円山
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独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★ | ★ | ★★ | ★ | 2.6 |
- 山頂の特定(地図)
- 下の説明にあるように「円山は崩されて残っていない」と言われている。
- 現時点で「円山に最も近い地点」を探すと「安養寺の本堂あたり」と考えられる。本堂の前に立てば、眼前に市街の景色が広がる。
- 長楽寺山と華頂山の間に山を探しても他に見つからない。下から見える小さなピークを目指して登っても、どれも東山トレイル上のこぶ(頭)か、長楽寺山への稜線上のこぶ(頭)にぶつかるだけ。
- 現状では「安養寺の本堂」を山頂とし、1万分の1地形図の本堂前の標高98mを採用した。同地形図で本堂自体の標高は100m近くありそうに見える。
- 登頂記録
- 円山山頂探索を行った結果、上のような判定を下したのが、H15-5-4(初登頂)。
- 祇園−円山公園を東へ進めば、安養寺はすぐに見つかる。門を潜って石段を登れば本堂に出る。
- 円山
- 円山は現在は公園になっていて、山は残っていない。
- 円山公園はもともと八坂神社や安養寺・長楽寺の境内だった場所を、明治19年(1886)公園として整備したもの。広さは約10万平方メートル。園内には野外音楽堂(正式には京都市円山公園音楽堂)などがある。
- 名前のとおり「円山町」にある。
- 安養寺
- 承安5年(1175)法然上人は専修念仏布教のため最初西山に拠られたが、同年まもなくして吉水の草庵を本拠とした。
- 親鸞聖人も建仁元年(1201)この吉水へ来て法然に教えを請うた。時に29歳。
- 法然・親鸞流罪後、慈鎮和尚(慈円)がこの草庵を「慈円山大乗院安養寺」と号した。
- 至徳年間(1384-1387)時宗国阿上人巡化のとき以来、時宗「円山安養寺」となる。
- 本堂は自由に拝観させていただける。
- 近くの仏閣神社
- 八坂神社
- 祭神は、素戔能尊・櫛稲田姫命・八柱御子尊の3神。この神が祇園精舎の守護神である牛頭天王と一体化され、いつか「祇園社とか祇園感神院」と呼ばれるようになった。
- 貞観11年(869)疫病が流行ったときここで御霊治めを行ったことから祇園祭りが始まった。
- 明治4年(1871)の神仏分離令に基づき神社に統合され「八坂神社」と改称された。
- 近くの穴場
- 盛京亭
- “京都風”北京料理店。京都の中華料理の中で最もコストパフォーマンスが高い。焼飯の味は日本一。
- 店の場所はわかりにくいが、中に入れば居心地は良い。
- 私のお気に入り店の一つだったが、残念ながら令和4年(2022)5月閉業した。
- 雍州府志での記述
- 円山
- 知恩院山の南に在る。将軍塚はこの頂に在る(注:原本隣の行の知恩院山に書くべきところを行間違いをしたと思われる)。
- 東山国有林風致計画での記述
- 圓山
- 知恩院山の南。山頂に将軍塚がある(注:雍州府志をそのまま書き写したための間違いと思われる)。
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本堂前から市街を望む |
吉水の謂れとなった「法垂窟」 |