(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

(京都市にある)近代建築           (INDEX:索引へ)


京都市内には、古い寺社仏閣が多く残っているが、明治以降に建てられた近代建築も多く見られる。

国登録の「重要文化財、有形文化財」を中心に列挙してみた。

重要文化財    有形文化財(明治時代)    有形文化財(大正時代)    有形文化財(昭和時代)
国登録以外(明治時代)    国登録以外(大正時代)    国登録以外(昭和時代)


  1. 重要文化財
    龍谷大学同志社彰栄館同志社クラーク記念館
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    写真は「正門」越しに見る本館明治12年(1879))。明治時代初期の洋風建築の様式がはっきり見える。設計は不詳明治17年(1884)。設計はD.C.グリーン(米人、宣教師・教師)。京都市内に残る煉瓦造建築最古の遺構明治27年(1894)。設計はR.ゼール(独人)。八角の塔屋を設けている
    七条通大宮東入ル烏丸通今出川上ル今出川通烏丸東入ル
    北黌、南黌、旧守衛所重要文化財(同年)文化財の正式名称は「同志社(旧英学校、神学校及び波理須理科学校) 彰栄館」当初は「神学館」として使われた。同志社には他にも多くの重要文化財がある
    旧帝国京都博物館(京都国立博物館本館)京都ハリストス正教会 生神女福音大聖堂京都府庁旧本館
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    写真は表門(現在の西門)と(遠方の)本館(現在の明治古都館、ともに明治28年(1895))。設計は片山東熊(宮内省内匠寮技師)明治36年(1903)。設計は松室重光。京都では珍しいロシア・ビザンティン様式明治37年(1904)。設計は松室重光。府県庁舎建築の模範となった
    七条通東大路西入ル柳馬場通二条上ル釜座通丸太町上ル
    その他の部位重要文化財2022年2月9日に指定された新人の重要文化財現存する官庁建築としては日本で最も古い
    旧日本銀行京都支店(現・京都文化博物館別館)旧真宗信徒生命保険株式会社本館(現・本願寺伝道院)旧京都中央電話局西陣分局舎(現・西陣産業創造會舘)
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    明治39年(1906)。設計は辰野金吾、長野宇平治明治44年(1911)。設計は伊東忠太(東京帝大)。英国風に印度・中国様式を取り込んだ大正10年(1921)。設計は岩元祿(通信技師、唯一の作品)。装飾がドイツ風
    三条通高倉西入ル油小路通正面下ル中立売通油小路西入ル
    きわめて保存状態が良い。今も綺麗です本願寺を大株主とする真宗信徒の生命保険会社の社屋だった現在は「新ビジネス孵卵機関」となっている


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  2. 有形文化財(明治時代)
    島津創業記念資料館家邊徳時計店(家邊家住宅)店舗京都大学本部構内正門(旧第三高等中学校正門)平安女学院明治館
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    写真、手前が北棟(明治27年(1894))、向こうの方が南棟明治21年(1888))、ともに有形文化財。明治23年(1890)。「やべとく」の主屋(民家)も有形文化財。設計は不詳明治26年(1893)。設計は山口半六と久留正道(文部省技師)明治27年(1894)。設計はA.N.ハンセル(英人)
    二条通木屋町下ル三条通富小路東入ル東一条通東大路東入ル下立売通室町東入ル
    伝統的な町家形式を基調としているが、縦長の窓や細部意匠に洋風が取り入れられている煉瓦造の商店。装飾がいかにも明治らしい、現在ならこうは作らない京大吉田キャンパスの最初期の建造物。時計台は「大正14年(1925)」平安女学院中学校・高等学校の中にあって、よく見えない
    京都大学総合人間学部正門(旧第三高等学校正門)松本酒造煉瓦煙突京都大学尊攘堂衣笠会館
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    写真は、正門とその奥にある門衛所(旧門番所)、ともに有形文化財(明治30年(1897))。設計は真水英夫明治31年(1898)〜明治45年(1912)の間。煙突の右の煉瓦倉庫も有形文化財(同時期)明治36年(1903)。設計は不詳明治38年(1905)頃。設計は不詳
    東一条通東大路東入ル伏見区横大路三栖大黒町(東高瀬川沿)東大路通東一条上ル一条通西大路西入ル
    門衛所は、受付部分の屋根を八角形にしているのが特徴煙突の左の大黒蔵、さらに左の酒蔵ホールなども有形文化財(大正)品川弥次郎の死後、弥次郎の寄付金で京都大学内に新築移築したもの。東大路通からも見える(写真)市内では数少ない明治後期の煉瓦造の住宅建築(藤村岩次郎の自邸として建てられた)
    日本写真印刷本館関西美術院聖母女学院法人本館旧御所水道ポンプ室
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    明治39年(1906)。設計は不詳明治39年(1906)竣工、武田五一設計明治41年(1908)陸軍第16師団の司令部庁舎として。設計は不詳(外国人か)明治45年(1912)。設計は宮内省内匠寮
    四条通七本松東西入ル岡崎通冷泉上ル伏見区深草田谷町山科区日ノ岡夷谷町(大神宮橋の南)
    当時「京都綿ネル」の事務所として建てられた。非公開なので、門の外から木造平屋建だが、内部にアトリエを持てるように設計されたので、取り上げた勇壮で女学院には見えない。女学院なので迂闊には入れないので、門の外から疏水から御所への防火用水を送るためのポンプ庫。流石に宮内省の設計らしい


