(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
橘氏を盛り立てた2人の女性
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井手寺跡 | 梅宮大社 |
橘諸兄が、本拠にしていた「井手」の地に橘氏の「氏寺」として建立した(と伝えられている)。写真は「井堤寺の柱跡」のあった場所(井手町) | 御由緒には「三千代が橘氏の氏神として始めてお祀りした神社」で「当初、井手町。後、平城京に移し、さらに嘉智子が現在の地に遷した」とある |
橘諸兄公旧跡 | (恭仁京)馬場南遺蹟 | 橘諸兄公供養塔 |
大きな碑が現在の「綴喜郡井手町」にある。邸宅と思われるが、高台にあって井手町を見渡せる | 「橘諸兄の別業」があったと思われるが、今は宅地開発に呑み込まれ、跡すら見えない | 墓は伝承地が3個所あって判明し難い。写真は井手町「地福寺」にある供養塔 |
冷然院 | 檀林寺 | 学館院のあったところ | 橘嘉智子の陵墓 |
嵯峨天皇譲位後(弘仁14年(823)以降)嵯峨と嘉智子は後院としてここに住み、嘉智子はここで亡くなった | 現在の寺は昭和39年(1964)当初の地とは違う所(祇王寺近く)に建てられた | 学館院の跡は(石碑なども)残っていない。現在は「朱雀公園・野球場」(写真)になっている | 「嵯峨陵」と呼ばれる。「嵯峨野」でも山深い(嵐山駅から徒歩40分)。現在もこの先は「通行止」 |
橘逸勢の住んでいた所 | 「下御霊神社」 |
左京三条二坊十一町の「[虫支]松殿」(はいまつ)。橘氏で唯一住居がわかる人物 | 早良親王・伊予親王と共に(陰謀で流刑された)橘逸勢の怨霊封じで祀られている |