYUASAが合併して「大きな電池の会社」になった。本社は「南区吉祥院西ノ庄猪之馬場町」にある

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松尾神社 天照皇大神宮
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GSユアサの工場の脇に残っている神社。由緒不詳。「南区吉祥院中河原西屋敷町」にある

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観空寺
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「右京区嵯峨観空寺久保殿町」の田んぼに残る「一宇の観音堂」。案内だけはしっかりしている。この参道は「行き止まり、通り抜けできません」

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六波羅弁財天堂
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崇徳天皇に寵愛された「阿波内侍」が堂を建てて「弁財天」を祀ったと伝えられる。明治の廃仏毀釈で六波羅蜜寺に移された。金運・財運の神として「福徳自在のご利益」があると信じられている

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牛ヶ瀬公園
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桂川西岸にある京都市の「スポーツのできる」公園。「西京区牛ケ瀬林ノ本町」にある

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五所神社
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「西京区下津林楠町」にあるこの神社の本殿(写真)はつい最近、京都市の有形文化財に登録された

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京阪本線「墨染駅」
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京阪本線「丹波橋駅」の1つ「京都中心部」に近い駅。住所は「伏見区墨染町」。近くの寺で「平安時代、墨染色の桜」が咲いたことから名付けられたという

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出世稲荷神社
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平成24年(2012)「千本旧二条」からここ「大原来迎院町」へ移転してきた

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山陰道に関する地図
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(赤線)平安時代の山陰道(赤△=羅城門、赤○=京南分岐、白△=吉祥院
(青線)江戸時代の山陰道(黄○=丹波口、黒○=桂地蔵、黄□=樫原
(黄線)現代の山陰道=国道9号線((烏丸五条から西大橋を経て)白○=樫原秤谷

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山科の「八ツ橋」屋
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昭和27年(1952)創業、山科区椥辻(地下鉄椥辻駅近く)に店を構える。「京都山科八津橋郷」と謳っている京栄堂

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同志社啓明館
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写真は同志社啓明館本館(大正9年(1920))。設計はヴォーリズ。
この他に同志社啓明館西館(大正4年(1915))もあり、ともに登録有形文化財です

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同志社アーモスト館
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昭和7年(1932)竣工の登録有形文化財。設計はヴォーリズ。同志社女子大のキャンパス近く、相国寺と接している位置にあり、目立たない

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同志社女子大学ジェームズ館
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大正2年(1913)竣工の登録有形文化財。設計は武田五一。同志社女子大のキャンパスの中だから、入り難い

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京都市学校歴史博物館
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旧京都市立開智小学校で、写真は正門明治34年(1901)、近代建築ではない)と石塀(大正7年(1918)、工事中でした)、ともに有形文化財(明治時代)。

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近鉄澱川橋梁
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昭和3年(1928)建設の近鉄京都線が走る鉄橋。中書島付近の「宇治川縁」から撮影した

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明智薮
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明智光秀が本能寺の変の敗走中、野党に襲撃されて亡くなった場所(とされる)。「伏見区小栗栖小阪町」にある。近くにも同様な「石碑」があり、他にも「終焉の地」と伝えられる場所はある(いずれが真か)

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上三栖公園
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「上三栖児童公園」とする資料もある、現地の公園に「名称表示」はない。「伏見区下鳥羽上三栖町」にある。「下鳥羽」には特徴のある施設は少ない

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南大内小学校
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大正13年(1924)「大内小学校分教場」として開校、すぐに「大内第三尋常小学校」に。昭和22年(1947)「南大内小学校」に改称で、現在に至る。「南区八条内田町」にある

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洛南高校
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元々は真言宗の教育機関で大正6年(1917)「真言宗京都中学」に始まる。昭和37年(1962)「洛南高等学校」となった。現在、中高一貫の「学校法人真言宗洛南学園」となっている。「南区東寺町」にある

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柏屋光貞
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東大路通(安井北門下ル)に面した座売りの和菓子屋老舗。珍しい和菓子を多く作っている。文化3年(1806)創業

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七本の群生松
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江戸時代「この地(七本松通と一条通の交差点)」に七本の松が群生していたことから、南北の通りの名が七本松通となった、と伝えている。
同じ場所に、堀川・北野線を記念して「北野チンチン電車」のプレートもある。

