(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

大池(巨椋池)           (INDEX:索引へ)


古くは「京の都の南に海に繋がる大きな池」があった(今は無い)。その池は「大池」、近代になって「巨椋(おぐら)池」と呼ばれた。
海に出られる故に「交通の要衝」でもあった。どんな池だったか、整理しておきたい(大池(巨椋池)の歴史・変遷を記述するものではない)

clickすれば大きな画像「伏見山荘」=橘俊綱(藤原頼通の次男、橘俊遠の養子になった)の別荘
  後の伏見城(木幡山)のやや南あたり、「指月≒観月」に向いていた土地

南東から宇治川が流れ込んでいて
  桂川・木津川を経て西の淀川に流れ出る



京阪電鉄のサイトには「巨椋池」とあるが農水省などの記録によれば)
  当時は「大池」と呼ばれていたはず



(出典)京阪電鉄のサイトから

clickすれば大きな画像現在の地図で見ると


赤ピン =「指月伏見城」(初代)
黄二重丸=「向島城」(初代の支城)
赤四角 =「伏見港
黄三角 =「淀古城」(上の図左端の淀城)

赤二重丸=「木幡山伏見城」(二代目、三代目)

黄四角 =「伏見桃山城」(四代目)

clickすれば大きな画像『大池』とある

「豊後橋」も架かっている

村も現代の地名に近い



(出典)正保(1644-)・元禄山城国絵図から

「大池神社」前の「巨椋池石碑」「巨椋池(二ノ丸池)址」の駒札巨椋池干拓碑
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「大池神社」(昭和11年(1936)創祀)は巨椋池の畔だった「向島秀蓮小中学校」の正門横に建てられている。「向島城」(初代の支城)の「二ノ丸」があったあたりでもある「巨椋池土地改良区事務所」の前に「干拓完成を記念」して建てられた

clickすれば大きな画像左の赤二重丸=「大池神社」

黄二重丸=「巨椋池(二ノ丸池)址」
  豊臣時代の地図には「二ノ丸」
  江戸時代の地図には「二ノ丸池」が描かれている

右の赤二重丸=「巨椋池干拓碑」