(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
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鷹ヶ峰と鷲ヶ峰(天ヶ峰を併せて「鷹峯三山」という) | |
左=鷹ヶ峰(260m、別名=兀山(はげやま)) 右=鷲ヶ峰(314m、北区大北山) |
光悦寺あたりからは左のように見える。さらに右奥に「天ヶ峰(466m、別名=桃山)」がある |
鯖街道:水坂峠越えの若狭熊川宿 |
2002−9−22撮影 |
琵琶湖疏水の「蹴上船溜り」(日向大神宮の大神宮橋から望む、山科区日ノ岡) |
九条山ポンプ場前が「船溜り」になっていた。昔はここで水遊びをした |
京都水族館(下京区観喜寺町) |
梅小路公園の中に、平成24年(2012)開業した。展示「京の川」が面白い |
伏見桃山城(近鉄丹波橋駅(伏見区桃山筒井伊賀東町)から望む) |
昭和39年(1964)建造。踏切の先に「桃山羽柴長吉東町」などがある 慶長7年(1602)再建時(花畑)の位置に建造された |
戸田畳店 |
祖父からの仕事を受け継ぎ、伝統工芸の京たたみを作る。東山区大和大路四条下ルにある |
鳥羽水環境保全センター |
「京都市最大規模の下水処理場」。昭和14年(1939)運転開始。京都市の環境保全に大きく貢献している。住所は「南区上鳥羽塔ノ森」梅ノ木であるが「上鳥羽塔ノ森」の大部分を占めている。4月下旬には立派な「藤棚」を一般公開している |
尺八制作の北原精華堂 |
中京区室町通夷川上ル |
小嶋提灯店 |
東山区今熊野椥ノ森町 |
茶寮都路里 |
祇園辻利が運営する甘味処「茶寮都路里 祇園本店」。いつも女性で大混雑 |
京つけもの村上重本店 |
下京区西木屋町四条下ル。11月〜3月限定の千枚漬が絶品。「丸に十の字」 |
志る幸 |
四条河原町上ル一筋目東入。昭和7年(1932)創業。その昔は「本当に汁だけ」を提供する店だった |
舞鶴赤れんがパークにある「赤レンガ倉庫群」 |
旧舞鶴海軍軍需部本部地区に12棟並んでいる(重要文化財、近代化産業遺産) |
長谷川松寿堂 |
大正8年(1919)「色紙・短冊・和紙工芸品」の製造業として創業。姉小路通堺町西入ル |
京極スタンド |
新京極商店街にある「京極スタンド」。12:00から飲めるので重宝している |
中村屋の「助六」 |
電話注文した「助六」を店に取りに行くと、座敷に並んでいる。包み紙もGood |
阿国歌舞伎発祥地石碑 |
(株)松竹が昭和28年(1953)「南座の西壁」に建てた。 京都府知事は平成6年(1994)「川端通四条上ル」に出雲の阿国像を建てた。 「阿国歌舞伎発祥ノ地」の立て札は一条通七本松西入ルにもある |
冠称町名「岡崎」 |
岡崎を例に、冠称地区名「岡崎」(青色)と、単独町名「黒谷町」(赤色)を、GoogleMap上に示した |
音羽の滝 |
牛尾観音の近く(山の中)にある。でも住所は「山科区小山長尾」になる(撮影:宮下) |
細辻伊兵衛(四条) |
町屋手拭を買うなら、いくつもShopはあるが、観光客には「四条店」が一番買いやすいか(四条通河原町西入ル御旅町34) |
古今伝授の間 |
細川藤孝が八条宮智仁親王に「古今和歌集解釈の奥儀を伝授した」建物=「古今伝授の間」、その「ゆかりの地」(長岡天満宮境内)にこの石碑が建てられた(2013年)。「温故知新」の揮毫は元首相・細川護熙 |
原谷苑の桜 |
原谷苑の桜は有名だが、入園料が高くて混雑するので「外苑」から見る桜で我慢(住所:北区大北山原谷乾町36) |
京都橘大学 |
かつては「女子大」だったが、平成17年(2005)男女共学化した。山科にあり、中高を併設している |
常久刃物店 |