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  3. 有形文化財(大正時代)
    大谷大学尋源館(旧本館)七条大橋京都大学基督教青年会会館京都大学文学部陳列館
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    大正2年(1913)。設計は須藤勉と山本八太郎大正2年(1913)。設計は柴田畦作(東京帝大)大正2年(1913)。設計はヴォーリズ大正3年(1914)。設計は山本治兵衛と長瀬狂三(京大営繕)
    北大路通烏丸西入ル七条通鴨川に架かる東一条通東大路東入ル京都大学吉田キャンパス内(北西部)
    屋根に「小塔」が乗っているのが特徴。今もキャンパスの中央にある全長=81.9m、幅=18.1m(同時期に四条大橋も架橋されたが、後に架替)現在は「京都大学YMCA会館」(地塩寮)になっている「大正期建築」の特徴がある、と言われている
    日本生命京都三条ビル旧棟(旧日本生命京都支店)SACRA(旧不動貯金銀行京都支店)文椿ビルヂング(旧西村貿易店社屋)聖ヨゼフ修道院門の家
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    大正3年(1914)。設計は辰野金吾と片岡安大正5年(1916)頃。設計は日本建築(株)(同銀行の関連会社)大正9年(1920)。設計は不詳大正9年(1920)。設計は多久仁輔(住友営繕)
    三条通高倉東入ル三条通富小路西入ル三条通烏丸西入ル西大路通今出川上ル(の裏手)
    現在は往時の「円錐塔屋を含む1スパン部分」が残っているのみ全体としてルネサンス風。左右と併せて三条通には大正の頃から並んでいた木造だが、外壁はタイル張、屋根は銅板・スレート葺で、洋風建築に見える元は住友家京都衣笠別邸の門衛所。煉瓦造の「」も有形文化財(同年)
    旧京都中央電話局上分局船岡温泉竹田火の見やぐら京都大学農学部表門及び門衛所
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    大正12年(1923)。設計は吉田鉄郎(逓信省)脱衣場(木造)は大正12年(1923)。設計は河原千之助大正12年(1923)建設。山型鋼の鉄骨造大正13年(1924)。設計は森田慶一(分離派建築会)
    丸太町通河原町東入ル鞍馬口通船岡東西入ル伏見区竹田狩賀町今出川通志賀越道西入ル
    鴨川縁に建つ大正期の近代建築、よく目立つ。一時期「京都電信電話会館公社」写真は「軒唐破風の銭湯入口」(昭和3年(1928))だが、有形文化財は多い流石に「現役ではない」か。文化財としては珍しい「門と門衛所」がともに有形文化財になる形式は総合人間学部と似ている
    エンマ(旧村井銀行祇園支店)富士ラビット京都大学楽友会館レストラン菊水
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    大正13年(1924)。設計は吉武長一(村井家お抱え)大正14年(1925)頃。設計は愛仁建築設計事務所大正14年(1925)頃。設計は森田慶一。家具は森谷延雄大正15年(1926)。設計は松村次郎(上田工務店)
    四条通大和大路東入ル七条通新町西入ル近衛通東大路東入ル四条通川端(角)
    京都では珍しく「アメリカ風」。四条のアーケードでよく見えない自動車販売「日光社」(創業は大正11年(1922))のビル。装飾看板は堪らない「Since 1925」の札を見ながらよくランチ食べました。写真の自転車は私の創業大正5年(1916)のレストラン。「塔屋」と「凹凸」、1階の外装が特徴


