今熊野山
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★★★ | ★★★★ | ★★ | ★★ | 2.0 |
- 山頂の特定(地図)
- JR東海道線東山トンネルと新幹線東山トンネルの間に挟まれた地域の最高地点に標高点187mがある。ここを山頂と見做すのが適当と思われる。
- その標高点は現在太閤坦カントリークラブゴルフ場になっており、コース作成のため崩されて低くなっている。数値地図によれば185mであり、これを採用した。
- ゴルフ場の最高地点にある平坦なホール一体が現在の山頂と言える。
- さらにこの地域には、標高点(164m)がありさらに東奥には201mの六条山があるが、これらは街からはピークに見えない。
- 「GPSによる測定」はコースの脇で測定した値を記載したので、山頂の位置との誤差が大きく見える。
- 登頂記録
- H15-5-5初登頂。
- このときは山道を行った。東山トレイル12番標識から南東へ道なき樹木の密集した稜線を詰めていけば、ゴルフ場最高部に辿り着ける。徹底した樹木泳ぎを余儀なくされるので、楽しいハイキングとしてはお薦めできない。
- 安直だが、太閤坦カントリークラブゴルフ場を行くのが手っ取り早い。
- 東山トレイルへ戻って滑石街道へ下山すれば『新熊野神社』に出られる。
- 今熊野山
- 一言で言えば阿弥陀ヶ峰と泉山の間にあるボリューム感のある山。
- 山頂近くにゴルフ場施設の鉄塔が見えるので、現在は識別しやすい山になっている(「山頂の特定」参照)。
- 新熊野神社との関連を重視して私は新熊野山(いまくまの、濁らない)と呼びたい。
- 「今熊野(いまぐまの)総山町」にある。地名は「今熊野(いまぐまの)」と濁る。
- 新熊野神社(いまくまのじんじゃ、東山区今熊野椥ノ森町)
- 永暦元年(1160)後白河上皇が熊野の神を勧請するため、平清盛を造進使として材木から土砂に至るまでを熊野より運ばせて造営した。
- 応安7年(1374)観阿弥・世阿弥父子が足利義満台覧の下、有名な「新熊野神事猿楽」を演能したことでも知られている。
- 東大路通の今熊野に立つ。大楠(くすのき、樹高21.9m、天然記念物)が目印。
- 熊野神社(丸太町通東大路)・若王子神社と並び京都三熊野の一つで、安産の守り神として信仰を集める。
- 「新熊野」と書いて「いまくまの」と読まれることから、泉涌寺近くの「今熊野観音寺」と混同されやすい。
- 関連する仏閣神社
- 今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ、東山区泉涌寺山内町)
- 大同2年(807)弘法大師が熊野権現の霊示を受けてこの地に庵を結び、弘仁3年(812)嵯峨天皇の勅旨で創建。本尊は十一面観世音菩薩。真言宗泉涌寺派。
- 泉涌寺のすぐ北側に接している。上記新熊野神社とは違う。
- 雍州府志では「今熊野」と冠せず単に「観音寺」としている。おそらく往時『今熊野』という表現はなかったのであろう。
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東大路通に面する新熊野神社の鳥居 |
西国第十五番札所の今熊野観音寺 |
今熊野商店街に属する「ニシダや」 |
- 近くのグルメ
- ニシダや
- 志葉漬けはカリカリとした歯ごたえと香りがある。おらがむら漬けとも呼ばれ今熊野の名物。
- 雍州府志での記述
- 新熊野山
- 泉涌寺山(未定義)の東北に在る。麓に観音堂が在る。新熊野村の西北に在る。
- 東山国有林風致計画での記述
- 比定
- 新熊野山
- 種本は雍州府志の「新熊野山」を「今熊野山」として採用し、大阪営林局では今熊野山を採用しなかった。
- 「今熊野」の字が使われるようになったのは明治4年(1871)からであり、種本や「森林総合研究所」の論文(2001年)では時代を反映してか今熊野山で呼んでいる。
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泉涌寺悲田院から見る今熊野山 |
同左−阿弥陀ヶ峰(左端)と今熊野山(右端) |
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今熊野山頂に相当するゴルフコース |
東山トレイルからの樹林密集の稜線 |