四条通にある刃物屋の名店、創業寛永8年(1631)。3階に移転したので見つけ難くなった。我家の鋏はここで買った(50年以上使い続けている) |
山田牧場 |
京都の街中に(北区紫竹下長目町)牧場とは。一瞬驚くが、信楽山田牧場の牛から搾った牛乳のみを販売する店。結構「京都市民」の人気は高い |
京都百名山「047桟敷ヶ岳」(896m) |
平成4年(1992)12月13日、登頂した。「三角点」の写真は撮り損ねた |
京都百名山「096甘南備山」(221m)の山頂近く | |
(京田辺市の資料から、南北逆向きです) 山頂は「雄山(221m)、甘南備神社のあたり」(赤丸印) 甘南備山の「二等三角点(201.6m)」は「北の雌山」(紫丸印) |
延喜式に出てくる「甘南備神社」。山自体が「神の山」とされる。相当に古い。京都百名山「096甘南備山」(221m)の山頂にある | 甘南備山の「二等三角点(201.6m)」(写真)と「山頂(221m)」は位置が異なる。右へ上がれば「ウメの小径(左の地図参照)」 |
京都百名山「002金剛童子山」(614m)山頂避難小屋 |
金剛童子山の山頂直下に「役行者所縁」の避難小屋が建っている |
三角点「100笠置山」(324.2m) |
笠置山の「三等三角点(324.2m)」(写真)と「山頂(288m)は位置も標高も大きく異なる。三角点石の手前は「保護石」 |
京都百名山「094鷲峰山」(682m)(山頂付近の)地図 |
鷲峰山の「一等三角点(681.2m)」は「北東の稜線上」にある(紫四角形)。鷲峰山の山頂は「金胎寺付近の標高点(682m)」(赤四角形) |
三府県境「三国塚」 |
滋賀・三重・京都の三府県境にある「三国塚(610m)」。「近江百山」にも選定されている。南側の「月ヶ瀬」近くから望む「山姿」 |
福井県境にある「三国岳」(616m) |
京都府だけでも、037三国岳(959m、三角点名「久多村一」)、021三国峠(776m、三角点名「三国峠」)と3つある。この山の三角点名は「三国山」(京都百名山「016養老山」(665m)登山口「黒部」から撮影) |
西京極総合運動公園 |
「陸上競技場(兼球技場)」「野球場(わかさスタジアム京都)」などが集結している。事務所は「西京極新明町」にある |
山科の一里塚 |
山科の奈良街道沿いに立派な一里塚が残っている。京都市内に唯一現存する一里塚でおおやけ一里塚(山科区大宅甲ノ辻町)と呼ばれている |
後冷泉天皇陵(圓教寺陵) |
後朱雀・後冷泉・後三条と3代続いて同域に葬られている。後冷泉天皇の火葬塚は北大路通千本にある |
本能寺の変−3手に分かれて行軍した道 |
城=亀岡城(明智光秀居城)、首=明智光秀首塚(他にもいくつかある) @明智越え=水尾、保津峡を越えて行く A唐櫃越え=(山1=みすぎ山、山2=沓掛山を越えて行く) B老ノ坂=(山3=大江山(または大枝山、標高480m)を通ったか) |
京都百名山「003(丹後)高山」(702m) | |
高山の中腹にある「内山の大ブナ」(幹周=3.65m、京丹後市の天然記念物) | 山頂は眺望がある。ブナの樹越しに見えるのは002金剛童子山、その先に日本海も見える。三角点はない |
日本海沿いに拡がる潟湖(せきこ)「久美浜湾」 | |
007高竜寺ヶ岳山頂から見る「久美浜湾」(見晴らしが良い) | 「久美浜湾」沿いにある「兜山(192m)」。山姿は良いが、ちょっと低い |
京都百名山「009大江山」(833m)の支峰「鍋塚」(763m) |
鳩ヶ峰(746m)の分岐から見る「鍋塚」。大江山の一支峰とした。鳩ヶ峰から南へ進めば、大江山の主峰「千丈ヶ嶽」(833m)に着く |
京都百名山「011鉄鈷山」(775m) | |
登山道の傍らに崖錐 (麓屑面堆積物)が露出している。火山活動で「海底の堆積層」が盛り上がったもの。近くでは「ビカリア化石」も見つかっている | 山頂に「三角点」は設置されていない |
