(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
愛宕山
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京都のほとんどの台所には、火伏せの護符「阿多古祀符 火廼要慎」が貼ってある
。
愛宕山詣
(標高924m、登りだけで2時間掛かる)
が生活の一部になっている証拠でもある。
【梅棹事典からの一部引用】
くろいかまどのそばの柱には、かならずむつかしい字でかいた「火廼要慎 阿多古神社」というおおきなお札がはってある。・・・愛宕神社は火の神様だから、京都の市民はみんな京都西北にある愛宕山までのぼって、神社のお札をいただいてかえり、それを自分の家の台所にはりつけた。
阿多古祀符
京都市内から見る「愛宕山」
我が家にも貼り付けてあります
(左)
。
黒谷
(金戒光明寺)
鐘楼から見た愛宕山。
「瘤」のような高いところが、愛宕山頂。
【私説】
古くから「お伊勢へ七度、熊野へ三度、
愛宕さんへは月参り
」と言われ、京都の人は月に1回は愛宕山詣をすることになっている。
愛宕山は清滝から登っても2時間掛かるので、本当に昔の人が毎月登頂・参拝したかは若干疑わしい。
そのため一説には「多賀さんへは月参り」という説もある。
明智光秀も
本能寺の事件を起こす前に、戦勝の神「愛宕大権現」に祈願し、併せて愛宕神社で連歌会を催し、「時は今 天が下知る 五月かな」と発句した、という逸話がある。これが
山頂の愛宕神社であるかどうか不明です
が、ともかく昔の人はよく愛宕山へ行ったらしい。
愛宕山
(標高924m)
は西山の中で1つ頭をもたげたような形をしており、京都市内から臨める山々の最高峰で、京都の町のどこからでもよく見える(識別できる)。
愛宕山のすぐ北にもう少し高い地蔵岳
(標高947m)
があるが、こちらは目立たない。
ハイキングにいい山
なので、愛宕山に登られたら少し足を伸ばすことをお薦めします。
愛宕神社
(愛宕山の山頂にある)
の祭神、信仰の経緯は難しい
。
主祭神は火神である迦遇槌命
(かぐつちのみこと)
であり、人々から火伏せの神として尊崇されている。
中世になって多くの修験者が愛宕山に住んだところから神仏習合をとげ、本地仏として
勝軍地蔵
が祀られ、戦勝の神としても尊崇された。
近世に入ると、一般庶民の間で再度竈に祀られる火の神として信仰を集めるようになり、その信仰は現在まで続いている。
私も月に1回は無理としても年に1回は愛宕山に登頂・参拝して、火伏せの護符「
阿多古祀符 火廼要慎
」
(梅棹事典とは記が異なる)
を頂いてきて台所に貼っている。
【蛇足】
秋には愛宕山詣の帰り
(下山)
に水尾へ出ると、もぎたての「
水尾の柚子
風呂、水炊き」(右京区
嵯峨水尾
岡ノ窪町)が楽しめる
(10〜11月)
。
年1回の愛宕山詣はやめられない
。
愛宕山頂の「愛宕神社」
(12月末に登山)
水尾の「柚子風呂、水炊き」
(11月)
金蔵寺の「火之要慎」護符
江戸時代の
愛宕山
(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベース)
山頂は
朝日峯
と認識されていた
(今「
朝日峰
」は別の山)
、右隣の「星の峯」は不詳
月輪道
(この図を見ると、こちらがメインの道だったかもしれない)
、「
火伏権現
」
(図右端中央、現在の「17丁」)
、
一ノ鳥居
(図左下隅)
などは今と変わらない
【通好み】
火廼要慎は愛宕山だけかと思っていると、そうでもない。
磐座
の一つ
「金蔵寺」でも配布している
。お好みなら「偶にはこちらを」。字も少し違うので「効き目」はわからないですが。
「金蔵寺」は愛宕神社の「勝軍地蔵」が移されたところ
(明治の神仏分離令の際)
だから。