(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
大池(巨椋池)
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「伏見山荘」=橘俊綱(藤原頼通の次男、橘俊遠の養子になった)の別荘 後の伏見城(木幡山)のやや南あたり、「指月≒観月」に向いていた土地 南東から宇治川が流れ込んでいて 桂川・木津川を経て西の淀川に流れ出る 京阪電鉄のサイトには「巨椋池」とあるが(農水省などの記録によれば) 当時は「大池」と呼ばれていたはず (出典)京阪電鉄のサイトから |
当初の「伏見城」=図の「堀内村」(現在の「伏見区向島桃山町泰長老」)に築城 図の「向島村 本丸・二の丸」(太閤堤の内側)は(伏見城の支城)向島城のこと 天正17年(1589)改修された「淀古城(図では「淀城」)」や「唐人雁木」は 図の左(西)に描かれている 国土地理院のサイトには「巨椋池」とあるが(農水省などの記録によれば) 当時は「大池」と呼ばれていたはず (出典)国土地理院のサイトから |
現在の地図で見ると 赤ピン =「指月伏見城」(初代) 黄二重丸=「向島城」(初代の支城) 赤四角 =「伏見港」 黄三角 =「淀古城」(上の図左端の淀城) 赤二重丸=「木幡山伏見城」(二代目、三代目) 黄四角 =「伏見桃山城」(四代目) |
「大池神社」前の「巨椋池石碑」 | 「巨椋池(二ノ丸池)址」の駒札 | 「巨椋池干拓碑」 |
「大池神社」(昭和11年(1936)創祀)は巨椋池の畔だった | 「向島秀蓮小中学校」の正門横に建てられている。「向島城」(初代の支城)の「二ノ丸」があったあたりでもある | 「巨椋池土地改良区事務所」の前に「干拓完成を記念」して建てられた |