京都百名山「012三岳山」(839m)の「三嶽神社」 | |
三岳山の山頂近くにある「三嶽神社」。まあ山奥です | 山は植生豊かです。樹齢400年のトチノキも見られる |
醫王山多禰寺 | |
京都百名山「014多祢寺山」(556m)の中腹にある「真言宗東寺派」の寺 | 「多祢寺山」山頂から見る「舞鶴湾」。遠方、左のピーク=024長老ヶ岳(917m)、右のピーク=018弥仙山(664m) |
金峰神社(弥仙山奥宮) |
京都百名山「018弥仙山」(664m)の山頂にある「金峰神社」。「弥仙山奥宮」とも言われる。こんな状況ですから、山頂に三角点はない |
京都百名山「019頭巾山」(871m) | |
山頂の祠には「権現神社」と名前が付いている | 中腹の「横尾峠」には「子安地蔵」が置いてある |
烏帽子古城跡碑 |
京都百名山「026烏帽子山」(513m)の山頂に「古城」があったとは信じ難いが、石碑が建っている |
納所小学校 |
明治6年(1873)紀伊郡納所校として開校。以降、ずっとその流れを汲んで「納所小学校」になった。「伏見区納所妙徳寺」にある |
京都百名山「031胎金寺山」(423m) | |
中腹の「摩気神社」。石標には「摩気大社」とある | 山頂の祠は「役行者」を祀ってあるしい |
平屋富士(570m) | |
「ホサビ山」山頂手前で見た「平屋富士」 | 京都百名山「038ホサビ山」(750m)および「平屋富士」の登山口にある「平屋神社」 |
雲取峠 |
緩やかな峠になっていて、写真では「真ん中、奥の方へ」向かう「うっすら」としたルートを辿れば、京都百名山「043雲取山」(876m)山頂に着く |
城丹国境尾根の山 | |
「天童山」(775m) | 京都百名山「045飯森山」(791m) |
山頂には「京都一周トレイル」の道標がある。 いずれの山にも三角点はない |
山頂の「山名看板」は「飯盛山」とあるが、国土地理院の地図には「飯森山」 |
京都百名山「054鞍馬山」(580m) |
山頂と思しき所に「経塚(手前)と白玉龍王大神の塚(奥)」がある。標識・三角点などは何も無い。鞍馬寺「本殿金堂」前には「鞍馬山頂 570m」の案内標が建っている(山頂の認識が私と異なる) |
京都百名山「055金毘羅山」(573m) | 「翠黛山」(577m) |
写真は、山頂近くにある「三壺大神」。「雨を請い、晴を願い、風止めを祈る」神らしい | 大原から見ると『左=055金毘羅山、中央=翠黛山、右=052焼杉山』。「翠黛山」山頂は「看板」のみ |
金毘羅山中腹にある「琴平新宮社」 | 金毘羅山登山口にある「江文神社」 |
金毘羅さんですから「琴平の新しい宮」があっても不思議ではない | 謂れは難しい。山頂の霊場が現在の地に降りてきて、江文寺ができると、神仏習合したとも。金毘羅山は昔「江文山」と呼ばれていた |
京都百名山「057竜王岳」(500m) | |
山頂および山頂近くには「経塚」が多い。山頂近くからは054鞍馬山、鞍馬寺が見える。三角点はない | 「平家物語」に後白河法皇が薬王坂(やっこうざか、377m)を越える話が出てくる。最澄も歩いた。京都一周トレイル「北山東部コース」に含まれる |
田尻廃村 |
京都百名山「060朝日峰」(688m)に登るときに通る。昔は「林業を生業」にしていた人達が住んでいた村。今も立派な石垣が残る |
京都百名山「063船山」(317m) | |
山頂には「山名看板」が五月蠅いほど架けられている。三角点はない | 当たり前だが、五山送り火火床からは眺望が良い。遠くに「大文字 火床」も見える。眼下に見えるのは「京都ゴルフ倶楽部 舟山コース」 |
京都百名山「064愛宕山」(924m)月参り登山 | |
登山口に当たる「二の鳥居」。「一の鳥居」は「鳥居本」にある | (17丁目)「火燧権現跡」。これが「火廼要慎信仰」の始まりか |
