(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
将在消看板(京都の街角写真から)
(INDEX:索引へ)
「水田玉雲堂」 | 御菓子司「亀末廣」 | ホテル「nol kyoto sanjo」 |
上御霊前通烏丸東入ル | 姉小路通烏丸東入ル | 堺町通姉小路下ル |
文明8年(1476)創業ですから「右書き」は当然。大振りなので、つい「唐板」を“たいらか”と読んでしまう。 | 見事なまでの「右書き=上海」です。貫禄たっぷり。見応え充分。京都でも1、2を争う干菓子の名店です。 | 元は「キンシ正宗」の店。2020年イタリア料理屋から、町屋Hotel(東急系)へ。片仮名の店名と思って「シンキ」と読む人が多い。 |
京仏具「乾大仏堂」 | 「京都府立図書館」 | 「島津製作所旧本社ビル」 |
寺町通松原下ル | 二条通神宮道西入ル | 河原町通二条下ル |
「佛」の字が並ぶので、どこで区切ればよいか。読んでみて「ああ右書き」かと気が付く。 | 明治になってからの建築ですが、アンティーク調に作られたようで、文字は上海です。 | こちらは昭和になってからの建築ですが、それでも上海。左右とも「武田五一」の設計。 |
「永澤金港堂」 | 「富士ラビット」 | 「嶋臺」(しまだい) |
河原町通夷川上ル | 七条通新町西入ル | 御池通東洞院西入ル |
大正3年(1914)創業の教科書販売専門書店。今回撮影した中では最も立派な「金ビスケット」。 | 国登録有形文化財(大正14年(1925)頃)で、柱状装飾もビスケット文字も目を引きます。 | 「東洞院通」側の蔵壁を見上げると、立派な縦書きビスケットが。珍しい形態です。 |
ボタンの店「エクラン」 | 「越後屋多齢堂」 | 「多津美織物」 |
寺町通二条下ル | 今出川通千本東入ル | 智恵光院通寺之内下ル |
新しい店の割には「シンプルな商品名ビスケット」が貼り付けられている。 | 安政年間(1854-)創業らしく「古典的なフォントの店名ビスケット」が貼り付けられている。 | 「商品名一文字のビスケット」、潔い。智恵光院通から1本西に入った通りにある。 |
「桔梗屋」 | 「大衆食堂」 | ヤマイチパン「成田販売店」 |
大宮通松原東入ル | 姉小路通矢城西入ル | 日暮通出水上ル |
典型的な“アララギ”食堂。「桔梗食堂」とも。バイクの駐車はあるが、営業はしていない模様。 | 「谷口理容店」の向かいにある。“アララギ”食堂は同じ道を辿るのか。“ビスケット”でもある。 | 戦後始めた「山一パン」の販売店。この看板を見ると小学校の給食を思い出す。懐かしい。 |
「白井ふとん店」 | 「千本日活」 | 昭和レトロ雑貨「いっぽう堂」 |
寺町通夷川上ル | 上長者通の西端に直面 | 岩上通三条下ル |
「トタンに書かれた字」は“蒸発”にも見えるが、今も昭和の雰囲気をもったまま営業している。 | 昭和人には懐かしい映画館。旧赤線らしく、今もピンク映画を上映。看板の字もいいですね。 | 店名のとおり「昭和レトロ雑貨」を売っている。 |
「平井紙店」 | 革堂前の「町内商工案内地図」 | 「一休園茶舗」 |
三条通神泉苑町西入ル | 竹屋町通寺町西入ル | 河原町通七条下ル |
町屋に架けられたコクヨの屋号紋も懐かしい。色の配合も“昔からのコクヨ”。営業はやめたか。 | 手書きの「町内商工案内地図」は今や珍しい。暖か味がある。メンテナンスすると“重ね”になる。 | 「アララギ過ぎる」か、長い間営業していないようです。 |
折箱「谷為」 | 「冷泉町々内図」 | 「岡田医院」 |
