京都の街角写真

北大路通           (INDEX:索引へ)


本サイトにおける最北辺の「通り」です。隠れた名店が多い通りでもあります。
最近はさらに北側の「北山通」も賑やかになっています。
市バス「204」系統が最長区間(東大路通から西大路通まで)をカバーしています。

【森谷】東は「白川通」から西は「西大路通」に至る。全長約5.5km。
“大徳寺南門”の絵が掲載されている。

  直接飛ぶのなら 東山  加茂街道(賀茂川)  堀川  (参考)江戸時代の北大路通
北側東西位置南側
「ナカニシヤ出版」

昭和3年(1928)「丸善」から京大正門前で独立。

洋書、学術書を主に扱っている。

(白川西入ル)

(撮影:2016/4/30)
clickすれば大きな画像 白川西入ル

東山東入ル



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clickすれば大きな画像 漢方相談の「一乗寺薬局」

昭和51年(1976)創業
目の悩み・不妊・アトピー・更年期・うす毛など漢方に関するご相談を承っている。
市内に4店舗を展開。

(白川西入ル)

(撮影:2016/4/30)
「疏水分線」を横切る
叡山電鉄叡山本線

「一乗寺西橋」(写真右)から北を望む。
鉄橋を渡る電車を見る子供も多い。

(高原通)

(撮影:2016/4/30)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「一乗寺西橋」

「一乗寺西橋」から南を望む。
「疏水分線」がよく見える。

「疏水分線」については
このサイトへ。

(高原通)

(撮影:2016/4/30)
北側東西位置南側
「左京郵便局」

左京区の郵便局の総元締め。左京区民がお世話になっている。

(高野橋東詰)

(撮影:2016/4/30)
clickすれば大きな画像 東山西入ル

加茂街道東入ル



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clickすれば大きな画像 「京都下鴨病院」

昭和34年(1959)船橋病院としてスタート。
スポーツ障害の治療で有名。

(高野橋西詰)

(撮影:2016/4/30)
「高野橋」

北側に「比叡山」、さらに左に(順に)「横高山」「水井山」も見える。
京都では街中から綺麗な山風景が見える。

(撮影:2016/4/30)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「カトリック高野教会」

昭和13年(1938)メリノール宣教会によって創立された。

(高野橋西詰)

(撮影:2016/4/30)
「松ヶ崎通」

この分岐から「松ヶ崎通」方向に北を望めばすぐ近くに大文字の「妙」が見える

「大文字」については
このサイトへ。

(撮影:2016/4/30)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「美玉屋」

昭和15年(1940)創業

日常菓子「黒みつだんご」は絶品です。

(下鴨東本町)

(撮影:2016/4/30)
府立「洛北高」(旧京都一中)

明治3年(1870)「京都府中学校」として開校。

京都で一番人気学区の市立「葵小学校」も近い。

(通りから−下鴨本上ル)

(撮影:2016/4/30)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 あずき処「宝泉堂」

昭和27年(1952)創業
併設の「茶寮」ではお茶・お菓子を楽しめる。
最近人気の出始めた和菓子屋です。

(下鴨高木町から−下ル)

(撮影:2016/4/30)
「京都府立大学」

明治28年(1895)「京都府簡易農学校」として開校。

住所は「下鴨半木町」。

(通りから−下鴨中上ル)

(撮影:2016/4/30)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 喫茶「バール・カフェジーニョ」

無休・低価格で、昔懐かしい「ブラジル(サントス)コーヒー」を提供している。

私の愛好の店です

(下鴨本西入ル)

(撮影:2016/4/30)
「京都府立植物園」

バス停植物園前がある。大正13年(1924)開園。広大で一年中楽しめる植物園です。
桜で有名な「半木の道」にも近い。

(正門は賀茂川東縁)

(撮影:2013/2/19)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 中国料理「白雲」

つい誘われるような雰囲気を持っている。老夫婦が二人でやっていたが、平成29年(2017)11月頃から休業

(下鴨西東入ル)

(撮影:2016/4/30)
京菓匠「長生堂」

大正8年(1919)四条大宮で創業。併設の茶房「長寿庵」で頂ける「きな粉かき氷」が抜群です。5/15は「葵薯蕷」を発売する。どれも美味

(賀茂川東縁)

(撮影:2013/2/19)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 高級住宅街「下鴨」

多分“京都一”でしょう。賀茂川縁に豪邸が並んでいます。

(下鴨西通一帯)。

(撮影:2013/2/19)
北側東西位置南側
グリル「はせがわ」

創業約50年
市民誰もが気軽に立ち寄る「手作りハンバーグ」の店だが、なぜかミシュランにも記載されている。

(賀茂川西縁)

