2.持統天皇
上の句順 下の句順 (INDEX)
はるすきて |
なつきにけらし |
しろたへの |
ころもほすてふ |
あまのかくやま |
春すぎて |
夏来にけらし |
白妙の |
ころもほすてふ |
あまのかぐ山 |
春過ぎて |
夏来にけらし |
白妙の |
衣干すてふ |
天の香具山 |
- ■歌について
- 卯の花の比喩の情景歌。万葉集では「春過ぎて 夏は来ぬらし 白妙の 衣さらせり
天の香具山」とある。新古今風に改作されて撰ばれている。香具山は大和三山(畝傍、耳成)の一つ。
- ■出典
- 新古今集夏
- ■作者略歴
- 第41代(645-702,在位686-697)。天武天皇の皇后でもある。飛鳥から藤原宮への遷都、吉野巡遊などが記録に残る。
年表で「作者略歴」を整理してみよう。
- 645年、中大兄皇子(後の天智天皇)の子(どうやら「二女」のようです)として生まれる。
- この年は父・中大兄皇子が「乙巳の変」(6月)を起こした年であり、生まれたのは「変の前(前なら「皇極天皇4年」)」か「後(後なら大化元年(645))」かは分かっていない。
- 657年(13歳)、大海人皇子(後の天武天皇)の妃になった。
- 大海人皇子には「謎」が多い。
- 中大兄皇子は娘たち「大田皇女(持統の同母姉)、大江皇女、新田部皇女」も大海人皇子の妃に出している。余ほど弱みがあったのか。
- 「大海人(おおあま)」の名前から「海の近く」が連想される。その辺りから「飛鳥に進出」してきたのではないか。天智の弟ではない、血の繋がりもなさそう。
- 壬申の乱でも「伊勢の方へ大回りして」力を蓄えて「天智系を滅ぼした」。その辺りに「地盤があった」と考えられる。
- 始めて伊勢に「大伯皇女(天武の娘)」を参向させたのも、後の天武天皇。
- 661年天智称制。668年即位。
- 672年(28歳)、天智が崩御し、壬申の乱では「反天智系の」大海人皇子側に付いて、勝利する。
- 朱鳥元年(686、42歳)、9月に天武が崩御で持統が称制し、10月に義子・大津皇子を排除したが、689年実子・草壁皇子が薨去(28歳)したため、690年即位。
- 694年、(天の香具山に近い)藤原宮へ遷都。
- 697年、孫の軽皇子(15歳、42文武天皇、45聖武の父)に譲位。(父の天智系を捨てて、夫の)天武系で天皇を継いでいく基礎を固めた。
- 大宝2年(702、58歳)、崩御。
- 天皇としては初めての「火葬」、天武天皇陵に合葬された。
- 持統天皇の作と確実視されている和歌は「4首」。1つは「春過ぎて」(藤原宮遷都の前後と推定されている)、残りの3首は「天武天皇への挽歌」。若い頃の和歌は知られていない(詠んでいなかったのかも)。