(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

藤原定家の住居と小倉百人一首成立に関する考察           (INDEX:索引へ)


小倉百人一首で有名な「藤原定家」。(和歌のことはともかく)わからないことが多い。
どこに住んでいたのか(もはっきりしないので、研究上の必要性から)これを調べて、整理した。
「小倉百人一首」に関しては(無理解の)誤解も多いので「正確な理解」も整理した。

    住居の変遷    小倉百人一首はどう撰されたか    どう小倉百人一首に変わっていったか    嵯峨山荘=小倉百人一首編纂の地はどこか
藤原俊成藤原定家明月記(定家の日記)
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小倉百人一首では「皇太后宮大夫俊成」小倉百人一首では「権中納言定家」(写真は訓読本)原本は58巻(冷泉家文庫
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(烏丸光安(1638没)の写した)小倉山荘色紙形和歌「いしだよしこ」氏(現代)の考える「和歌の配列」
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江戸時代はこういう風に貼られていた(と考えていたか、国立国会図書館所蔵)関連のある「4首組」で貼って欲しかったと主張している

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常寂光寺仁王門の北側にある石碑常寂光寺多宝塔の南にある石碑二尊院境内の南側にある石積み厭離庵の入口にある石碑
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「小倉山荘」と刻していないのはGood。できれば「嵯峨山荘色紙形和歌編纂之地」と刻して欲しかったここも「時雨亭跡」ではなく、「定家卿御神像祀跡」と刻して欲しかったここも「時雨亭跡」ではなく、「藤原定家卿山荘址」と刻して欲しかった(特別公開の時は看板が石碑を隠している)せめて「嵯峨山荘色紙形和歌ゆかりの地 厭離庵」くらいの刻にして欲しかった
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