阿弥陀ヶ峰
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★ | ★★ | ★★ | ★ | 2.6 |
- 山頂の特定(地図)
- 『豊国廟』参道の石段(565段)を登り切ったところ、高さ約10mの巨大な五輪塔があるところが山頂である。
- 2万5千分の1地形図には五輪塔のやや南西に
- 1万分1の 地形図には五輪塔のやや北東に標高点(196m)がある。
- 東山三十六峰の中でも最も特定しやすい山の一つ。
- この山頂には「阿弥陀峰城」があったらしい。
- 京都市遺跡地図台帳には「標高193m阿弥陀ケ山(現豊国廟)の南斜面に曲輪が良好に残存する」と記載されている。
- 標高については不明な点が多い。
- 地形図の中にも標高点(193m)と記してあるものもある。
- さらに数値地図では190mしかない。
- もしかすると196mないのかもしれない。
- 登頂記録
- H15-2-1初登頂。「登山ルート」どおり登った。
- その後、五輪塔の南側から山道をくだり、東山トレイルへ出た。
- 『豊国廟』参道から登ろうとすると登拝料をとられる。東山トレイルから登れば無料。
- 阿弥陀ヶ峰
- 一言で言えば豊国廟のある美しい形の山。
- 東大路通から見て最も立派に美しく見える山を探せばそれが阿弥陀ヶ峰。
- 現在では木が生い茂り街から見てもこんもりしている。そのため現在では眺望がなくなった(登拝券の「頂上よりの眺望雄大、京都市内を眼の下におさめることが出来ます」の印刷文字も手書きの二重線で消されている)。
- 清少納言は何回も清水寺を参拝したようで(「枕草子」第115・212・224段に出てくる)。第12段では「峰は、譲葉(ゆずるは)の峰、阿弥陀の峰、弥高(いやたか)の峰」と詠っているほど清水寺本堂から子安塔越しに見える峰姿は美しいと感じていたようだ。
- 奈良時代に行基がこの峰に阿弥陀堂を建てたことからこの名前が付いたといわれる。
- 名前のとおり「今熊野(いまぐまの)阿弥陀ヶ峯町」にある。
- 豊国廟
- 慶長3年(1598)63歳で生涯を閉じた豊臣秀吉は遺言によってここ阿弥陀ケ峰に葬られ、廟と社殿が建立された。
- 元和元年(1615)豊臣氏の滅亡と共に、廟・社殿は破壊された。
- その後むなしく風雨にさらされていたが、明治31年(1898)秀吉の300年祭に際し豊国会の手で廟宇が再建され、墳上に巨大な五輪石塔が建てられた。
- 阿弥陀ヶ峰山頂にあるのが豊国廟。
- (ここからがややこしいのだが)新日吉神社の東側(山側)豊国廟に登る長い石段があって、その前に「鳥居、豊国廟案内所・神札授与所」がある。そこで「登拝料」を払って、登ることになる。
- その「鳥居、豊国廟案内所・神札授与所」一帯を「豊国廟」と呼ぶこともある。
- 現在は「豊国神社の境外地」になっている。
- 豊国神社
- 豊臣秀吉を祀る豊国廟の社殿は、明治13年(1880)旧方広寺大仏殿の地に「豊国神社」として再建された。豊国神社の唐門は(伏見城の遺構を移築したもので)国宝。
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大和大路通に面する豊国神社の鳥居 |
国宝 唐門(左の鳥居の先にある) |
豊国廟(秀吉の墓)に登る長い石段 |
- 近くの仏閣神社
- 方広寺
- 天正14年(1586)豊臣秀吉が大仏殿を建立したのが始まり。その後なんども焼け落ち、現在は大阪の陣(慶長19年(1614))のきっかけとなった「大鐘」(重さでは世界一、知恩院の鐘より重い)を残すのみ。
- 天台宗。
- 「河原町正面」の正面通は、方広寺の正面にある通りというところから名付けられた。
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方広寺の本堂。「感応」とある。 |
家康が咎めた方広寺の大鐘(重文) |
方広寺建立時の遺構は大仏殿石垣 |
- 智積院
- 紀州根来山に建立された智積院が前身。豊臣秀吉が長男棄丸の菩提を弔うためにこの地に建立した祥雲寺を、慶長6年(1601)徳川家康が智積院に寄進したことで、この地に智積院が移ってきた。
- 五百佛山(いおぶさん)根来寺智積院が正式名称、真言宗智山派総本山(末寺約2,800)。
- 長谷川等伯の襖絵(国宝)が有名。
- 三十三間堂
- 長寛2年(1164)平清盛が後白河法皇の命を受けて造営した勅願寺。天台宗妙法院門跡に属し、蓮華王院と言う。
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智積院の本堂 |
三十三間堂の東門(一般入口) |
三十三間堂の南大門(重文) |
- 近くのグルメ
- わらじや
- 名物「鰻雑炊」単品の店。1人前6,000円強(H14現在)。2人以上。
- 予約した方が無難。鍋と雑炊(鍋に入れたまま)と二品出てくる。熱い料理なので要注意。
- 雍州府志での記述
- 鳥部山
- 今の豊国山。山頂を阿弥陀が峯と云う。
- (注)雍州府志の書き方によれば、歴史的に古くから「鳥部山」と呼ばれていた山は、今(江戸時代になって)「豊国山」と呼ばれるようになった。かつその山頂は「阿弥陀が峯」と呼ばれている、となる。
- 東山国有林風致計画での記述
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豊国廟の鳥居から見る阿弥陀ヶ峰 |
阿弥陀ヶ峰山頂の五輪石塔 これが豊臣秀吉の墓 |
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清水寺本堂から子安塔先に見る阿弥陀ヶ峰 |
東大路(今熊野)から見る阿弥陀ヶ峰 |