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パビリオンコート和館
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明治37年(1904)古美術品の陳列施設として建てられた。木造平屋建、国登録有形文化財。現在は、結婚式場などとして使われている。こちらが詳しい。

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今井食堂の「さば煮定食」
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これが「さば煮定食」一式。ほとんどのお客がこれを注文する

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芭蕉翁碑
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蕪村が天明元年(1781)「芭蕉の生涯を称えた文」を刻して、金福寺に建てた碑。「芭蕉翁碑」と呼ばれる。このとき蕪村は「我も死して 碑に辺せむ 枯尾花」(私が死んだら、この碑の傍に墓を作って欲しい)と詠んだ

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ソースの自動販売機
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ヒロタソースは業務用が多いからか、自店舗(工場)の前に自動販売機を置いて一般消費者に供している

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トレコのブルーモスク
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正式には「スルタンアフメト・モスク」、イスタンブール旧市街にある。オスマン・トルコ時代の1609〜1616年にかけて建てられた。世界遺産。内部の壁に貼られた「イズミック・タイル」が青い

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中華料理「蕪庵」
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令和3年(2021)閉業したが、令和5年(2023)現在まだ「ご在住」のようです

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本満寺
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創建は応永17年(1410)、日蓮宗「広布山本満寺」(右が山門)。洛陽十二支妙見めぐりの丑にあたり「出町の妙見さん(左の石鳥居、寺町通今出川上ルとも呼ばれる。大きな桜の木は見応えがある。山中鹿之助の墓もある。

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道入寺
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正保3年(1646)創建、日蓮宗「法華山道入寺」修学院離宮道を登って「音羽川」沿いにある)。境内に「修学院の妙見さん」と呼ばれる「寅の妙見祠」(写真)がある。お寺としてはいわゆる“街のお寺”。

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成就山法華寺
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東寺創建の時「法華堂」として建てられたのに始まるとも。建長3年(1251)日蓮がここに滞在して「東寺密教」を研究した。焼失後、現在の地(島原「輪違屋」近く)に移転した。境内に「未の方の妙見さん」と呼ばれる「妙見宮」(右)がある。

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清雲山圓成寺(えんじょうじ)
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寛永7年(1630)日蓮宗日任上人が、皇城北方鎮護の開運北辰尊星「岩戸妙見大菩薩」を祀って開創した光悦寺の斜め前)。境内奥の妙見堂は「鷹峯の妙見さん」とも「岩戸の妙見さま」とも呼ばれる。山内撮影禁止のため写真は山門のみ。

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福昌山本教寺
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文禄3年(1594)日蓮宗日受上人が開創し、徳川家康の娘・督姫が帰依した。その督姫が池田輝政に嫁いだ関係で、池田家伝来の妙見宮が境内に祀られ「大手筋の妙見さん」として信仰された。妙見宮の扁額には「開運処」とある。

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常照山日體寺
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享保6年(1721)法華経折伏によって日蓮宗に帰依し、常照院日體上人が開創した。ここの妙見さんは、家を災いから守ること・清水にあることから「清水の鎮宅妙見宮」と呼ばれて信仰されている。

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行者橋
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知恩院近くの白川に架かる橋。千日回峰行を完遂した行者が最後に「尊勝寺」に詣でるときに渡る橋、ということで名付けられた。すぐ下流には「憩いの場」親水テラスがある。TVドラマの撮影にもよく使われる。

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「葵屋やきもち総本舗」
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写真は上賀茂神社鳥居前にある「上賀茂本店」。新大宮商店街にも店舗がある。

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「ゑびす屋加兵衛」
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この店の「やきもち」は矢来餅と書く。写真は下鴨神社に近い下鴨本通に面している「神社前店」。下鴨松原町に「本店」がある(こちらのが格式がありそう)

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上御霊社の芭蕉句碑」
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上御霊社別当の法印小栗栖祐玄亭での句会で詠んだ。「半日は 神を友にや 年忘れ」。よく読めないですが。

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金福寺の芭蕉句碑」
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芭蕉はここを訪問して「憂き我を 寂しがらせよ かんこ鳥」と詠んだ。