(撮影:2016/4/28)
clickすれば大きな画像 加茂街道西入ル

堀川東入ル



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clickすれば大きな画像 革小物工房「AIDANA」

オーダーメイド、修理もしてくれるし、製作教室も開いている。

(烏丸東入ル)

(撮影:2016/4/28)
「北大路バスターミナル」

市電時代「烏丸車庫」があったところに昭和56年(1981)全面改装した。
北大路を走るバスは必ず入庫するので煩わしいが、バス運行は順調になった。

(烏丸西入ル)

(撮影:2016/4/28)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「大谷大学」

寛文5年(1665)東本願寺学寮」として開創。明治34年(1901)大学となる。初代学長はあの「清沢満史」
尋源館(旧本館)は有形文化財。

(烏丸西入ル)

(撮影:2016/4/28)
「立命館小学校」

平成18年(2006)小学校をここに開校させた。

小学校でも授業料80万円(平成26年現在)

(室町西入ル)

(撮影:2016/4/28)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 京菓子処「吉廼屋」

昭和元年(1926)創業
いろいろな和菓子を置いているが、看板には「一休餅」とある。

(室町西入ル)

(撮影:2016/4/28)
そば「うるめ」

町屋で美味しい蕎麦を“落ち着いて”食べることができる。

あまり教えたくないが
私のお気に入りの一つです

(堀川東入ル)

(撮影:2016/4/28)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「竹濱義春老舗」

文久元年(1861)創業老舗
明応年間(1492〜)に考案されたという古のお菓子「真盛豆」を今も継承している。若い人は利用しそうもない。

(新町東入ル)

(撮影:2017/3/7)
北側東西位置南側
「松屋藤兵衛」

江戸時代後期創業老舗
銘菓「松風」御三家の一つ。
この店の「紫野味噌松風」は大徳寺の江月和尚から指導された、とされる。

(大宮西入ル)

(撮影:2016/4/28)
clickすれば大きな画像 堀川西入ル

西大路東入ル



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clickすれば大きな画像 「スーパー・コーヒー」本店

京都には「コーヒーの豆屋」も多い。この店は50年以上続いている老舗的存在。

(大宮西入ル)

(撮影:2016/4/28)
「紫野和久傳」大徳寺店「五」

2階では本店にない「蕎麦」を食べさせてくれる。
1階では「弁当」などを持ち帰りできる。

(大徳寺東入ル)

(撮影:2016/4/28)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「雲林院」

元「淳和天皇紫野離宮」を貞観11年(869)遍昭が開創。「源氏物語」「伊勢物語」にも登場。『これやきく 雲の林の寺ならん 花を尋ねるこころやすめん』と西行が詠っている。

(大徳寺通を下ル)

(撮影:2016/4/28)
「大徳寺」

言わずと知られた臨済宗大徳寺派の「大本山」有名どころの多くの塔頭を抱える。

写真の頃の大徳寺周辺はまったく静かだった。
(大宮西入ル)

(撮影:1965/5/26)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「船岡山」

平安京造営時「朱雀大路の北基準点となった山(山頂には三角点もある)。したがって平安京の外郭にあたる。
南に建勲神社がある。

(今宮門前)

(撮影:2012/3/16)
「後冷泉天皇火葬塚」

後冷泉天皇は治暦4年(1068)4月19日没。墓は円教寺陵

背後の赤い建物はこの学区の名を付けた「楽只児童館」。

(千本東入ル)

(撮影:2016/4/28)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「京都府立盲学校高等部」
(花ノ坊校地)

明治11年(1878)京都盲唖院から始まる。

小・中学部は大徳寺校地にある。

(千本西入ル−正門は路地下ル)

(撮影:2016/4/28)
「左大文字山」

北大路西大路の角のすぐ奥に位置する。

大文字の説明はこのサイトで。

(撮影:2016/4/28)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 北大路通の西端。

「西大路」へ。

ここから見ると、西大路は坂を下るように見える。

(撮影:2016/4/28)

江戸時代の北大路通(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベース)
clickすれば大きな画像 図右端中央が「雲林院」、西へ進む通り北大路通に相当する通り)の南側の岡が「船岡山(「山」には見えない)。船岡山の前が天皇塚(後冷泉天皇火葬塚か)

さらに西へ進んで南北の通り千本通の北延長部分、人が歩いている)の角が「上品蓮台寺」、その通りを下ったところが「千本ゑんま堂(図左端中央)

図左上の「小北山神子町」はどのあたりを指すのか不明

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