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  4. 有形文化財(昭和時代)
    旧内濱架線詰所(開化堂カフェ)旧鴻池銀行七条支店壽ビルディング(旧商工ビルディング)祇園閣
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    昭和2年(1927)。設計は不詳昭和2年(1927)。設計は大倉三郎(宗建築事務所)昭和2年(1927)。設計は山虎組昭和2年(1927)。設計は伊東忠太
    河原町通七条上ル七条通新町西入ル西木屋町通松原上入ル円山公園近く(祇園町南側北西部)
    旧京都市電の架線保守のための施設。現在は茶筒で有名な開化堂のカフェに昭和39年(1964)まで「三和銀行」の店舗だった鉄筋コンクリート造5階建で、高層ビルのはしりとなった大倉喜八郎が「市街を見下ろすため」に造らせた「道楽建築」
    京都国際マンガミュージアム(旧京都市立龍池小学校)平安女学院昭和館南座京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センター
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    旧講堂棟は昭和3年(1928)。設計は京都市営繕課昭和4年(1929)。設計は内藤多仲とJ.W.バーガミニー(米人)昭和4年(1929)。設計は足立糺(安立建築事務所)(白波瀬直次郎という説も)昭和5年(1930)。設計は武田五一(指導)と東畑謙三
    両替町通押小路下ル下立売通室町東入ル四条通大和大路西入ル左京区北白川東小倉町(白川通の西)
    4つの有形文化財に分かれていて、説明が必要装飾の少ない“すっきり”したデザイン。屋根に特徴がある和風だが、鉄筋コンクリート造だから、いいか(改装されても外観は不変)スペイン教会風で、昔から私の一番好きな近代建築です
    日本聖公会京都聖三一教会京都工芸繊維大学(旧京都高等工藝學校)本館及び講堂京都芸術センター(旧京都市立明倫小学校)紫明会館
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    昭和5年(1930)。設計は園部秀治とJ.W.バーガミニー昭和5年(1930)。設計は本野精吾(京都高等工藝學校教授)昭和6年(1931)。設計は京都市営繕課昭和7年(1932)。設計は十河安男(京都府営繕技師)
    丸太町通千本西入ル下ル左京区松ヶ崎正田町(北山通の南)室町通蛸薬師下ル紫明通衣棚西入ル
    「木造教会」だが、バーガミニーの設計のせいか「なんとなく洋風」です。教会のスタートは明治26年(1893)です写真は本館及び講堂とその手前にある正門及び門衛所(その他)倉庫自動車庫も有形文化財(昭和6年(1931)写真は正門及び塀、正面に見える南館、左に見える西館(その他)少し離れた北館も有形文化財(同年)紫明通に面していることから名付けられた同窓会会館(現在は、京都教育大)
    京都市美術館本館関西日仏学館革島医院フランソア喫茶室
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    昭和8年(1933)。設計は前田健次郎昭和11年(1936)。設計はR.メストラレ(仏人)昭和11年(1936)。設計は首藤重吉(京都あめりか屋)昭和16年(1941)。設計はベンチベニ(友人の伊人)
    二条通岡崎(岡崎公園の中)東大路通東一条上ル麩屋町通六角下ル西木屋町通四条下ル
    写真の本館の他に、正門(北)、正門(南)北門東門北案内板南案内板も有形文化財(時期は若干異なる)設計者の意図どおり、流石「フランス」を感じる木造だが、屋根はフランス瓦、塔部分は銅葺きで、洋風であるこれも木造だが、イタリアン・バロック調でいかにも“ハイカラ”


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  5. 国登録以外の有形文化財
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補足資料




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