「五合目休憩所」。「全50丁」の「30丁目」に当たる。2時間の登りなので、ここで休むのが良い | 七合目付近からの眺望。光輝くのは「清滝川」、遠くで光っているのは「広沢池」か |
柚子風呂・水炊きの「水尾」への分岐点。「水尾山陵(清和天皇陵)参道」と刻してある | 「黒門」。ここまで来れば「山頂 愛宕神社」はもうすぐ。阿多古祀符が頂けます |
後深草天皇皇子「性仁(しょうにん)法親王」陵 |
神護寺境内の鐘楼横から細い山道を上ったところに、文覚上人墓と並んで「陵」がある。性仁法親王は神護寺の興隆に力を注いだ |
金毘羅神社(牛松山) | 和らぎの道 |
山頂(三角点、629m)より高い所に「金毘羅神社」(保津川の船の安全航行を祈る、636m)がある | 下山後に丹波国分寺に立ち寄れば、桜の名所・七谷川「和らぎの道」に出会う。背後に京都百名山「068牛松山」(629m)がよく見える |
雙ヶ岡1号墳 | 清野夏野の墓 |
京都百名山「070雙ヶ岡」(116m)の上に24基の円墳が散在している。写真の古墳が最大(横穴式石室を持つ) | 碑には「清野真人夏野公墓」とある。承和4年(837)没、近くに山荘を持ち「双岡大臣」と称された |
白幽子厳居之跡 | 北白川「大山祇神社」 |
白幽子(石川慈俊)は石川丈山(詩仙堂)の弟子になり、天文・医学に通じ、晩年ここに隠居した。禅病に苦しんだ禅僧白隠は、白幽子の「内観の法」で治してもらった(白隠著「夜船閑話」に記されている) | 大山祇神社の分社と思われるが、詳細不明。古色蒼然としている。京都百名山「076瓜生山」(300m)の登山口にある |
金札宮のクロガネモチ |
伏見区鷹匠町(金札宮(きんさつぐう)) |
金札宮は「旧久米村」の産土神で「金札白菊大明神」を祀っている。クロガネモチは樹齢1200年とも言われるご神木。市指定天然記念物になっている |
乳の泉(鴻応山) |
「市杵島(いちきしま)姫神社」の湧水は「御手洗弁天の水」と言い、乳の出が良くなることから「乳の泉」と通称される。京都百名山「090鴻応山」(679m)の山麓にある |
涌出宮(三上山) |
天平神護2年(766)に伊勢から勧請された「和伎坐天乃夫支売神社(わきにいます)(あめのふきめのかみ)」、涌出宮(わきでのみや)と通称される。「雨をもたらす神」として知られる。京都百名山「099三上山」(473m)の登山口にある |
京都百名山の最北端「001依遅ヶ尾山」(540m) | |
登山口に当たる「松枝神社」。詳細は不明。麻呂子皇子(聖徳太子の弟)の皇弟を祀ると伝えられる | 登山道では「ブナの大樹」を初め、緑豊かな植生が見られる |
山頂には「役小角を祀っている石室」(左)と「不動尊を祀っている木造の祠」(右)がある | 山の西側に降った雨は竹野川を流れて立岩付近で日本海に注ぐ(写真のあたり) |
下山すれば「高島海岸」に近い宇川温泉 よし野の里が待っている | 山頂の真南の日本海岸は「丹後松島」という名勝になっている。写真は「犬ヶ岬」 |
売布神社(女布権現山) | 道標「女布」 |
「ひめふ」神社と読む。祭神が乗ってこられたという「船石」が置かれている | バス停「女布」の脇に建っている道標。はっきり「にょう」とある。ここから京都百名山「005女布権現山」(348m)に登る |
双耳峰の京都百名山「008由良ヶ岳」(640m) | |
東峰(標高点)には「虚空蔵菩薩」が祀られている石積みの祠がある | 西峰(三角点)には「説明板」が建てられている |
東峰(標高点)からは「由良川・粟田湾」が望める | 西峰(三角点)からは「天橋立」が望める |
京都百名山「027三峠山」(668m) | |