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「指月伏見城跡」
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伏見の「観月橋団地」に中に「初代伏見城の石垣」を見ることができる(発掘して残した)。手前に「発掘状況の説明板」が設置してある。

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田邑陵(文徳天皇陵)
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大きな円墳(古墳時代)が文徳天皇陵として幕末に治定されているが、時代的に合わない。天皇の杜も古くから文徳天皇陵として信じられている。 円墳(「太秦三尾古墳」とも呼ばれる)にふさわしく「大きな濠」に囲まれている。

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遍照寺旧址
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江戸時代まで遍照寺は、広沢池の西畔にあったらしい。その位置に「説明板」が建っている。遺跡はなにも残っていない。

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光厳天皇髪塔
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天龍寺の東(現在の嵯峨天龍寺北造路町)、南朝・亀山天皇の陵の近くにあって「宮内庁」が管理している。なぜここに造られたのか、不明。「塔」は残っていないので「髪塚」という方が適当か。

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法勝寺の遺跡
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法勝寺の近くにあった「白河院の後継」=「現在は私学共済事業の施設」の「踏み石」に瓦の一部(2つ)が残されている(平安時代末期の遺跡)。

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門前にある「石標」「本堂」
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創建当初(寛弘元年(1004)頃)は「一条通小川」にあったことを示している。「一条加うだう」とある。 文化12年(1815)の再建。本尊は「千手観音像」。
都七福神になっている「寿老人神堂」
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堂前に「七福神像」が並べられている。お馴染みの「都七福神幟(のぼり)」も。

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北から見る丸太町橋
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現在(鴨川に架かる)「丸太町橋」を北側から見るとこのように見える(現在の橋桁がわかる)。右端の高い建物が旧「京都電信電話会館公社」。

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清滝川に架かる「渡猿橋」(とえんきょう)
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橋の左先=清滝幸福延命地蔵尊の堂、この道を進めば愛宕神社「二の鳥居」、この橋の上流に「金鈴橋」がある。

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清滝トンネル
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トンネルの右から登っていくのが「愛宕街道」、試峠を越えて清滝に出る。

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本家月餅家直正
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文化元年(1804)創業。木屋町通三条上ルにある。焼き和菓子「月餅」(中国の月餅とはまったく異なる)が主力だが、わらび餅にも人気がある。

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福田寺址の石塔
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後亀山天皇陵の陵内にある五輪塔。これが「後亀山天皇の墓」だったようです。これを目印に(幕末に)「天皇陵」が定められた。

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黒田百年桜山国の桜
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百年桜=樹齢300年超の古木に「八重の花と一重の花」が混じって咲く珍種、桜守の佐野藤右衛門が命名した。今や京都花見のトリを飾る桜。写真の時は「まだ2分咲」だった。遠い(右京区京北宮)。 左の写真と「同じ日に撮影した」山国(ヤマグニ、右京区京北井戸)地区の桜。満開であった。右を流れるのは大堰川

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延勝寺跡
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六勝寺の一つ。みやこめっせの角にある。

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八軒屋敷町
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山科区にある町。「八軒」と冠が付く町は「屋敷町」ただ1つ。「八軒屋敷町」という「単独町名」なのか。大津市との境にある。

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古道若狭街道
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知井坂越えの周山「杉阪」の国道162号を少し外れたところ(バス停杉阪口〜道風神社の間)に、写真の道標が建っている。ここも若狭街道と呼ばれていたこともあるらしい(なかなか難しい)。

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山城中川
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周山街道が突き抜けている。 台杉仕立てで育林された北山杉もある。これは北山台杉と呼ばれる。
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北山杉は伐採・皮剥き後「天日乾燥」される。 さらに(女性の手による)「磨き作業」を経て北山丸太になって「磨丸太倉庫」(写真)に保管され、出荷を待つ。街道脇を流れるのは清滝川

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菩提滝(山城中川から沢山へ抜ける途中にある)
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道脇の立札から「菩提川」へ降りて行けば「男滝」(落差15m)に行ける。以前はLunchBox片手にHikingMoodで行けたのだが、今は道が荒れていて、きちんと準備しないと行けない。 「女滝」(落差8m)は道脇から見える。

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