99.後鳥羽院

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ひともおし  ひともうらめし  あちきなく  よをおもふゆへに  ものおもふみは
人もおし 人も恨めし あぢきなく よをおもふゆへに 物思ふ身は
人も愛し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆへ 物思ふ身は

■友札 人はいさ
■親族歌人  順徳院の父

■歌について
鎌倉幕府との軋轢が激しくなってきた頃の述懐五首の最後の歌。
■出典
続後撰集雑中
■作者略歴
第82代(1180-1239,在位1183-1198)。諱は尊成。高倉天皇の第四皇子。安徳天皇が西国に奔ったため即位。母は七条院。子に土御門院、順徳院。水無瀬に離宮を造り、風流に遊ぶ。歌道では御子左家を支持。新古今集の編纂を命じた。菊一文字の刀も打つ。承久の乱を興す。隠岐に 18年で崩ず。大原西林院に蔵す。
【補】
後鳥羽院が歴史上名を残した「承久の乱」についてはこちらにまとめた。
後鳥羽院もいろいろなところに御所を構えた。二条高倉殿五辻殿などを記載した(その他、「春日殿(大炊御門殿)」(左京二条四坊十町)、「大炊御門京極殿」(左京二条四坊十五町)、閑院、「藤原殖子(七条院、生母)邸」(左京八条一坊八町)にも)。
後鳥羽院は配流先の隠岐でも多くの和歌を詠んでいるが、どれが人生最後の和歌かはよくわかっていない。
後鳥羽院は隠岐で火葬されたが、遺詔が認められて大原に陵が造られた。