鳥辺山
(INDEX)
独断評価
発見難易度
登頂体力度
頂上眺望度
山行愉悦度
総合評価
5点満点
★★★
★
★★
★
2.4
山頂の特定(
地図
)
後述のとおり大谷本廟・実報寺・通妙寺・本寿寺などを含む小高い山が鳥辺山であるから、この界隈を登り高みを探す。
西大谷墓地第17区
にあたりを睥睨するかのように
「一本杉」が立っている。このあたりが鳥辺山頂と思われる
。山としての雰囲気を持っている。新たな事実がみつかるまでこの地点を山頂としておく。地形図から標高は84mとした。
周りを見渡せば、清水山・阿弥陀ヶ峰などがよく見える。
音羽川の南、子安塔のある山の続きにある地点も候補の1つ(標高110m前後)であるが、少し南過ぎる。
登頂記録
探索を目的にルートどおりH15-7-26初登頂。
さらに高みを目指すと、清水寺へ出られる。
鳥辺山
一言で言えば
西本願寺西大谷墓地の中の一本杉のある山
。
低い山なので、遠くからは山とは見えない。
山頂の特定が正しければ
西大谷墓地に入って来なければ絶対に見えない
。
かつては現在の清水山から阿弥陀ヶ峰・東福寺に至る山麓一帯広くが
鳥辺野
と呼ばれていた。
往時いたるところ風葬が多かったため、
小野篁
は蓮台野(洛北)、鳥辺野、華頂(洛東)、西院、化野(洛西)の5箇所に葬場を制定した。その頃の鳥辺野は、今の祇園・円山公園の一帯であった。
以降漸次南に下り、鳥辺山(野)は五条通より南側の阿弥陀ヶ峰から泉涌寺・東福寺のあたりまでを指すようになった。現在の
阿弥陀ヶ峰
すら「鳥部山」と呼ばれていたこともある。
参考までに、
今熊野観音寺
は鳥辺野・鳥部野・鳥戸野を使い分けている。「阿弥陀が峰の南西一帯を鳥戸野(とりべの)と呼び、北西の一帯を鳥辺野(とりべの)、両方を合わせて鳥部野(とりべの)とあらわします。鳥戸野の地は古くから高貴な方々の葬地であり、いっぽうの鳥辺野は庶民の葬地でした。その鳥戸野の葬地を掌っていたのが観音寺であります」。
源氏物語夕顔の巻には、このあたりの鬼気迫るさまを思わせる描写がある。
現在「鳥辺」の名を残す鳥辺山は範囲が狭まり
五条坂から東の小高い丘を指す。大谷本廟・実報寺・通妙寺・本寿寺(鳥辺山と号す)などを含む小高い山を鳥辺山とするのが一般的らしい。
市街近さを反映して町名も市街らしく「五条橋東六丁目」という町にある。
西本願寺
本願寺は文永9年(1272)親鸞の息女覚信尼が「現在の知恩院のある場所」に宗祖の御廟を建てたのが起こりで、以降法難を避け各地を転々とした(第3代覚如上人のとき(元亨元年(1321))「本願寺」と称した)。天正19年(1591)豊臣秀吉から寺地の寄進を受け、これが現在の地。
慶長7年(1602)
東本願寺
と分離して、浄土真宗
本願寺派
本山、山号は龍谷山。現在、末寺約10,300、宗派別最大。
現在の諸堂は元和3年(1617)の火災の復興が主。このとき徳川幕府の豊臣家記念物破壊政策によって取り壊された伏見城、
聚楽第
の一部が移築された。
書院・
飛雲閣
(これらが移築されたもの)、
御影堂
・
阿弥陀堂
(本堂)・北能舞台・
唐門
(日暮門)などが国宝。鐘楼・太師堂など重要文化財も多い。
世界遺産
に指定されている。関連大学は
龍谷大学
。
URLでは西本願寺が本願寺
を名乗っている。
飛雲閣
(国宝)
御影堂
(国宝)
御影堂門(重要文化財)
唐門
(国宝)
阿弥陀堂
(国宝)
本願寺伝道院(重要文化財)
江戸時代の
本願寺
(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベースから)
「西本願寺」ではなく「本願寺」
と記述されている
(「東本願寺」は「
東本願寺
」と記述されている)
2つ描かれている「御門」の内、左の「御門」が「
御影堂門
」
(図に名前は無いが)
図左下に描かれている「高楼」が「
飛雲閣
」
「本堂」と描かれているのが「
御影堂
」
近くの仏閣神社
大谷本廟
(通称:西大谷)
「
大谷本廟
」は親鸞聖人を火葬したところ(「御荼毘所」と呼ばれる)。
火葬後、親鸞聖人の遺骨は現在の「
大谷祖廟
(東大谷)」に納められた。
さらにその後、末娘の覚信尼が遺骨を現在の知恩院山門北側の「崇泰院(そうたいいん)」付近)に改葬し、お堂を建てた。この堂が後に「大谷本願寺」となった。
遺骨はどこにあるのか
分かり難い。
さらに慶長8年(1603)徳川幕府の政策によって
五条坂
(現在の地)に移された。
五条坂
にある「大谷本廟への入口」。「大谷御廟」の名前が刻されている
左の石標を入ってしばらく歩くと、
大谷本廟
(西大谷)
手前に拡がるのが「西大谷墓地」
近くの穴場
河井寛次郎記念館
この建物は、昭和12年(1937)自らがデザイン・建築したもので、ここで数々の作品を創りあげてきた。
寛次郎の生前の暮らしぶりを表現しているためか、中に居ると寛げる。何回でも行きたくなる。
そんな人のために、年間会員制度もある。
河井寛次郎記念館の全景
同 1階(暮らしぶりがわかる)
同 2階(寛次郎思索の場)
雍州府志での記述
なし
「鳥部山は、今の豊国山。山頂を阿弥陀が峯と云う。」という記述がある。
(注)これは「種本の阿弥陀ヶ峰」のことで、雍州府志には「種本の
鳥辺山」についての記載はない
。
阿弥陀ヶ峰
を参照。
東山国有林風致計画での記述
鳥部山
清水山の隣にあり、西大谷の墓地があるところ。
鳥辺山頂
西大谷墓地を登る(背後は清水山)
山頂から東側(三重塔は清水寺)を見る
山頂から南側(奥が阿弥陀ヶ峰)を見る