山頂に続く「未舗装林道」。行く手が山頂。後半「道標は無い」が、歩きやすい道が続く | 登山口で見つけた「萬亀山 龍心寺」の石標。立派な石標の割には、詳細不明。曹洞宗らしいのですが |
京都百名山「028砥石山」(536m) |
山道の脇には「昔採掘していた砥石」がゴロゴロ残っている |
京都百名山「029美女山」(482m) |
登山口の「市森」には「美女の山里」という石碑が建っている。美女山との関係はわからない |
京都百名山「034半国山」(774m)の不動明王像 |
山頂には「不動明王像」があるが、「線刻」なので言われないと「何の像」かわからない。石標には「日本大小神祇」「南無釈迦大仏」とある |
「丹波・摂津 国界」標石 |
大阪の「剣尾山」と京都百名山「035横尾山」(785m)の間に、「丹波・摂津 国界」標石(明治10年(1877))がある。確かにこの稜線は今も府境になっている |
京都百名山「085嵐山」(382m) | |
山頂には「山名札」があるだけで、三角点は無い | 山頂近くの「嵐山城跡」から見る「嵐山の光景」。手前が「桂川」、中間が070双ヶ岡、遠くが、左から073水井山、横高山、074比叡山 |
京都百名山「087霊仙ヶ岳」(536m) | |
国土地理院地形図の登山路は荒れていて不明瞭。結構難渋する | 山頂からは「亀山北郊」が見える |
福知山の大文字山(姫髪山、406m) | |
姫髪山登山口にある臨済宗医王山長安寺。依遅ヶ尾山の松枝神社同様、麻呂子皇子(聖徳太子の弟)に関係しているらしい | 山頂近くには「大文字の火床」がある |
福知山の秋は「午前中は濃霧」。登り始めはいつも心配、頂上に着く頃辺りは雲海。写真は、鬼ヶ城・烏ヶ岳 | 福知山の秋は「紅葉」。「大文字火床」がよくわかります |
亀岡の八ッ尾山(466m) | |
八ッ尾山の山腹ににある修験宗「楽音寺」。山深い所にある割には、大きなお堂である | 八ッ尾山登山口にある「大内神社」。祭神は八重事代主命(女性)。御神木の大杉は周8m、高さ36m |
八木町の千歳山(622m)・三頭山(728m) | |
両方の山の登山口にある真言宗「氷室山阿祇園寺」。神護寺の末寺。「阿」は親しみを込める接頭辞だから、地元で愛される「祇園さん」なのでしょう。この辺は「氷室郷」らしい | 同じく「高木文平」(京都商工会議所の初代会長、琵琶湖疏水に尽力し日本最初の市電を走らせた)の生家があって大きな「高木文平翁頌徳碑」が生家前に建っている |
宇治の明星山(233m) | |
明星山山頂は「山名看板」が架かっているだけ。標高も低く、眺望は無い | 明星山を通り過ぎて、稜線を詰めていくと日清都カントリークラブ「都コース 4番グリーン」に到着する。勿論入れません |
篠村八幡宮(みすぎ山、430m) | |
山麓には「足利尊氏旗上げの地」で有名な篠村八幡宮がある。写真は「本殿」 | 境内脇には由緒ある「旗上楊(やなぎ)」が今も「挿し木」で命脈を保っている(亀岡名木100選) |
西山(にしやま)古道(釈迦岳、631m) | |
この辺には「東海自然歩道、近畿自然歩道」があり「道標」が多い。この道標で釈迦岳(正面)にも行ける | 昔からの「西山古道」も残っていて、ここは「釈迦岳、善峰寺、柳谷観音」の分岐点 |
田原天皇社跡(大峰山、631m) | |
大峰山の登山口に「田原天皇社舊跡」(天智天皇の第七皇子・施基皇子は宇治田原の荒木に移され、後に田原天皇、荒木天皇とも呼ばれた)の石碑が建っている。明治になって近くの「大宮神社」に(移され)合祀された | 山頂も三角点もわかり難いからか、「三角点の道標」が建っている(こんな道標は初めて見た) |
宇治田原町の御林山(402m) | |
御林山の登山道に「鳥獣供養塔」への脇道が付いている。この供養塔はあちこちで見られる | 登山口に「宇治田原町立田原小学校」がある。明治6年(1873)「維孝館荒木小学校」として始まった。立派な(現役で使われている)正門には「維孝館」とある |
