83.皇太后宮大夫俊成

藤原俊成 上の句順 下の句順 (INDEX)


よのなかよ  みちこそなけれ  おもひいる  やまのおくにも  しかそなくなる
世中よ みちこそなけれ おもひ入 やまのおくにも 鹿ぞなくなる
世中よ 道こそ無けれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

■類似語句  おくやまに・なく鹿
■友札 世中は
■親族歌人 藤原定家の父
寂蓮の叔父

■歌について
俊成自身が千載集に自撰している自信作。西行の出家を知って、詠ったといわれる。
■出典
千載集雑
■作者略歴
1114-1204。藤原道長の四代後、俊忠(権中納言)の三男。藤原基俊に師事し、その仲違いの俊頼にも私淑した。後に後鳥羽院の師範となり、御子左家の家学を創立、寂蓮・定家を率いて、当時の歌壇を指導した。91歳で没。平家物語で平忠盛が俊成に歌を届けた話は有名。墓は東福寺の塔頭南明院にあり、俊成忌には秋山会という歌会が開かれる。
【補】
藤原俊成らの「御子左家」の邸宅は三条二坊三、四町にあった。
藤原俊成は職掌柄、いろいろな人に歌を教えた。例えば式子内親王(斎院時代)
藤原俊成が「和歌の関係」で勧請した神社に新玉津嶋神社住吉神社などがある。