二条通新東洞院通を下ル | 室町通夷川下ル | 岩上通四条上ル |
明治33年(1900)創業。商品名「折箱」の書き方を変えたか、商品名が書き直されズレている。 | 書き直しのもう一つの方法は「重ね貼り」である。看板ではないですが、これなら“ズレない”。 | 書き直しのもう一つの方法は「取り消し線重ね」である。これなら“安直”。「小児科」をやめた。 |
「釜座米穀店」 | CoffeeShop「かど」 | 「丸大商店」 |
釜座通三条上ル | 上立売通小川東入ル | 丸太町通大宮東入ル |
釜座にあって欲しい店は米屋。看板にも「お米の釜座」(米穀店)とある。 | 道角にある喫茶店はかど。看板を見れば“わかる”。 | 「丸太町通大宮」にある店は丸大商店でなければならない。京都にはこの類の看板は多い(例:千本丸太町は千丸)。 |
ハイツ「五番館」 | 「御金神社」(みかね) | BAR「探偵」 |
仁和寺街道千本西入ル-下ル | 西洞院通御池上ル | 御蔭通東大路西入ル |
「千本日活」近くの「五番町」にあるハイツなので「ハイツ五番館」。5個目のハイツではない。 | 「御金(みかね)神社」の鳥居は、当然、「金の鳥居」「金の扁額(看板)」です。 | 「探偵事務所」の隣には「Bar探偵」があって欲しい。事務所が経営しているのか。 |
「一条通浄福寺通南東角」 | 「中西薬局」 | 「岩本商店」 |
一条通浄福寺通南東角 | 一条通御前西入ル | 寺町通広小路下ル |
蒸発し過ぎてなにが書いてあるかわからない。「上長者町」の方へ下ル店の案内看板らしい。 | 重ねにも見えるが「“コーワ”関連の多くの字が蒸発している」と見るのが正しい。 | 建築資材販売の店。トタン(亜鉛メッキ)は蒸発しやすい。辛うじて読める。 |
「ピニョ食堂」 | 「新富青果実店」 | 「ナツメ屋自動車硝子店」 |
仁王門通川端東入ル | 大宮通上立売下ル | 蛸薬師通佐井東東入ル |
前の店のブリキ(錫メッキ)屋根をそのまま使用したのか。屋根の字は刻印らしい。 | 「重ね」に見えそうですが、これも「かすれ」か。気になる店です。 | “蒸発”間近いかすれと言った方がよさそう。かすれ方が渋い。 |
「田中屋酒店」 | 「南座」 | 「泉屋市古商店」 |
近衛通の一本南の道東大路東入ル | 四条通川端東入ル | 姉小路通富小路東入ル |
酒蔵が「特約店」であることを証明するために贈る彩色豊かな木製“特約看板”(こう呼ばれる)が並ぶ。 | 厳密には看板ではないですが、「まねき」は日本一豪華な看板でしょう。この時は「団十郎」と「海老蔵」が。 | 「田中屋酒店」ほど豪華ではない「味噌・醤油」(酒蔵ほど裕福でない)の木製“特約看板”が並ぶ。 |
源金吾「八木包丁店」 | 「京都大神宮」 | 旧二条商店街の「元酒屋」 |
堺町通四条上ル | 寺町通四条下ル | 旧二条通御前西入ル |
店頭に溢れんばかりの包丁看板。手が切れそう。これも一種の“豪華”。 | 社殿の軒に、氏子さんたちの“奉納扁額”(これも看板のようなもの)がズラッと。 | アサヒビールの“特約看板”が蒸発している。今は「たばこ」看板の数が豪華。 |
「黒門通元誓願寺上ル」 | 「松屋町通一条下ル」 | 「椹木町通浄福寺西入ル」 |
黒門通元誓願寺上ル | 松屋町通一条下ル | 椹木町浄福寺西入ル |
「仁丹町名表示板」の典型例(町名表記法、琺瑯も含めて)。京都らしく町屋に架かっている。 | 電信柱に架かっているところもあります。 | こんな高い所に架かっているところもあります。 |
「醒ヶ井」 | 手織ミュージアム「織成館」 | 「西陣空襲被爆地」 |