京都市地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」 |
烏丸通沿いにある。住所は「北区小山町」 |
琵琶湖疏水「一之橋」 |
「師団街道」から「琵琶湖疏水」を渡って「三洋化成」に渡るところに架かる橋。橋の親柱には「いちのはし」とある。住所は「東山区一橋野本町」。近くには「疏水二ノ橋」がある |
「北大路橋」の北側 |
「北大路橋」から北側「東岸」は、京都府立大グランド・府立植物園が並ぶ「緑の地区」になっている。住所は「左京区賀茂今井町」 |
笹屋伊織の「どら焼」(通常のどら焼きとは異なる) | |
形が妙ちくりんである。「棹菓子」のようだ。「棒状の何かが竹の皮に包んである」。この竹の皮ごと輪切りにするらしいが、竹の皮は食べれない | 竹の皮を取り除くと「こし餡を秘伝の薄皮が包んでいる」(のがわかる。これを食べる)。昔、お寺の銅鑼(どら)の上で焼いたので「どら焼」と呼ぶとのこと |
植彌加藤造園 |
お家の立派なお庭をメンテナンスするなら、ここに任せば間違いない。ただしお金はかかりますよ |
清水焼団地 |
「山科区川田清水焼団地町」には清水焼の郷会館がある。周りは「清水焼の陶芸家」ばかり |
ラクト |
正式には「ラクト山科ショッピングセンター」、山科駅前(山科区竹鼻竹ノ街道町)で山科の住民に便を供している |
GSユアサ |
日本電池とYUASAが合併して「大きな電池の会社」になった。本社は「南区吉祥院西ノ庄猪之馬場町」にある |
松尾神社 天照皇大神宮 |
GSユアサの工場の脇に残っている神社。由緒不詳。「南区吉祥院中河原西屋敷町」にある |
五所神社 |
「西京区下津林楠町」にあるこの神社の本殿(写真)はつい最近、京都市の有形文化財に登録された |
山陰道に関する地図 |
(赤線)平安時代の山陰道(赤△=羅城門、赤○=京南分岐、白△=吉祥院) (青線)江戸時代の山陰道(黄○=丹波口、黒○=桂地蔵、黄□=樫原) (黄線)現代の山陰道=国道9号線((烏丸五条から西大橋を経て)白○=樫原秤谷) |
山科の「八ツ橋」屋 |
昭和27年(1952)創業、山科区椥辻(地下鉄椥辻駅近く)に店を構える。「京都山科八津橋郷」と謳っている京栄堂 |
同志社アーモスト館 |
昭和7年(1932)竣工の登録有形文化財。設計はヴォーリズ。同志社女子大のキャンパス近く、相国寺と接している位置にあり、目立たない |
同志社女子大学ジェームズ館 |
大正2年(1913)竣工の登録有形文化財。設計は武田五一。同志社女子大のキャンパスの中だから、入り難い |
南大内小学校 |
大正13年(1924)「大内小学校分教場」として開校、すぐに「大内第三尋常小学校」に。昭和22年(1947)「南大内小学校」に改称で、現在に至る。「南区八条内田町」にある |
洛南高校 |
元々は真言宗の教育機関で大正6年(1917)「真言宗京都中学」に始まる。昭和37年(1962)「洛南高等学校」となった。現在、中高一貫の「学校法人真言宗洛南学園」となっている。「南区東寺町」にある |
柏屋光貞 |
東大路通(安井北門下ル)に面した座売りの和菓子屋老舗。珍しい和菓子を多く作っている。文化3年(1806)創業 |
七本の群生松 |
江戸時代「この地(七本松通と一条通の交差点)」に七本の松が群生していたことから、南北の通りの名が七本松通となった、と伝えている。 同じ場所に、堀川・北野線を記念して「北野チンチン電車」のプレートもある。 |
今井食堂の「さば煮定食」 |
これが「さば煮定食」一式。ほとんどのお客がこれを注文する |
芭蕉翁碑 |
蕪村が天明元年(1781)「芭蕉の生涯を称えた文」を刻して、金福寺に建てた碑。「芭蕉翁碑」と呼ばれる。このとき蕪村は「我も死して 碑に辺せむ 枯尾花」(私が死んだら、この碑の傍に墓を作って欲しい)と詠んだ |
