91.後京極摂政太政大臣
藤原良経 上の句順 下の句順
(INDEX)
きりきりす |
なくやしもよの |
さむしろに |
ころもかたしき |
ひとりかもねん |
きりきりす |
なくや霜夜の |
さ莚に |
衣かたしき |
ひとりかもねん |
きりきりす |
鳴くや霜夜の |
さ莚に |
衣片しき |
一人かも寝ん |
- ■歌について
- 秋の歌でありながら、恋歌の匂いを漂わせている。「足引の 山鳥の尾の」と「さむしろに
衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫」の二首の恋歌を本歌にしている。
- ■出典
- 新古今集秋下
- ■作者略歴
- 1169-1206。38才で急死。関白後法性寺九条兼実の二男。藤原俊成に師事し、御子左家を後見。歌道では後鳥羽院に重んじられる。能書の聞こえ高く、後京極様といわれる。
- 【補】
- 藤原良経も和歌の名手だけあって、十六夜日記では不破の関屋に引用される。
- 藤原定家とも「歌のやり取り」していた。
私の知る範囲での「作者略歴」
- 仁安4年(1169)(3月)九条家・藤原兼実の次男として誕生。15歳で従五位下。
- (順風満帆のように見えたが)文治4年(1188)兄良通が22歳の若さで亡くなり、ショックを受ける。
- (兄・良通の死を悼んで、鬼気迫る)「寂しさや 思ひよわると 月見れば こころの底ぞ 秋深くなる」(秋篠月清集)
- 内大臣まで順調に昇進したが、建久7年(1196)の政変で父・兼実とともに政権中枢から外された。
- (失意の中)「秋風の 紫くだく くさむらに 時失へる 袖ぞ露けき」(秋篠月清集)
- 鎌倉開府後、後鳥羽院政が始まって正治元年(1199)(6月)左大臣に復帰した。
- (復帰で晴れて藤原北家を讃えて「春日山 都の南 しかぞ思ふ 北の藤波 春にあへとは」(新古今和歌集)
- 正治2年(1200)妻(一条能保の娘)を亡くす。
- (死を悼んで)「見し夢に やがてまぎれぬ 我が身こそ 弔はるる今日も まづ悲しけれ」(新古今和歌集)
- 建仁元年(1201)後鳥羽院が新古今和歌集撰進のために和歌所を設置。良経もその寄人になり、79首入集した(西行、慈円に次ぐ多さ)。
- (新古今和歌集の巻頭歌に撰ばれた)「み吉野は 山も霞て 白雪の ふりにし里に 春は来にけり」(新古今和歌集、建久6年(1195)に詠んだ和歌)
- 元久元年(1204)(12月)太政大臣、元久2年(1205)新古今和歌集完成を経て、元久3年(1206)(3月)38歳の若さで急死した。
- (晩年、元久元年(1204)の和歌は)「天の戸を おしあけ方の 雲間より 神代の月の 影ぞ残れる」(新古今和歌集)