醒ヶ井通四条上ル | 浄福寺通上立売上ル | 浄福寺通丸太町下ル |
「仁丹町名表示板」が丁寧に保存されている。しかも「町名変更の前後2枚」、古い方は蒸発。 | 暖簾に「仁丹町名表示板」を染め上げている。デザインを兼ねて街の雰囲気作りに努めている。 | 仁丹印は付いているが「町名表示板」ではない。京都も戦争被災を受けたことを物語っている。 |
「材源」主屋 | 「吉川眼鏡店」 | 「斎藤造酢店」 |
五辻通御前東入ル | 春日上通鞠小路西入ル | 一条通紙屋川−東入ル |
文政元年(1818)創業の「文化財復旧工事」会社。大きな文化財(纏)の模型が掲げられている。 | 取扱商品の眼鏡模型も、看板も“アララギ”風です。「眼鏡、店名」は上海。 | 酢を造る壺模型(商品名=タマヒメ「す」と書いてある)が「看板」になっている。これもわかりやすい。 |
チンクエ「イカリヤ」 | 「ヴァンサンタマラ印度舞踏研究所」 | 「大宮通三条上ル」 |
姉小路通室町西入ル | 千本通北大路上ル | 大宮通三条上ル |
「イカリヤ」の字は無くとも、錨模型で店名はすぐにわかる。 | 「インド舞踏」らしく激しく踊る踊り子の模型が飾ってある。あまり京都らしくない。 | 屋根上にあるのは「鍾馗」ではなく邪鬼でしょうか、「うだつ」のような屋根を持ち上げている。 |
「キタノ大天狗治療院」 | 「渡邉医院」 | 「百々眼科」 |
千本通の一本西の通下長者上ル | 浄福寺通今出川下ル | 小川通今出川下ル |
「小児疳の虫(かんのむし)の小児鍼治療」のことを京都では「小児虫はり」という。治療院の名も効きそう。 | これだけはっきり書かれると、入り難くなるか。でもしっかり治療してくれそう。 | これだけ「D、O、ど」が並ぶとどもりそう。医者としてはどうか。 |
「西村吉象堂」 | 「清水末商店」 | 「岡崎評吉店」 |
三条通柳馬場東入ル | 寺町通二条下ル | 下長者町通室町西入ル |
達筆過ぎて、かつ上海でもあり、読みにくい。商品名の「漆器」と書いた看板である。 | ずっと「穎看板」と思っていたら、どうやら「商品名」である「額 看板」と書いてあるらしい。 | 「霜鳥研究所」製の「生薬シップの糾励根」(きゅうれいこん)を販売。カナが振ってあるので辛うじて読める。 |
「畑かく」 | 「響庵 兎優染房」 | 「相国寺 大通院」 |
上御霊前通烏丸西入ル | 柳馬場通三条上ル | 上立売通烏丸東入ル |
大正7年(1918)創業の「ぼたん鍋」料理屋。なんとも読めない(「□倉」か)。会席料理もやっている。 | 大きな字の「響庵」も読み難いが、店名も難しい。とうせんぼうと読ませるらしい。 | 「専門道場」の字がかすれていて読めない。臨済宗に疎い私は「碧巌録提唱」(公案集の題名)も読めない。 |
「二條若狭屋」 | 「六文字屋 宝蔵」 | 「くろちく」百足屋館 |
二条通小川東入ル | 五辻通浄福寺西入ル−上ル | 新町通錦小路上ル |
六面体の軒灯看板には「御菓子司 二條若狭屋」とあり、屋号紋付き暖簾、水引暖簾もある。 | 歴史的意匠建造物になっている「岡本家の榎木邸」。灯が入るとなお情緒的になる。 | 軒灯看板が2つあって、左は「店名と屋号紋」、右は「支店名と笑門」が書いてある。 |
「徳本デザイン事務所」 | 「小川溪幽堂」 | お米の「大つや」 |
富小路二条上ル | 六角通堺町東入ル | 押小路通室町西入ル |
四面体の軒灯看板にはシンプルに「仕事名(設計)と店名」だけ書く。 | 軒灯看板には“もう少し”シンプルに「額、襖、表具」とだけ。 | 銅の赤が目立つ軒灯看板には“極”シンプルに「大つや」だけある。始めは「六つや」かと。 |