ソースの自動販売機 |
ヒロタソースは業務用が多いからか、自店舗(工場)の前に自動販売機を置いて一般消費者に供している |
トレコのブルーモスク |
正式には「スルタンアフメト・モスク」、イスタンブール旧市街にある。オスマン・トルコ時代の1609〜1616年にかけて建てられた。世界遺産。内部の壁に貼られた「イズミック・タイル」が青い |
本満寺 |
創建は応永17年(1410)、日蓮宗「広布山本満寺」(右が山門)。洛陽十二支妙見めぐりの丑にあたり「出町の妙見さん」(左の石鳥居、寺町通今出川上ル)とも呼ばれる。大きな桜の木は見応えがある。山中鹿之助の墓もある。 |
道入寺 |
正保3年(1646)創建、日蓮宗「法華山道入寺」(修学院離宮道を登って「音羽川」沿いにある)。境内に「修学院の妙見さん」と呼ばれる「寅の妙見祠」(写真)がある。お寺としてはいわゆる“街のお寺”。 |
成就山法華寺 |
東寺創建の時「法華堂」として建てられたのに始まるとも。建長3年(1251)日蓮がここに滞在して「東寺密教」を研究した。焼失後、現在の地(島原「輪違屋」近く)に移転した。境内に「未の方の妙見さん」と呼ばれる「妙見宮」(右)がある。 |
清雲山圓成寺(えんじょうじ) |
寛永7年(1630)日蓮宗日任上人が、皇城北方鎮護の開運北辰尊星「岩戸妙見大菩薩」を祀って開創した(光悦寺の斜め前)。境内奥の妙見堂は「鷹峯の妙見さん」とも「岩戸の妙見さま」とも呼ばれる。山内撮影禁止のため写真は山門のみ。 |
福昌山本教寺 |
文禄3年(1594)日蓮宗日受上人が開創し、徳川家康の娘・督姫が帰依した。その督姫が池田輝政に嫁いだ関係で、池田家伝来の妙見宮が境内に祀られ「大手筋の妙見さん」として信仰された。妙見宮の扁額には「開運処」とある。 |
常照山日體寺 |
享保6年(1721)法華経折伏によって日蓮宗に帰依し、常照院日體上人が開創した。ここの妙見さんは、家を災いから守ること・清水にあることから「清水の鎮宅妙見宮」と呼ばれて信仰されている。 |
行者橋 |
知恩院近くの白川に架かる橋。千日回峰行を完遂した行者が最後に「尊勝寺」に詣でるときに渡る橋、ということで名付けられた。すぐ下流には「憩いの場」親水テラスがある。TVドラマの撮影にもよく使われる。 |
「葵屋やきもち総本舗」 |
写真は上賀茂神社鳥居前にある「上賀茂本店」。新大宮商店街にも店舗がある。 |
「ゑびす屋加兵衛」 |
この店の「やきもち」は矢来餅と書く。写真は下鴨神社に近い下鴨本通に面している「神社前店」。下鴨松原町に「本店」がある(こちらのが格式がありそう)。 |
「上御霊社の芭蕉句碑」 |
上御霊社別当の法印小栗栖祐玄亭での句会で詠んだ。「半日は 神を友にや 年忘れ」。よく読めないですが。 |
「金福寺の芭蕉句碑」 |
芭蕉はここを訪問して「憂き我を 寂しがらせよ かんこ鳥」と詠んだ。 |
田邑陵(文徳天皇陵) | |
大きな円墳(古墳時代)が文徳天皇陵として治定されているが、時代的に合わない。天皇の杜も古くから文徳天皇陵として信じられている。 | 円墳(「太秦三尾古墳」とも呼ばれる)にふさわしく「大きな濠」に囲まれている。 |
遍照寺旧址 |
江戸時代まで遍照寺は、広沢池の西畔にあったらしい。その位置に「説明板」が建っている。遺跡はなにも残っていない。 |
光厳天皇髪塔 |
天龍寺の東(現在の嵯峨天龍寺北造路町)、南朝・亀山天皇の陵の近くにあって「宮内庁」が管理している。なぜここに造られたのか、不明。「塔」は残っていないので「髪塚」という方が適当か。 |
法勝寺の遺跡 |
法勝寺の近くにあった「白河院の後継」=「現在は私学共済事業の施設」の「踏み石」に瓦の一部(2つ)が残されている(平安時代末期の遺跡)。 |